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2010/09/02

父母の遺品の整理に着手

 この数日、父母の遺品の整理をしている。
 捨てるべきものと残しておくものとの判別を日々、迫られる。
 布団(寝具)類は、基本的に捨てる。

 衣類で、下着や古着の類いはタオル同様、迷うことなく捨てることができる。

 衣類でも、スーツ類は迷う。
 迷うというのは、例えば、父は小生より身長が5センチほど高い。
 よって、そもそもサイズが違う。
 仮にズボンの長さは裾を調整するとしても、今度はウエストのサイズが大きく違う。
 父のウエストは80センチ足らず(…晩年は70センチ台前半)。
 小生は、過日、チノパンを購入した際、ウエストを測ったら94センチ(これでも、減ったのだ)!
 長さのみならず、ウエストを十数センチも縮めてまでズボンを穿く気になれない。

 上着のほうは、新しそうなものは、まとめて取っておいた。
 今の日本で、いくら新しいものとはいえ、衣類を引き取る人はいるものか。

 バッグ類も、カビが生えたようなものは迷わず捨てることができるが、それなりに見かけのいいものは、とりあえず保存。
 誰も欲しがる人がいなければ、捨てるしかないだろう。

 さて、今は父の遺品を整理している。
 母の遺品については、後日、メモする(かもしれない)。

 父は鉄道マン(国鉄職員)として定年まで勤め上げた。
 当然、鉄道関係の遺品が幾許か残っている。
 中には給料明細やダイヤ表、機関区の発足の際のお偉方の挨拶状(父が代筆したのだろうか)、プレート、写真、業務日誌などなど。

 切手やコイン(一時期まで凝っていた)。カネが掛かるので、途中で放棄したらしい。
 お酒のラベル。一升瓶などに貼ってあるラベルを剥がし、アルバムに綺麗に整理保存してある(保存しきれないラベルも大量に)。
 お酒(瓶)の蓋。
 ポケットティッシュの広告。
 通行(道中)手形(旅行の際のお土産品)。
 ペットボトルの蓋。
 扇子(旅に行くたびに新規に購入していたらしい)。
 団扇、少々。
 ぐい飲み(盃)と一合升。
 栞。
 掛け軸(といっても、下記するが篆刻に関連した父の作品がほとんど)。
 

 ある時期まで俳句を嗜んでいた。
 なので関連の冊子(あるいは父の寄稿もあるらしい)。
 
 町内会や氏子としての世話役を担ったりして、関連の書類が相当数。地元の寺の檀家だったし、晩年のある時期まで、旅行の世話役(幹事、会計)もしばしばやっていて、その記録(帳簿)類も多数。
 農家(畑作も含め)だったので、関連の書類があれこれ(当然、納屋には農機具の残骸・遺物が多数)。
 竹竿が数十本、腐りかかって残っている。田圃でハサに使った柱もまだ残っている。
 納屋や蔵(ほぼ空)の整理は、来年以降。

 定年になってからの父が凝っていたのは、篆刻である。
 冨山で(も)有名な篆刻家の方が冨山で活動(会)を始められ、父は初期のメンバーの一人となり、凝り性の父は、それは熱心に研究・研鑽に勤しんだらしい。
(定年後のある時期、あるSL列車の特集番組にコメンテーターとして連続出演したこともある。そのビデオが録画され、残っている。何年か前、帰省した折、父がビデオデッキが欲しいから、一緒に買いに行けと小生に言った。父がそんな指示を小生にするのは珍しいなと思っていたら、あとで、そうだったのか! と気付いた次第)。

 趣味と農作業(や盆栽)を除けば、国鉄マンとして真面目に取り組んだ父なので、定年を迎え、一時は気が抜けたようになったらしい。
 その心の穴を埋めたのが、いろんな活動に携わることであり、とりわけ篆刻だったようだ。

 その篆刻の石が家中にあるわあるわ。
 一個一個が小さいながらも石なので、お菓子か何かのさして大きくはない箱に詰めても、重い。
 その小箱が十箱ほどになったが、それでも、まだ家の中の方々に篆刻の石が放置されている。
 無論、篆刻(ハンコ)なので、それなりの紙に印影が押されて、それが作品として残されている。 
 展覧会で受賞し、主宰した読売新聞(地方版)に、父の名前はおろか、顔写真が載ったこともある。

 俳句、そして篆刻などもあって、父は地元では文化人の端くれだったようだ。
 その証拠となるかどうか分からないが、俳句などの自費出版されたような句集が何十冊も書棚に並んでいる。多くは寄贈されたものと考えていいのだろう。

 その書棚には本が一杯。
 父は本を読むのも好きだった。
 篆刻や俳句などの専門書籍は無論だが、好んで読む本は、歴史関係。
 所謂、歴史小説や時代小説である。
 文庫本(新書)を除いた、単行本だけでも、歴史関係の本は二百冊はある。
 
 若い頃に読んだ本は大半は処分したと思われる。
 というのも、十数年前、父母の寝室(縁側と母の化粧スペースを兼ねての四畳ほどの書斎も)を新築(改築)し、作りつけの書棚を備えたので、その際、古い本を処分したと推測される。
 その場に立ち会ったわけでもないのに、なぜ、推測が可能かというと、小生がガキの頃に見た、大量の文庫本が見当たらず、書棚の文庫本は、どう見てもこの十数年のうちのに購入(刊行)されたものばかりだからである。

 時代(歴史)小説も、定年後、時間ができたので、新たな分野として読み漁ったのだろう。
 小生が小学生の頃、折々、開いた十数巻の百科事典もなくなっている。2巻だけ、何かの重し代わりに、何処かの書架の片隅に残っていたが。


 その外、稲作や畑作は勿論、数年前まで真面目にやっていた。
 さらに、盆栽にも凝った。手塩に掛けた何十鉢もの盆栽が木の台の上に、自慢げに並べられていた。
 母も庭の手入れをしていて、花を沢山、咲かせていたので、我が家の庭は、両親には自慢の共同作品だったのである。


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