里帰り
我が家は、父の祖父の代に我が家にとっての本家から、多少の田畑を貰って分家した。
我が家どころか、近隣一体は、江戸時代は赤祖父家の土地だったらしい。
赤祖父家については、まだ調べたことがないが、富山城に別名・赤祖父門があるほどの家柄のようだ。
家老職にあったとも仄聞しているが、まだ確認が取れていない(典拠に当たっていない)。
江戸時代のある時期、城の殿様に命じられ、冨山城の北側の一角に広大な(家老職のものには当たり前のものか)土地を与えられ、高岡(砺波)のほうから移ってきたという。
冨山県には、赤祖父川や赤祖父山、赤祖父ため池(赤祖父池ダム、赤祖父湖)、赤祖父レイクサイドパーク など、特に砺波や高岡市を中心に、赤祖父にちなむ地名や施設がいろいろある。
なんと赤祖父夏まつりもある!
実際、我が家から歩いて数分のところに赤祖父家の代々の墓がある。
十数代の立派な墓。
赤祖父家の本家筋は、もっと古くから高岡(砺波? それとも他の地?)にあったわけで、由緒ある家柄なのだろう。
恐らくは、我が家の本家筋の家は、赤祖父家とは無縁のはず。
我が家(の本家)は、江戸時代の初めか、あるいは戦国時代の終わりごろ、武田家と上杉家の戦いで負け、武士をやめ百姓になったという(父の話だと、武田家と上杉家のどちらに従う武士(足軽)だったかも分からないという)。
その我が家の本家から我が父の祖父の代に今の地に分家してきたわけである。
その我が家の本家からの分家は、一体、どれほどあるものなのか、分からない。
父が若い頃、父の元に母が嫁いできた頃は、結婚などの祝いの席に呼ばれ……あるいは単に手伝いとして本家に父母が向かったこともあるというが、その後は、付き合いは一切、なくなっている。
つまり、本家との交流がなくなって数十年になるわけである。
年賀状だけの付き合いさえもない。
僅かに、その縁の筋を辿れないほどの縁戚の方と、父とは賀詞の交換をすることもあった(年賀状は、今年の正月も互いに交換していた)。
しかし、本家に繋がる交流は、上記したように今では(ほぼ)皆無と理解している。
そんな我が家だが、その父には姉弟が何人もいる。
一番上の父の姉は百歳前後で、施設に入っているが、今も存命である。
二番目の姉も、デイサービスに通っているが、今でも、年賀状の交換は当たり前として、電話での遣り取りもしている(つい、昨日、その元気な声を聞けた)。
恐らく九十歳前後のはず。
三番目の父の姉は、先週末、惜しくも亡くなられたが、今年の五月に米寿を迎え、市から米寿の祝いを受け取ったりしている(その頃は、杖を突きつつだが、時に出歩くこともあった)。
父には弟もいる。
小生が迂闊で知らないだけで、他にも姉がいる(た)のかもしれない。
父には出家してお坊さんになった小父さんもいるとか。
そんな九十歳ほどの父の姉の一人が、遠い関西の地から近いうちに我が家にやってくる。
七月に我が父が亡くなったのだが、その頃は猛暑の真っ最中だったり、一人で関西から冨山に来るわけにいかない。
息子さんの仕事(など)の都合次第ということで、なんとか今月中には、彼女にとってのお里帰りが叶うわけである。
目的は言うまでもないが、亡くなった父のお墓に参ることである(父の父、つまり小生の祖父が生まれた頃、田畑の隅に建立された)。
そこに、思いがけなくも、父の姉、彼女にとっての妹の死という悲しい出来事が重なり、彼女の妹のためにもお線香をあげにくることになったわけである。
九十歳前後となっている父の姉にとって、何十年ぶりのお里帰りなのだろうか。
そう、お里帰りなのである。
半世紀どころか、六十年以上も昔、冨山の地から関西の家へと縁あって嫁いでいった。
その後、何度かお里帰りする機会があったものと思う。
もしかしたら、半世紀前、小生のガキの頃、祖父母の法事の際、帰省しているはずで、その際、会っているはずである。
その後は、小生が冨山を離れたので、仮に彼女が帰省(? お里帰り)していても、この半世紀、出会ったことはない(と思う)。
本ブログで書いているように、父母の相次いでの死を契機に、今後は自分の身の振り方を考えないといけないのだが、その前に、自分の体のメンテナンスをしないといけない。
本来なら、父母の四十九日の明ける、今月中旬、つまり、今頃には入院しているはずだった。
しかし、母の妹の御主人の(死に伴う(四十九日の法要が今月中旬に執り行われることになり、小生は参加するよう求められている。
同時に、父の姉の来訪(彼女にとってのお里帰り)が今月中旬にあるということで、今月の入院加療は延期せざるをえなくなった。
せっかく、治療するつもりでいたのが、諸般の事情で延期となって、正直、治療しようという意欲が萎えつつある。
ビビッているのだ。なんとか、治療しようというモチベーションが来月まで保たれればと思うが、ちょっと心配もしている。
さて、関西の地に嫁いで行って60年以上にもなる父の姉(の一人)が、我が家(や父の姉、彼女にとっては妹のところ)へ(も)やってくる。
何年ぶり、あるいは何十年ぶりの里帰りなのだろうか。
彼女の弟の家だが、何より、彼女の父母の家である。
彼女の本家なのである。
女性が結婚して他家へ嫁いで行く、その心情など、小生に到底、分かるものではないだろう。
まして嫁いで行った先が、富山市内、冨山県内ではなく、関西なのである。
交通手段の発達した今とは事情がまるで違うのだ。
ご高齢の彼女、体が元気な頃なら、その気になれば帰れたかもしれないが、今は、息子さんの手を借りないと侭ならない。
いろいろあっても、本家へ、自分の生まれ育った家へ、遠路遥々生まれ育った地へ帰ってこられる。
今は我が家に一人住まいの小生だが、親戚筋の者たちの力を借りて、できるだけのお持て成しをしないといけないだろう。
…ただ、ご高齢の体を押しての里帰りなだけに、無事を祈る気持ちである。
…同時に、来月は、自分の体のメンテナンスを最優先する!
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