秋に氷雨は筋違い(前編)
今日も寒い。一昨日などは十二月上旬の寒さだったというが、今日は雪が降ってもおかしくないような寒さで、あるいは十二月下旬の寒さかもしれない。
冷たい雨が降っているせいもあるのだろう。
→ 我が家の庭先にひっそりと咲く花。
事情があって宙ぶらりんの状態にあり、にっちもさっちも行かず、もどかしい気持ちを持て余している、そんな精神状態も寒さに過敏にさせているのかもしれない。
…正直に言うと、この年になって叶わぬ恋に心が傷んでいるから、一層、一人が身に染むのだろう。
仕事にあぶれ、人にあぶれ、茶の間の窓外に人影がなく(当然だ、土日でもないのだし、こんな冷たい雨の中、日中、用事もないのに出歩く人がいるはずもない!)、静まりきった、大げさな表現をすると凍てついたような風景が私の心の投影のようにも思えてならない。
表現力が乏しいというか、感性が鈍いのか、こんな日の雨のことを、つい氷雨という言葉で表したくなる。
「氷雨 - Wikipedia」「氷雨(ひさめ)とは、空から降ってくる氷の粒のこと。あるいは、冬季に降る冷たい雨のこと」だという。
不思議なのは、「氷雨は夏と冬の季語でもある」ってこと。
冬の季語は分かるが、なぜ、夏の季語でもあるのだろう。
氷雨が、空から降ってくる氷の粒のことだとしたら、夏だって、何かの拍子に雹(ひょう)や霰(あられ)の降ることもあろうから、夏の季語でもあるのだろうか。
後者の疑問はともかく、今のまさに秋真っ盛りのこの時期の雨に氷雨という言葉は適当ではないのだろう。
まあ、「氷雨」は、「気象学で定義された用語ではない」というのだから、こんな異常に寒い日に降る雨を氷雨という言葉で表現したって、とやかく言われる筋合いではなかろうが。
「氷雨」というと、日野美歌が歌ってヒットした「氷雨」という歌謡曲を思い出してしまう。
佳山明生との競作なのだが、私の場合は、何といっても日野美歌の曲としてイメージしてしまう。
私が「氷雨」という曲を思い出してしまうのは、私が失恋したのが80年から81年に掛けてのことで、この曲のヒットが1982年から1983年だった(但し、発表は1977年)という時期的なこともある。
が、それだけだったら、その頃にヒットした曲は数々あるわけで、この曲が今になっても格別な想いで思い起こされるはずもない。
小生が好きだった女は日野の人だったのである。
80年の後半には、失恋は決定的になっていて(といっても、はっきり振られたわけじゃなく、彼女に恋人が居ることに気づいたのが、80年の半ば過ぎ、夏の終わり頃だった)、80年の晩秋から冬にかけて、とても寒い思いをしたのだった。
81年の春には彼女の居る会社を離れ、別の会社に入社した。毎日のように彼女の姿を目にする…そんな状況からは脱したわけだが、同時に、完全に縁が切れたようにも思えた。
新天地で忙しく働いて、週日の残業どころか土日も休日出勤したりして、恋に破れた感傷に耽る暇もなかった…のだろうか。
そうではない。
日野美歌の歌う「氷雨」が、日々テレビでラジオで有線で流れて(入社した会社では現場…倉庫で働いていた。そこでは終日、有線が流れていた。終始、演歌のチャンネル)。
(彼女の居た会社でも、彼女は事務所だったが、私は倉庫でアルバイトしていた!)
つまり、家でも街中でも会社でも、日野美歌の「氷雨」だったというわけである。
少なくとも私は、日野美歌の「氷雨」が流れると、自分の思いが表に、まるで衆目の面前に引きずり出されるように感じていた。
誰もそんなことは考えるはずもないのに。
彼女への思いが屈折しているのは、単に振られたから、だけではない。
もしかしたら、という思いがあるからなのである。
それは、私の思い過ごしかもしれないが(たぶん、そうなのだろう!)、一時期は彼女のほうこそ、私に…という疑念があるからなのだ。
彼女と出会ったのは、大久保の商品保管所だった。
私はそこで商品保管のアルバイトをしていた。
彼女は事務員として会社のほかの部署から移動してきた。
私は彼女の美貌に一目ぼれしてしまった。
← つい先日、夕刻の空に満月が。眩しいくらいの輝きに圧倒される。
月照るや屋根も枝葉も夢見がち
しばらくすると、彼女の職場が大久保から新宿の商品保管センターへ移動となってしまった。
ガッカリしていると、それほど月日を置かないで、新宿の商品保管センターでもアルバイトを求めているという話があった。
移ってみる? という打診があった。
渡りに船である。一も二もなく応じた。
そう、彼女を追って、彼女の居るセンター(の倉庫)で働くことにしたのだ。
彼女の傍に居ることが出来る! 有頂天だった。
しかも、商品保管センターの事務所には何人も事務員がいたし、アルバイトは私以外に何人かいたのに、私は彼女の担当となった。
彼女の指示の下、働くことになったのだ。
天は我に味方した。
大げさかもしれないが、正直な気持ちである。
日々、彼女が本部からの指図を受け、その指図書が彼女から手渡され(!)、せっせと倉庫で働き、荷物を纏め、送り出す。
毎日、彼女と働ける!
倉庫の中で二人きりになることもしばしばである。
彼女が商品の(在庫などの)確認のため、倉庫に入ってくることが間々、ある。
忙しかったら、バイトの私に頼むはずだが、そんな必要もなかったのだろう。
私は、倉庫で在庫の整理などをしている手を休め、彼女のほうへ近づいていく。
近づいてくだけじゃなく、用もないのに、彼女に付き従って、しばし二人きりの時間を楽しむ。
何か仕事を授かるかもしれない…のだから、堂々と、彼女に付きまとえるわけである!
私は、そのうち、自分が彼女を好きなだけじゃなく、彼女のほうも私を…などと思えてきた。
(続く)
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コメント
開きかけのシュウメイギクのようですね。いろんな色のものがありますが白のものが私は好きです。
いつも本題からそれたコメントですみません。
投稿: かぐら川 | 2010/10/28 22:18
かぐら川さん
シュウメイギク(秋明菊)なんですね:
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/shuumeigiku.html
昨年も教えていただいたことは覚えているのですが、名前が思い出せなくて…。
拙稿の本文に関係のないコメント、大歓迎です。
というか、長々しい本文を読んでコメントするなんて、億劫なものです。
だからこそ、敢えて写真(画像)を入れて、読まれる方とのコミュニケーションを保とうとしているんですよ。
苦肉の策(?)
いつもながら、コメント、うれしいです。
投稿: やいっち | 2010/10/28 22:35