猛暑の夏の皮肉な賜物
今日も暑い一日だった。
それでも、午後の三時を過ぎると、一時的に曇ったこともあってか、家の中を吹き過ぎる風に心地よさを感じた。
つい、エアコンのリモコンに目が行くはずが、まるでそんな必要を感じない。
けど、小生、お昼前の暑い真っ盛りに庭仕事に精を出した。
作業の後の水浴びを楽しみに。
内庭の巨木(独活の大木)と化した松の木の枝葉の刈り込み作業をしたのだ。
我が家の庭で、唯一、庭らしい庭といえるのは小高い丘(築山をイメージ?)となっている内庭だけ。
だが、その内庭で大きくのさばっているのが巨大な松。
その枝葉が庭の他の樹木を圧倒しているし、それ以上に枝葉が表の車の通りに迫り出している。
せめてその迫り出した部分だけでも刈り込んでしまいたいと、かねてより思っていたのだ。
庭の他の木々は(裏庭の、これまた育ちすぎた杉の木一本を除いて)、形(出来)の良し悪しは別にして、短めに刈り込む作業はほぼ終わっている。
この内庭の一本の松の木が、いつかは対決しないといけない樹木(ターゲット)として残っていたのだ。
先週末、脚立を築山(内庭)に持ち出して、このどでかい松の枝葉の刈り込みに着手したが、最下端の枝葉の、それも末端の枝葉を少々、高枝刈り込みハサミで切ることができただけ。
今日は、昨夜、寝入る時点で既に、捲土重来というか(←大袈裟)、真正面から松の木の枝葉の刈り込みに取り掛かることに決めていた。
二階にまで届く長いアルミのハシゴを持ち出し、そのハシゴを築山の上に伸びる松の幹に立てかけ、命がけというとまさに大袈裟かもしれないが、ちょっとバランスを崩せば、築山の上で転倒・落下して怪我は必定という状況だったのは事実である。
ハシゴの足場を一応は固め、ハシゴの上辺を松の幹と過日、切り落とした枝の根元に掛かるように持たせかけて、いざ上っていく。
登ってみると、グラついて何だか心許ないが、やるっきゃない。
最初は、高枝切りこみハサミで、届く範囲の枝葉を(といっても、切れるのは、せいぜい直径で一センチ未満の細い枝だけ)刈り込んでいた。
目に付くだけ、手の届く限りの(細身の)枝葉は切り落としたが、何だか物足りない。
やはり、下のほうだけでもいいから、枝を根っ子から切り落とさないと、やったという気になれない。
直径で十センチを越えるような枝を切り落とさないと。
今度、手にした道具はノコギリ。
やっとというか、ようやく踏ん切りがついたということか。
切羽詰って、今、やらないと、もう面倒で挑戦はしないだろう…。
ハシゴのほぼ天辺まで登り、松の枝(の根っ子)に掴まり、いよいよ枝葉というより、枝の根っ子からの伐採作業に着手。
松の巨木の一番下の枝であり、とにかく太い!
まずは築山の内側に向かう枝をノコギリで切り落とす。
ハシゴに登る小生の体も無理な体勢を取らずとも、ノコギリを操作できる。
ギコギコやっていって、やがて巨大な枝葉がドサッとばかり、内庭に落ちる。
目の前は車(や人)の通る往来なので、内庭に落ちるように切るのを心がける。
間違っても、切り落とした枝葉が車の上、人の上に落ちてはならない。
2本ほど、巨大な枝葉を切り落とした。
なんとなく格好が付いたようではある。
しかし、やはり、物足りない。
なんといっても、近所や往来する車や人に迷惑をかけそうなのは、往来側の巨大な枝葉なのである。
枝葉の根元の枝は、築山からは2メートル以上もあり、往来からは3メートルほど。
が、松の枝葉は、ダラーンとだらしなく垂れている。
その垂れた先端近くは、運送用のトラックの上部を擦りそうなのである。
最下端の、往来側の枝だけは、なんとしても切り落とさないと、刈り込み(伐採)作業をやった意味がない!
今度は、ハシゴの天辺付近じゃなく、まさに天辺に登り、松の枝の根っ子に、ほとんどぶら下るようにして、凭れかかる。
幹に凭れかかるというより、張り付いてしまっているよう。
セミの気持ちが分かる ? !
ハシゴの天辺に上り、手をメイッパイ伸ばしているのに、それでもノコギリの歯がその往来側の枝の中途にギリギリ届くだけ。
ノコギリをギコギコやっていても、腕に、ノコギリに力が入らない。
手を伸ばしきっていては、力が入るはずがない。
しかも、腕を水平じゃなく、やや斜め上に伸ばしている。
十回もギーコギーコやったら、精根尽き果てて、幹に凭れかかって一休み。息が荒い。汗はダラダラである。
言うまでもなく、庭作業に際しては完全防備の格好。
長ズボンだし、作業用の上着を着用しているし、長靴を履いている。
首にはタオル、頭からタオル、その上、頭には麦藁帽子。
手はウレタンのグローブ。
口にはマスク(木屑などを吸い込まないため)。
その上、今日はゴーグルを装着。
木屑が目に入り込みそうになる。
ゴーグルといっても、花粉眼がねである。
目をスッポリ覆ってくれるので、透き間から木屑やゴミが入り込まない。
その代わり、汗が蒸発するのか、すぐにゴーグル内が曇ってしまって視界が遮られる。何度もゴーグルを外して曇りを拭う必要があった。
格好だけは専門業者並である。
腕前は素人以下だが。
何度も、ギコギコをやっては休みを繰り返して、ようやく太く巨大な枝葉がメリメリとばかりに崩れ折れてきた。
が、そのため、ノコギリが折れてきた枝に挟まれ、抜き差しならなくなった。
手を伸ばしても枝には届かないし、届いてもびくともしないだろう。
しばし、思慮をめぐらした挙句、納屋に行って、縄を持ち出してきた。
縄を折れてきた枝の中途に引っ掛け、地上からグイグイと引っ張り、力尽くで負ってしまおうという算段。
すっかり折れなくとも、少しでも折れの程度を増すことができれば、ノコギリは抜き取ることができるはず。
その作戦は功を奏し、なんとかノコギリを窮地から救い出し、再度、枝をギコギコとやりだした。
縄で引っ張ったこともあって、折れ始めている枝葉は、内庭のほうに倒れ掛かっている。
間違っても往来には倒壊しない。
その代わり、切れて落ちる際に、勢いで縁側に、つまりは縁側の廊下のガラス窓に倒れ掛かる恐れが出て来た。
折れた枝葉は、いよいよ傾き、今にも落ちそう、そして落ちた! と思ったら、落ちない。切れているのに、なぜ?
何のことはない、切り落としたはずの枝葉の枝の根っ子の部分が二股になっていて、その股の部分が、既に切り落とした枝の根っ子に引っかかっている。
手で押してもびくともしない。そんな小さな枝ではないのだ。
仕方なく、枝葉の二股となっている片方を、改めて切り分けることに。
ハシゴの天辺で、まともに降り注ぐ夏の太陽の下、精根尽き果てた体に鞭打って、股を裂くことに成功。
巨大な枝葉が地上にドサッと落ちた。
幸い、縁側の廊下に倒れ込むこともなかった。
内庭には切り落とした巨大な枝葉(の塊)が3つ。他にも切り落とした、小さからぬ枝葉も多数。
とてもじゃないが、それらの片づけ作業に着手する気にはなれない。
ハシゴや道具類を片づけて、大急ぎで浴室へ。
作業着などを洗濯し、洗っている間に、水浴び。
この水浴びが楽しみで炎天下での作業をやっているようなものなのだ。
九月の4日だが、水道水の水が気持ちいい。
水道の水を浴びるのが快適なのは、今年に限っては、もうしばらくは続きそう。
猛暑は困るが、風呂(給湯器)が壊れている我が家としては、水浴びが気持ちいいという楽しみが齎されている。
やたらと長く続く猛暑の夏の皮肉な賜物である。
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