ワインを嗜むように読書する
日々慌しいというわけではないが、あれこれあって、落ち着かない気分のままに、時間だけが徒に過ぎていく。
到底、じっくり読書三昧というわけにはいかないが、友が身近にいない小生、本を友として日々をやり過ごす。
語り合う相手、心底から関心を共有する相手がない以上、本を相手に孤独な会話をし、あるいは心の声に耳を傾ける。
そんな時間が、一日の間にどれほどあるわけではないが、たとえ寝入る前の数分だろうと、誰彼が心を傾けて織り成した世界に触れたいと思うのだ。
最近、手に取った本を何冊か、紹介してみる。
← A・コルバン/J-J・クルティーヌ/G・ヴィガレロ 監修の『身体の歴史 Ⅱ 19世紀 フランス革命から第一次世界大戦まで』(小倉孝誠 監訳 藤原書店)
図書館の新入荷本のコーナーにあった、A・コルバン/J-J・クルティーヌ/G・ヴィガレロ 監修の『身体の歴史 Ⅱ』(小倉孝誠 監訳 藤原書店)は、大部の本で読みきるのは困難に思えたが、身体への関心は一方ならぬものがあり、躊躇いつつも借りてしまった。
一部の章は読み飛ばしたものの、大半の章は興味津々で読了。
「身体に向けられた交差する視線」や「快楽と苦痛――身体文化の中心」の部は、面白さに惹かれて読み進んだのだが、「矯正され、鍛えられ、訓練される身体」の部の「障害のある身体の新しい捉え方」なる章は、身につまされる思いで読むばかりだった。
← アントニオ・R.ダマシオ著の『感じる脳―情動と感情の脳科学よみがえるスピノザ』(田中 三彦【訳】 ダイヤモンド社)
図書館の書架を物色していて、アントニオ・R.ダマシオ著の『感じる脳』(田中 三彦【訳】 ダイヤモンド社)を発見、即、手にしてしまった。
数年前、同じくアントニオ・R.ダマシオ著の本を読んで感銘を受けた記憶があり、今回、本書を読んで、彼の研究の背後というか前提にスピノザの思想があることを知って、ある意味、スピノザを改めて見直す切っ掛けにもなりそうである。
高校時代から学生の頃はデカルト一辺倒で、スピノザの聖人君子的な雰囲気にやや敬遠気味だった。
高校時代、中央公論社の『世界の名著』シリーズの中の「デカルト」の巻を読み浸っていたことを思い出す。
中でも『世界論(宇宙論)』でのデカルトの思索の緻密さに圧倒されたものである。
が、この数年は、遅まきながら小生もスピノザを再読しようと思っているところでもあり、その意味で、タイムリーな読書となった。
思うに、スピノザの哲学はあまりに透徹しており、思索の純度・透明度が高く、小生のような鈍な者にはほんの一端をも掴むことは叶わなかったのだ。
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コメント
「本を相手に孤独な会話」、「誰彼が心を傾けて織り成した世界」と読んで、恥ずかしながら、やっと読書の行為の意味するものが飲み込めて来ました。
もしかしたらここで読み落としていたのかもしれませんが、所謂「実用本的な科学読み物」などもその読者の趣向に係わらず、著者の思考や思索を覗くと言うでは「大層な物語」と同じものなのかもしれませんね。
実はその点で、失礼ながらやいっちさんにも一種の教養主義的な趣向というのがこうした書物への傾倒にあるのかなと思っていましたが - 実際そうした実用書的な読書傾向を持つ読者も少なくありませんが、 こうして伺うとそうした読書とは少し意味が違うなと今更ながら気がつくのです。
するとなるほどホーキンス教授などの書物はその典型で、彼の理論という以上に、彼の世界観とか広義な環境認識がとても興味深い読者との対話となりますね。
その意味からこうした身近な文章でもこうして読ませて頂くと、筆者の思索の世界に触れるような気がします。まさに「ワインを嗜む」なのでしょうか?
投稿: pfaelzerwein | 2010/08/18 01:49
pfaelzerwein さん
ペダンチックな傾向があることは否定できないかもしれません。
知的な興味、好奇心で身の程知らずな読書の選択をしている面もあるかもしれない。
でも、触れたいのは筆者の心底。渾身の力、心底からの格闘の結果…というより、格闘の熱気のようなもの。
文学書は古典は別にして、不勉強のせいもあって、新しい書き手で注目すべき人物を見出していないので、科学関連の書き手の著書の中に哲学も文学も思想も随想をも求めてしまう傾向にあるようです。
自らの寂しさを癒さないまでも、少しでも糊塗するには、密度と熱気の篭った世界で圧倒してもらうしかないみたいです。
ちょっと邪道な読み手かもね。
投稿: やいっち | 2010/08/18 21:02