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2010/09/19

ジェリコー『メデューズ号の筏』からターナーへ

 ある本を読んでいたら、「メデューサ(メドゥーサ)」という言葉に久々に出合った。
 ギリシャ神話に出てくる魔物である。

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← テオドール・ジェリコー『メデューズ号の筏(The Raft of the Medusa)』(油彩 1818年〜1819年 ルーブル美術館に所蔵) (画像は、「メデューズ号の筏 - Wikipedia」より)

 ふと、単純な言葉の連想で「メデューズ」という名前が浮かんできていた。
 言うまでもなく、テオドール・ジェリコーの、一度見たらその迫力に圧倒され印象鮮明に記憶に刻印されてしまう絵の一つ、『メデューズ号の筏』の「メデューズ」である。
 音韻的な連想かなと思ったが、実際、日本語では、「メデューズ(Méduse)号」は、「メデュース号、メデューサ号」と表記されることもある。
 しかし、紛らわしいが、「メデューズ(Méduse)号」の「メデューズ(Méduse)」は、ギリシャ神話のメデューサとは違うのである(たまたま日本語表記が似ているだけのようだ)。

 この数年、まともに絵画展などで生の絵に接していない。
 本ブログでも絵画を話題の俎上に久しく載せていない。
 今日は絵画の話題で盛り上がる ? !

 テオドール・ジェリコーに『メデューズ号の筏』という有名な絵がある。
 1819年のサロンに出品されたもので、ロマン主義宣言とも言えるこの絵画はすさまじいスキャンダルを巻き起こしたという。

 それは、「ここで芸術家は、初めて注文なしに同時代の出来事を描き、歴史画向けの大画面に無名の人々を描き出した」からであり、鬼気迫る人物たちの表情が表現豊かに描かれていて、絵の迫力が事件の凄まじさを雄弁に物語っているからでもあろう。

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→ 「カンバスの左隅に描かれた2人の死者のディテール」 (画像は、「メデューズ号の筏 - Wikipedia」より)

 尤も、一部には、飢餓など生存の危機に瀕しているわりに、描かれる人物たちの肉体が筋骨隆々過ぎるのではと皮肉るむきもあるようだが。
 史実は、「1816年のメデューズ号の遭難は、実は政治家の後押しで船長の地位に舞い戻ってきた者の無能さによって引き起こされたのです。救命ボートのない149人の船員は、唯一つの筏にぎゅうぎゅう詰めになって12日間漂流し、虐殺と狂気と人喰いを免れて生き残ったのはたった15人だけ」だったというもの。
 その際、「船長と何人かの将校だけが数少ない救命ボートに乗り込んで脱出をはかった」のである!

 事件の詳細や絵を描くに際しての調査と習作などに付いては、「メデューズ号の筏 - Wikipedia」などを参照願いたい。

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← テオドール・ジェリコー『メデューズ号の筏におけるカニバリズム』(ルーブル美術館蔵。紙にクレヨン、インクウォッシュ、グワッシュ。28 cm × 38 cm) (画像は、「メデューズ号の筏 - Wikipedia」より)

 上記した「描かれる人物たちの肉体が筋骨隆々過ぎるのでは」という点については、「やせ細った哀れな身体で見る者の同情を買うのではなく、どんな状況下でも生き抜こうとする人間たちの闘いのドラマを描こうとした画家の強い意志だったに違いありません」という見解もあったりするが、小生には釈然としない説明に感じられる。
 実際、「この人間ドラマを描くために、ジェリコーは、生き残った乗組員に会って当時の状況をつぶさに取材し、制作には1年余を費やしたと」か、「近くの病院に通って瀕死の病人の肌を観察したり、処刑された犯罪者の首や手足をアトリエに運び込んでスケッチしたとい」うのだから余計に何か不自然さを感じる。
 痩せてガリガリのはずなのではないか。
 それとも、ジェリコーは、筋肉の盛り上がりや逞しさを通じて、暗にカニバリズムを経て生き残った者たちを描いたとでも言うのだろうか(かなり無理筋の推測であろう)。

 体色のリアルさに引き比べての不自然なほどの隆々たる筋骨というのは、時代の限界なのか。
 ミケランジェロ(システィーナ礼拝堂の最後の審判!)とまでは言わなくとも、小生には、西欧絵画で描かれる男性の逞しい肉体像の伝統がジェリコーに圧し掛かっていたからなのではないかと思えたりする。

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→ ターナー作『海難』(『アムピトリーテー号の難破』とも)。(1833〜35年171.5 cm × 220.5 cm 。テート・ギャラリー蔵) (画像は、「メデューズ号の筏 - Wikipedia」より)

 このテオドール・ジェリコー作の『メデューズ号の筏』は、恐らくは高校生の頃だったか、美術の教科書か、その頃に読んだ絵画の本に出ていたのではなかったか。
 この海難の絵は、確かに印象的なのだが、後年、確か社会人になっていたと思うが、ターナー(1775–1851)の描く海難の絵に圧倒され、ジェリコーの世界は、背後に押しやられてしまった。

 ある意味、ターナーの作品世界との出会いが、後年の小生の抽象表現主義やアール・ブリュへの傾倒の呼び水となったような気もするのである。
 

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