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2010/10/03

結果と外見が全てなのね

 今日は来客が3人あった。
 でも、その誰も昨日の悪戦苦闘ぶりの結果を見てくれない
 庭先など素通り。

 あーあ、あれだけ頑張ったのになー。
(家の中の模様替えも!)

201010031

← 今日、ある人に海辺のブティック兼レストランを紹介された。すると、店内の隅っこに仔猫たちが。思わず、携帯でパチリ。

 まあ、来ても、庭もだけど、これらの方は(少なくともそのうちの一人は)一度だって畑を見て回ったことがない。
 そのくせ、あんたは草むしりはしないとか、以前は庭は綺麗だったとか言う。

 その方は7月の不幸続きで慌しい頃に来て、多くのお客さんを迎えるんだし、家の内外を綺麗にしないといけない、ということで、初めて庭や畑に注目した。


 注目したのはその時だけ。
 その時になってやっと。

 その時の印象だけで、小生が庭や畑を放置していると決め付ける。
 自分の関心事だけ見る。興味がないと無視。


 その方は、帰郷して以来、小生が庭や畑をせっせと世話していたことを何も知らない。
 知ろうともしない。

 まあ、何を言われても碌に反論しない小生も悪い。
 普通の人のようにペラペラと舌が回るわけじゃない。
 その前に、精も魂も、寝て起きた瞬間にほとんどゼロになっている。
 疲労困憊して目覚める小生に、日中、相手が誰だろうと議論する元気などない
 動くのもしんどいし、訥々と舌足らずに喋るのがやっとなのだ。

 相手に何を言われても、必要最低限のことさえ、考える気力がない
 サラリーマン時代も含め、トランプや花札などをやって勝った例(ためし)がない。
 勝負に勝とうという余力など、小生の日常にあるはずもない。
 一度、椅子に腰掛けたら、体も心も、ドテーと座ってしまう。
 否、寝転んで、改めて起きるのが億劫になっている。

 学校での授業にしたって、映画にしても、その時間内は他人に迷惑をかけないようにするので精一杯なのである
 何が話されているのか、どんなストーリーなのか、苦しくてならない小生には、まるで分からない
 だから、映画館で映画を見るのは(も)難儀極まりないのである。

 深く考えなくとも、相手がこちらを誤解していると思ったなら、多少なりとも誤解を説く努力をすべきなのだろう。
 それが相手への誠実さ(あるいは時には愛情)でもあるし。
 でも、それは小生には億劫でしんどくて、叶わない営為に過ぎない。

 今年の五月の連休前後から家人の様子が大変になって(尾篭な話になるので、ブログでもどのように大変なのか、具体的には書かなかったが)、庭も畑も、家の中もどうする、どうできるという状態じゃなかったことなんて、まるで考えようとしない。
 七月中一杯どころか、八月の上旬くらいまでは、法事などで手一杯だったことなど考えようともしない。

 で、七月の十日頃の、たまたま弔問客らの接待が待ったなしの状態になって初めて庭や畑の状態を見はじめそして家の内外の乱雑さ(といっても、可能な限りはやっていたのだが)、責める。

 八月になって、やっと時間が作れるようになって折々やりだすと、大掛かりに懸命になってやらなくても、表の仕事は日頃から少しずつやればいいなんてのたまうのだ。
 小生が五月の連休の頃までは土日は庭や畑に精を出し、終日はまとまった時間が取れないので、ゴミ出しの日などに小一時間ほどはやっていたことなど、まるで気付かない。
 眼中にない。入らないらしい。

 ブログにも、帰郷した一昨年の春先以来、(大儀な体を圧して)何度も畑のこと、庭のことを書いてきた。
 写真もアップしてきたので、まあ、知る人は知るわけだし、証拠も残っているというわけだが(確かめようとすればいつでも画像や文章で確認可能、というわけである)、ネットは興味ないというから、今後も見ることはないのだろう。

 まあ、でも、冷静に考えると、割と身近な人たちでさえ、そんなふうに見てしまうということは、赤の他人だと、たとえ近隣の方でもそういう風に見ている、見られがちだ、ということになる。

 大切なのは結果だし、外見だし、たまたま見たときの状態が全てで、要は日頃から油断はいけない。
 油断も隙もあったものではないということだ。

 自分が自分のできる範囲で頑張るだけじゃダメで、自分がやっていることをアピールしないといけない。
 他人(近所の人や親戚の人)などが見ているときに精出して頑張っているところを見てもらうとか、そうやっていることを機会があったら(まず、ないけれど)自分でそれとなく、しかし確実に伝えないといけないわけだ。

 そんな卒のない、要領のいい振る舞いなど苦手中の苦手だが、仮初にも世帯主となるならば、そんな暢気なことは言っておられない。
 自分がどんなに体の不具合と闘いながら日常を過ごしているかも、その近い親戚筋の方には縷縷説明したつもりだけど、まるで伝わっていなかった。

201010032

→ この猫も同じ店の中にいた。この猫は、上掲の仔猫たちの親かと思ったら、お姉さんだとか。三匹とも捨て猫の子どもたちなのである。この店(の主)に、思いっきり懐いている。


 ちょっと不調なところがあるという程度に受け止めるだけ。
 自分の怠惰さ(と受け止められているらしい)の言い訳、弁解のタネだと思っている。
 暗に、その程度なら誰だって抱えている、自分も健康不安はある…、と、ただの愚痴に受け止めるだけ。
 呼吸困難、睡眠障害の苦しさなど、当事者でないと、経験者でないと分からないのだろう

 別に自分だけが苦しいとか、そんな話をしていない。

 でも、他人には想像もつかない重荷を背負っていると伝えたかっただけなのだが、健康人間には理解不能なのだろう。
 今後は、もう少し、行動に気をつけて、自分がよかれと思ってやっているだけじゃなく、他人に分かるように振る舞わないといけないのだろう。 
 しんどいことだ。

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