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2010/08/14

母の遺影のこと

 この一週間ほどは、家の周りのことをあれこれやっている。
 四十九日の法要の日が迫っていることもあり、お墓の掃除や庭木の剪定(伐採)、雑草刈りなどなど。
 本来なら先週の初め頃から着手できていたはずなのだが、日記にも書いたように、父母の葬儀にも参列してくれていた親戚筋の方のご主人が急逝され、日程が押せ押せになってしまったのである。

 今日も庭の整備作業を続けるつもりでいたが、生憎の雨で、予定が狂ってしまった。
 仕方なく、今日は家の中の整理。
 家の中だって、整理がまるでなってない。
 6箇所ほどある押入れの中がほとんど手付かず(しかも、それぞれに天袋が)。

 大きいものは布団で、ボリューム的にもそういった寝具が大半なのだが、業者にまとめて引き取ってもらうしかなく(さすがに衣類のように、燃えるゴミの日に纏めて出す、というわけにはいかないだろう)、手を下せない。
 取りあえずは、衣類のやバッグ類など、押入れの片隅に突っこまれているあれこれを片づける。
 バッグ類は(時に衣類にもだが)、たまに、中に現金が忍ばせてあることもあって、バッサバッサと捨てるわけに行かない。

 あるいは、何か大切な書類が保存されている可能性もある(通帳や証券で未発見のものがある可能性がないとは言えない)!。
 値打ちはなくとも思い出の品、記念となる品が潜んでいる場合もある。
 金目のものは我が手で処分するとして、折を見て形見分けをすることだって、考えていい(尤も、父母に極めて近い親戚筋のものでさえ、これだけは取っておいてと頼む者はいない…)。

 今日は二箇所の押入れ(の布団類の収納部分以外)を覘いてみた。

 衣類が一杯、詰まっている。バッグ類。小物類。

 父の登山靴など登山用具(一時期、登山に凝っていた)や旅行グッズ。
 旅行の際の計画書や収支計算書、町内会の案内書(の下書き)、大量の日記や家計簿、手紙類、民謡の歌詞(母は、三味線や民謡を習っていた)、とにかくいろんなものが整理されて、あるいはやや乱雑に収納されていた。
 
 そんな中、母の写真が大量に出て来た。
 何度となく民謡などのボランティアで旅行した際の記念写真が、時期毎に角封筒に収められていて、それらがまた、大きな袋に詰められている。
 思うに、母が体を害して(特に手先が不自由になって)、もう、民謡に携われなくなった数年前、母が民謡活動を断念した際、母の三味線や民謡の名取の表札や、歌を収録したと思われる音楽テープ、旅の際に新調したのか、何枚もの民謡らしいデザインの入った浴衣、帯、団扇、洒落た小物入れなどを整理した際、写真類も全て整理し、押入れに収納したのだろう。
 その押入れは、この数年、開かずの扉状態になっていた。
 その前には衣文架けがあって、父母の衣類が架けられていて、背後の押入れを敢えて覘こうという気になれなかった。
 
 写真については、父母の葬儀の際、ひと悶着があった。
 そう、表題にも記したように、遺影の写真をどれにするか、適当なものはないかと探し回ったのだ。
 が、生憎、適当な写真がなく、それでも、父に付いては、生前、元気だった頃の、やや普段着っぽい姿の写真に落ち着いた。
 普段着といっても、結構、お洒落な装い。

 車で家族で植物園にドライブした際のもので、にこやかな表情の父の写真を遺影として使ったのだ。
 大判にして祭壇に額に入れて飾るし、小型のものを作って(やはり額入り)、それらは、遺影の欲しいという希望者らに配った。

 さて、父が亡くなって17日目に母が亡くなった。
 その際にも、当然、遺影写真の捜索騒ぎが勃発した。
 喪主であり、息子である小生が家の中を探し回って、写真を見つけ出さないといけない。
 父の際の騒動が経験となっているのだから、今度は、ないとは言わせない雰囲気が、見つけ出さないとダメだぞというプレッシャーがきつい。
 
 しかし、父の際の経験があるとはいっても、母がそんなに早く亡くなるとは思ってないし、母が生きている間に適当な写真を探すほど、えげつないマネをできる我輩でもない。
 こっそり、探し回ればいいんじゃないの、という視線を強く感じたけれど。

 とうとう適当な写真が見つからず、親戚や近所の母と親しい方にも写真をおねだりする始末。

 結局、これはという写真が見つからず、母は82歳で亡くなったのだが、どうやら四十歳前後と思われる頃の、にこやかな表情の母の写真に落ち着いた。
 表情はいいのだが、母の格好があまりに普段着っぽくて、暗黙の非難の視線が強烈に小生に浴びせられたのだった。
 息子のくせに、この程度の写真しか出せなかったのか…。

 というのも、母が一番、輝いたのは、家庭での主婦としての母でもなく、町内会での世話人としてでもなく、日赤のボランティア活動の際の母でもなく、なんといっても、民謡に打ち込んでいた際の母なのである(小生が実像を全く知らない面でもある)。
 その民謡での活躍ぶりを示す写真が大量にあるはずだと、母の友人(一緒に民謡活動に勤しんだ方)たちに言われていた。

 しかし、母の写真を整理した父は他界してしまって、アドバイスはもらえない。
 母が亡くなって、すぐにも祭壇に遺影を飾る必要があり、家中を探して回る時間的な余裕もない。
 
 とうとう、上記したように、表情はいいし、若々しくはあるが、あまりに普段着すぎる格好の母の写真が遺影として使われる仕儀に相成ったわけである。

 その肝心の、民謡で輝いていた母の写真が、今日になって、押入れを整理していたら大量に見つかったというわけなのだ。
 今更、どうなるわけもない。
 不甲斐ない息子の、不肖の息子たる側面を改めて曝け出してしまった、ただ、そんな事実がみんなの記憶に残るばかりなのであろう。

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