父の蒐集熱のこと
父母の遺品の整理を、毎日、少しずつやっている。
母のもの(の一部)は、奥の奥の開かずの一角にあり、手付かずのまま。
但し、手を付けやすい場所にある品々は整理し、残すべきものは残した。日記や写真はもとより、民謡関連の遺品(名取りの看板や免状、和服(帯)などなどである。
奥の一画は、小生の帰省の折の居住スペースの奥になっており、もう何年も前に使わなくなった襖で塞いでしまって、中に立ち入れなくなっている。
ご丁寧にも、襖の手前にデーンと机などを置いてしまってあるので、仮の滞在部屋の片付けが終わらないと、立ち入れないわけである。
まあ、慌てずとも、近いうちに調査に入れるだろう。
さて、今日は父の遺品の一部、蒐集した品々についてメモっておく。
何でも集めて整理するのが性分みたいな人だった。
日記類は勿論だが、手帳も(恐らくは)全部、保存してあるのではなかろうか。
父が幹事(世話役)を務めたと思しき旅行会の資料集(旅行ウラン(案)や会計帳簿も含め)、神社や町内会の世話役を務めた際の資料の数々、国鉄マンだった父ゆえに、鉄道関係の資料が各種……。
まあ、これらは蒐集品というより、個人的な資料集と言うべきだろう。
蒐集した品々を品目名だけリストアップしてみる(以前も簡単にメモったが、ここで総纏め)。
古銭(新しいものも)、切手、お酒のラベル、マッチのラベル、栞、ポケットティシューの広告のチラシ、一合マス、ペットボトルのキャップ、扇子、団扇、俳句などの献呈本、時代(歴史)小説、道中手形、お寺のお札、お猪口、篆刻作品少々(ほとんどが自作だが)……。
父と小生で収集品の品目が重なっているのは、栞とポケットティシュー(但し、小生は、ポケットティシューを未開封(未使用)そのままに、ダンボール一杯)、団扇くらいのものだろうか。
切手は小生が小学生だった一時期、集めていたことがある。但し、おカネがないので、宇宙に関連するデザインの(使用済みの)切手を少々。
すぐに飽きてしまった。
父が集めてないもので小生が集めたものというと、美術展のチラシ。
父も小生も集めているが、小生の蒐集が勝っているのは、栞だけだろう。
歴史(時代)小説の本は父が蒐集していたわけじゃなく、好きで評判の本や気に入った作家の本が出るたび、買い漁っていたら、自然と集まったもので(あるいは、処分しないで残したというべきか)、書棚には二百冊、並んでいる。
結構、壮観だ。
お酒のラベルは、お好きが昂じてのもの。お酒の王冠も一時期、集めていたような記憶がある。
日本酒のラベルは、ある時期まで立派に額装して、部屋に飾ったりしていた。
集めすぎて、到底、額には入りきらず、小箱や封筒にドサッと納められている。
一合マスは何十個あるやら。
ポケットティシュー(の中の広告チラシ)を父が集めていたってのは、遺品の整理をしていて初めて気がついた。
お酒のラベルにはくらぶべくもないデザインだが、それでも集めたのは、父の性分なのだろう。
ペットボトルのキャップなんて、どうして集めるのか、その神経が理解できない。
でも、ある程度以上集めたら、それなりの意義は出てくるのだろうが。
団扇や扇子は、集めたというより、集まってしまったようである。
旅行好きで、旅行を企画するのも世話するのも好きだったから、それだけ思い出が残り、勢い、関連するグッズを集める熱も高まったのだろう。
小生も団扇については、多少は集めているが、但し、貧乏な小生のこと、おカネを出して買った団扇はないはず。
古銭も、ある時期まで(多分、篆刻におカネがかかるようになるまで)熱心に集めていたようだが、おカネが掛かるので、尻切れトンボになっている。
道中手形は明らかに意図的に集めていたようで、玄関から茶の間への廊下の天井に、通り過ぎる者たちを見守り見下すように吊り下げられている。
マッチのラベルも、一時期は熱心に集めていて、これまた額に入れて飾っていた(今も、小生の帰省の折の居住部屋に飾ってある)。
他に、これも収集品とは言い難いが、篆刻(や俳句)を趣味としていただけに、篆刻関係の事典類が、豪華本を含め、結構な数、揃っている。
俳句全集なんて古書もある。
献呈本も何十冊とある。俳句や篆刻、書道に熱心だった、文化人の端くれ(と一部には看做されていた)のゆえの結果と思われる。
人に拠るのだろうが、モノを蒐集するって、人間の性癖なのだろうか。
集め始め、段々、量(や質)が充実し、欲が出始め、凝りに凝っているうちに、ある程度の年代になっている自分に気が付く。
そうなると、集めたって仕様がないという気持ちにもなろう(多分)。
自分の体に衰えを覚えだしたとき、蒐集品に対する気持ちに何か複雑なものが混じってくる…に違いない。
小生の場合、体の衰えの前に、経済力で切手は小学校のうちに諦めたし、社会人になっても、集めるのは栞や美術展のパンフレットといった、おカネの掛からないモノばかり。
テニスやスキーやゴルフ、バイクと、ひたすらその時その時に消尽することに精を出していたような気がする。
この辺りに、人生観というと大袈裟が、小生の性分の一端が垣間見られる気がする。
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