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2010/10/27

寒さにめげずスピノザのこと

 寒い! 昨日などは12月上旬の寒さだったという。
 今日も寒かったが、お昼近くになって晴れ間に恵まれたこともあり、昨日よりはましだったような気がする。
 あの猛暑続きだった夏がウソのようだ。

 家の中に居ても寒くていたたまれず、石油ファンヒーターを押入れから引っ張り出して使い始めた。
 前の冬の使い残しの灯油を入れっ放し。
 ファンヒーターの中で灯油が変質しちゃってて、ヒーターがおかしくなるんじゃないかと思いつつも、寒さには敵わず、ええい、使っちゃえとスイッチをオン。
 今のところ、何事もなく動いてくれているが、さて、今冬を乗り切ってくれるだろうか。

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← イルミヤフ・ヨベル著『スピノザ 異端の系譜』(小岸昭他訳、人文書院)「異端審問時代のスペイン・ポルトガルにおいて密かに育まれた内在の思想が彼の思索生活のなかでどの様に体系化されていったかを検証するとともに」云々とある。

 さて、トビー・グリーン著『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』(小林朋則 訳 中央公論新社)を読了した。
 感想などは改めて書かないが、本書の話題に関係する人物の一人、スピノザについての本の感想文を書いたことがある

 スペインやポルトガルなどでユダヤ教徒やユダヤ人が異端審問の対象になり、当局の追及の的となりそうな、多くの人が国外へ生きる場所を求めて脱出した。
 スピノザもその一人なのである。
 懐かしい拙稿でもあり、せっかくなので(?)、ここに載せておく。

イルミヤフ・ヨベル著『スピノザ 異端の系譜』 安楽死とオランダと

 過日、安楽死法案がオランダ議会で可決されたとの報道があった。今までも安楽死が実態的には一定の条件を満たす限りは認められていたのだが、これで国家としては初めて安楽死が合法化されたわけだ(アメリカのオレゴン州では既に合法化されている)。
 日本では実現どころか審議すら当分、考えられない法案であろう。
 まさにオランダという自己責任原理の徹底され個人を尊重する国柄を象徴するような<事件>だと思う。
 オランダでは例えば売春も麻薬(勿論、一部の種類に限られる)も合法化されている。
 何を楽しもうと、それは自己責任でというわけである。他人や社会に迷惑をかけない範囲で、自己責任原理の下、各人が人生を生きる。
 そこには個人というものが確立されていることが前提になっている。それゆえ個人の生き方、考え方が尊重されることに繋がるわけである。
 無論、オランダの中にもきっと異論はあるに違いない。売春にも安楽死にも限定されているとはいえ麻薬にも、異を唱える人がいるだろうことは間違いないだろう。実際、安楽死法案の審議の際にも国会の周りを反対する人々が取り巻いたという。
 ところで、この国土の27%が海面下にある国オランダというと、デカルト(1596‐1650)やスピノザ(1632‐1677)を小生は思い出す。
[ちなみに先月、車の中での休憩時に朝永振一郎著の『科学者の自由な楽園』(岩波文庫刊)を読んでいたら、「ゾイデル海の水防とローレンツ」と題された一文があった。それは正にオランダが生んだ大物理学者H・A・ローレンツが一役を買うオランダのダム建設の話である。つまり、海より低い国であるオランダにゾイデル海という入り江がある。その入り口付近に大きなダムを建設しようというのだ。問題は必要にして十分な大きさのダムをどう見積もり建設すればいいかということで、そこには複雑で未知な潮の流れを計算する必要があるなど物理学的難題があり、ダム建設の専門家ではないはずの、ローレンツにそのお鉢が回ってきた由縁なのである]
 いずれもようやく中世の闇を脱し、近世のとば口にあったとはいえ、依然として旧教などの教会の権威が強く、その中で「省察」や「方法序説」の哲学者でフランス生まれのデカルトも「エチカ」の哲学者でユダヤ人のスピノザも思想を究めるには命を賭す覚悟が必要な時代を生きていた。
 そうした彼等が生きる場所を見出したのがオランダだった。オランダは17世紀の当時としては例外的に宗教的・政治的な著作の自由の認められて国だったのである。 有名なデカルトとオランダの王女との宗教や哲学を巡る対話も、正にオランダならではの出来事だったのである。ちなみにデカルトは研究生活の大半(1628‐1649)をオランダで送った。
 一昨年だったか、『スピノザ 異端の系譜』(イルミヤフ・ヨベル著、小岸昭他訳、人文書院)を読んだことがある。この本の主題はスピノザという異端の思想家を通じてマラーノの系譜を辿ることにある。
 マラーノとは、「強制的にキリスト教へ改宗させられたスペインおよびポルトガルの旧ユダヤ教徒」のことである。そうしたマラーノたちの多くは隠れユダヤ教徒として生きることを余儀なくされたのだった。
 マラーノとして生きるとは、キリスト教徒とユダヤ教、あるいは内的生活と外的生活という二重の生活を生きざるを得ないことを意味した。
 そしてスピノザもまたその典型的な一人だったわけである。
 そのスピノザの思想は「近代思想の主潮流に浸透していき、(略)ゲーテやヘーゲル、ハイネ、マルクス、ニーチェ、フロイト及びアインシュタインに至る思想家たちが、どこか本質的なところで自らをスピノザ主義者と見なしていた」というのが上掲の書の主張である。
 スピノザは当時の教会から破門されてしまったわけだが、その持つ意味や厳しさは我々の想像を遥かに越えるものがあったに違いない。実際、「エチカ」は匿名(本人の希望で匿名にした。真理とは本来、匿名性を帯びたものなのだから…)で出版されたものの、死後、発禁処分にされている。
 安楽死の話に戻ろう。 自らの死の形を選ぶとは、自らの生きる形を自分で選ぶことであるという、厳しく孤独な省察が要る。そこには死を何処か遠い先のものと見なす発想、目を背けて澄ますという発想はない。
 末期ガンなどで絶え難い苦痛が継続的に襲い、それを医療でも征する見込みがない時、複数の医者の一定の条件の下での合意に基づいて、本人の明確な了解の下、安楽死を認める。
 理屈は通っているけれど、自らの意識が明瞭な時に、自らの死を決定する意思を表明するのはとてもきついことだろう。
 死を考えること、死を取り戻すことは、きっと生を本来的に生きることに繋がる。
 「死」を病室という密室の中に閉じ込められた形で、つまり闇から闇へ密やかに葬られる形で迎えるのが通例となっている日本で、今日、我々には安楽死を考え抜くのは至難の業に違いない。
 生きるとは死ぬ形を選ぶこと、なんて何処かで聞いたような悲壮な科白を述べ立てるつもりはないが、生を、つまりは死を考え抜くことの何と厳しく孤独なことかを、安楽死法案の可決のニュースを聞いて改めて感じたのである。

                                   (01/04/15 作

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