今日はガッカリ落胆の日
かねてより、四十九日も過ぎて父母のことも一定の区切りが付いたので、何かまともな職探しをする前に、まずは体のメンテナンスを最優先する、と公言している。
← 池内 紀 著『カフカの生涯』(白水Uブックス) 病院へは本書を持参。長い待合時間に読むつもりで。図書館の新入荷本のコーナーにあった。学生の頃から、カフカの小説に見入られ読み浸ってきた。せめて一冊でも原書を読みたくて、カフカの『変身』をレクラム文庫版で読んだものだった。…それにしても、カフカがメカ好き、飛行機好きだったとは意外だった。
ブログにも近いうちに入院加療の必要を書いているが、私生活でも、その必要、そしてその時期が近いことを公言している。
プライベートなことなのに、敢えて公言しているのは、自分の意思が薄弱で、いざその時期が到来したら、気持ちが挫けそうになるからである。
自分の中の、どうでもいいや、という負け犬根性がのっそりと顔を出し、なあなあのうちに日常を流し、体の支障を堪えつつ、従前通りの生活を繰り返しそうなのだ。
そんな自分を過去、何度も見てきた。
そもそも小生には行動力がない。
(肉体的障害が行動(力)を阻害してきたのは、厳然たる事実である。動くこと自体が億劫でならないのだ。他人にはシャイと受け止められる行動パターンも、理由の一端には体の支障があった(シャイな一面があるのは否定しないが)…。)
ブログ(ネット)でも、日常の中でも知り合いに公言(宣言)してきたのは、自分をある意味、外堀を埋めて、病院へ行かざるを得ない状況に追い込もうと思ったのだ。
小生の本来の目論見では、父母の四十九日、服喪の期間が明けたら、即、行動に移すつもりでいた。
先週には明けているので、とっくに入院加療していていいはずだが、世の中は侭ならない。
今月の半ばから二十日にかけて、父の姉の(遠い地からのお参りのための)里帰り、母の妹の御主人の四十九日の法要があり、共に、当家の主たる小生が関わらないわけにいかない。
父の姉の里帰りの家は、姉にとっての本家たる我が家だし、母の妹の御主人の法事には、やはり小生が参会しないわけにいかない。
これらの予定は、先月のうちに早々と決まってしまった。
(仕方ないので、時間が勿体無いし、入院加療が出来ない今、とりあえず、歯医者さんに通っている。)
以前、ブログ(日記)にも書いたが、小生が(小生としては)思い切った決断をしたのは、父の末期を看取ったのが大きな動機になっている。
小生の障害は、詳しくはここでは書かないが、呼吸器に関わるもの。
父が、肺癌で最期の時を迎えたその光景は、まさに小生の日々の睡眠の姿を彷彿とさせるものだった。
一度、息を吐く、しばらくハーハーと呼吸をする、が、すぐに呼吸が止まってしまって、ひょっとすると死んだのではと思えるほど、体が硬直し、周囲で見守る者たちをハラハラさせる。
やがて、肺の(横隔膜の)働きなのか、突然のように、賦活する。
息を止めて水中を泳ぎ、やっとのことで水面に顔を出したかのように、そう、喘ぐように息をする。
その繰り返しだった。
鼻呼吸のできない小生は、毎日、そんな睡眠時無呼吸(症候)の苦悶に喘いでいるのである。
睡眠時間は一時間も続くかどうか。体力が尽きて、眼が覚めてしまう(あるいは自分の鼾で驚いて目覚める)。
無論、睡魔は去ったわけじゃないから(あまりに浅い睡眠で睡魔がちょっとでも退散するわけもない)、しらばくしてまた寝入る。
が、小一時間も寝て睡眠の苦痛に疲労困憊して目覚める。
そんな繰り返しを二度、三度と繰り返すのが小生の睡眠。
目覚めた瞬間は、その日のうちで一番、疲れ果てている。
しかも、寝入るたびに疲労が積み重なっていく。
睡眠とは業苦の謂いに他ならない。
普通の人が活動する日中というのは、小生には、睡眠で体に溜まった、澱のような、鉛の体と化したような体を労わり、癒す、普通の人の睡眠の時間のようなものだ。
昼行灯にならざるを得ないのだ。
日中に動くなんて、しんどくてならない。
まして、普通の人のように夕刻になって仕事が終わって遊びに出かけるなんて、論外なのだ。
それでも、付き合いを求められたら、断りはしなかった。
お喋りも遊びも(可能な限りは)好きだし、付き合いたかったから。
但し、日中に付き合うということは、普通の人の睡眠によって疲労を取るという時間帯を犠牲にすることを小生の場合、意味する。
父は入院して四週間ほどで呆気なく亡くなり、遺言(書)も何も残してくれなかった。
入院した当初は、一ヶ月ほど、点滴をすれば、昨年みたいに退院できるものと思っていた(父も小生も)。
それが入院してみたら、末期の肺癌。
しかも、年齢的なこと(抗がん剤は体力的に無理、放射線も部位的に困難)、罹患の部位が治療(手術)の困難な部位。
遺言は残してくれなかったけれど、末期の喘ぐような苦しい息(呼吸)をする姿を小生に見せつけているようだった。
お前は、何としても、何をさておいても、体を、まずは呼吸器を直さないといけない、そう父が自分の体で伝えているように思えた。
十歳の頃からの苦しみに、そろそろ決着をつけてもいい時期なのだ。
先月のうちに決まっていた用事は、一応は片が付いた(今後も発生が予想される)。
そんなわけで、今日、総合病院へ行ってきた。
どの科で受診すればいいか分からず(お医者さんに知り合いは全くないし)、受診相談をした上で、当該の科へ。
受診した結果は、当科では治療が難しい、ということで、他の科を勧められた。
但し、他の科へ行っても、治療の目途が立つかどうかは分からない。
盥回しに終わるだけかもしれない。
原因(箇所)は分かっているのに、治療が困難だなんて。
今日、受診して、入院の日にちが決まり、来月のうちに入院・手術して、十歳の頃からの業苦(のうちの一つ)にようやくおさらばできるものと思っていただけに、落胆の念は強く深い。
十月中には入院・手術・加療の上、体力的に人並みに近くなって、社会復帰、という夢は、とりあえずは遠ざかってしまった。
ガッカリして病院を後にした。
無論、治療の希望が完全に潰えたわけではない。
でも、そんなに難しい治療とは想定していなかっただけに、悄然たる思いにならざるをえなかったのだ。
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コメント
こんばんは。
そんなご持病があったのですか。
僕は眠って目が覚めるとハアハアと息が苦しいということがありますが、医者、精神科の先生に言わせると不安によるものだろうと。
もうその精神科の先生とも大学時代から長い付き合いになりました。
それはそうと別記事にも書きましたが遺産相続にも期限がありますので其れを終わらせないとー。もう終わられたのかな。
医者もたらいまわしですか、都合よく行きませんね。
けど弥一さんタクシー仲間と温泉にいかれたりした記事書いておられたのに、そんな病気があったとは。
早くよくなるといいですよね。
投稿: oki | 2010/09/24 20:12
okiさん
okiさんの場合は、精神的なものが原因なのですか。
小生の場合は、器質的障害、手術の後遺症です。
お医者さん(診療科目)、たらいまわしです。
次は何処へやら。
まだ、見通しがつきません。
遺産相続の件、まだ手付かずです。
そろそろタイムリミットが迫っているような。
ボチボチ、動かないと。
親族で争うのは避けたいのですが。
投稿: やいっち | 2010/09/27 05:11