朱に染める日
以下は創作(旧作)です。
今朝、変な夢で目覚めたので、ちょっと似た夢をテーマの短編をアップしてみます。
← 「ウニ(海胆、海栗)」 ウニ・イクラ丼、好きです! (画像は、「ウニ - Wikipedia」より)
実際には、夢の中にヘビが登場し、夢の中の<オレ>は必死になって纏わり付く巨大なヘビを引き離そうとしていた。が、絡み付くヘビは執拗で、足掻いているうちに、<オレ>はヘビを胴体で真っ二つに引き裂いたのだった。
末期のヘビののたうつ姿、裂いた音や手に残る感触が今も生々しい。
「朱に染める日」
音が聞こえる。俺だけの音が聞こえてくる。
新雪の道を歩く、ザクッとという歯切れのいい音。何処かの軒先を抜けて駆ける風の鳴る響き。
不意に、バサッとふんわりした地響きを感じて、震源を辿ると、木立が揺れている。
重く圧し掛かった雪が落ちて、杉の木が束の間ののびをしている。粉雪が濛々と湧き立って、俺の頬をもひんやりとさせる。そして、遠い列車の唸り声。あるいは、犬の遠吠え。
そのどの音とも違う。
俺の耳の中だけで鳴り響く音なのだ。誰にも聞こえるはずのない、啜り泣きのような悲しい無音の叫び。
背後で誰かがしくしく泣いている。
俺は振り返りはしない。その声が影も形もない誰かの呼びかけだと知っているから。
遠い日の、深い水の底からの、星の彼方からの、地の底からの、俺の心の臓からの、あの人の喉笛からの、既に意味を失った姿亡き鳴動。
俺は、冥土の旅に立った人を思う。
俺が旅立たせたのだ。俺が旅立つ門出を祝ってやったのだ。それとも呪ってやったと言うべきか。喉笛からの鮮血。地吹雪を朱に染めた情念。
俺は、その手応えと、その断末魔の愉悦の悶えとを餌にして今日まで生きてきた。夜毎に現れる肉と心とを失った魂の切っ先が、今度は俺の喉笛を狙う。
なんという悦楽。なんという報恩。
ああ、なのに、あの肉を裂くザクッザクッという感触が薄れてしまった。
あの人の俺に残した唯一の形見だったはずなのに、俺の心の手から洩れ零れてしまった。痩せ衰えてしまったのだ。あまりに賞味し嘗め尽くし過ぎたのか。
欲しい! 俺が生きるための杖を。
俺は肉を欲する。血の熱さと滴りを。腸の蠢きを。
俺が生きる支えはそれだけなのだ。
あの日、もがくあいつの足がバタバタとし、やがてピンと伸びきって、赤い脂塗れの白い体が山の峠の脇道の雪に沈み込んでいった。
あれから既に四半世紀の時が流れた。もう、潮時じゃないか。俺の脳裏から消え去ってもいいじゃないか。俺は十分に存分に楽しんだのだから。
「あたいの命をあんたにあげる」と言ったのは、お前だったじゃないか。俺は、言葉通りに受け取っただけのこと。
確かにお前は俺の命となった。俺の命の糧となった。日々自己増殖し肥大するガンの如き情念の泉となって俺の心を豊かにしてくれた。
でも、もう、お前の命脈は尽きたのだ。
キーン、キーンと、神経を引き裂くような金属音が聞こえる。
遠い、遠い彼方からの音。
けれど、その音は、俺の耳の中で、それとも俺の脳裏で鳴り響いている。気が狂いそうなほどに高い、耳障りな音。
今、俺の前には別の女がいる。
孤独を愛する俺を悩ます女だ。この世を彷徨う俺に纏わり付く女だ。
あなたは私の理想の男(ひと)よ、という馬鹿な女だ。
何を血迷っているのか。こんな空っぽな男に縋り付いて、どうする?!
遠くから得体の知れない音が聞こえようとしている。また、あの日の夢を俺に繰り返させようというかのように。
俺には自分を抑える力などないことを知っている。
俺には為す術などない。もう、夢遊病者のように俺は闇を彷徨う。
女を求めて? 違う! 俺が求めているのは、ただの安息なのだ。夢の中で腸(はらわた)の蠕動よりもえげつない現実の肉を貪り尽くす、ただそれだけを求めているのだ。
なのに、また、いま、新たな音の源に近づきつつある。否、源が俺に忍び寄っている。俺に冥土への旅立ちを祝ってもらおうと。
祝うとは、呪うと、如何に似ていることか。
白い体が俺に絡みつく。白蛇の這い回る闇の宿。その白い闇が朱に染まる日も、近い。
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