墓を開ける
[本稿は、昨日の日記「今日は墓掃除」に続くものです。]
黒く成り果てた墓だが、昨年だって一昨年だって、つまり、お盆のお参りの際には、予め掃除はしている。
ただ、これまでの掃除は、おざなりとは自分では認め難いものの、やや簡単に済ませていたのは事実。
父が元気な頃は、小生がお盆の帰省をする前に、自転車に水(ペットボトル)や箒、チリトリなどを積んで、掃除していたらしい。
無論、墓の周りの雑草の手入れも。
父だけじゃなく、母が元気だった頃は、二人して掃除していたのだろうか。
情けないことに、雑談の中でも、お盆での墓掃除のことなど父母に尋ねてみたことがない。
今年は、お盆もだが、その後に四十九日の法要が待ち受けている。
しかも、納骨法要である。
少しは気合を入れて墓掃除もしないといけなかったわけである。
とりあえず、大よそのことはやったので、一週間後に改めて墓の(周辺の)様子を見に行くつもりでいる。
真っ黒に日焼けし煤け、苔さえ蔓延っていた墓も、薄っすら灰色っぽく変貌した。
周辺の立派な、立て直して間もないような墓には比べるべくもないが、清々しさは漂いつつあるような気は、する(気のせいかもしれないが)。
さて、いよいよ墓を開ける段階に至った。
墓掃除も、大体は終り、あとは最後に再度、お墓の頭から水をかけて最後のお清めをしようとした際、ふと花立やロウソク立てのある墓の前面の石のブロックを手に掛けて手前に引いてみた。
開く!
呆気ないほどに、あっさり開いてしまった。
開けたといっても、横30cm、縦50センチほどの石のブロックを手前斜めに傾けただけで、別に石(岩)の板をずらしたり、外したりしたわけではない。
板の下の部分を支点に板の上部を手前方向に引いただけである。
それでも、内部が覗ける。
内部は案外と広い。
当然ながら、墓石の内部だし、逆光気味ということもあり、内部は薄暗い。
薄暗い?
真暗で中を覗いても何も見えないはず、それこそ、懐中電灯などで内部を照らさないと中の様子は窺い知れないはず、という思い込みをあっさり打ち砕く、薄暗さだった。
しかも、気のせいか、墓石の内部の空間の奥のほうから幽かにだが光がこちらに向かって漂ってきているようにも見える!
まさか、墓の後部に穴がある?
そんなはずはない。墓の後部には水さえ浸み込む余地がない。
まして、光が差し込む透き間など、あろうはずがない。
恐らくは、炎天下でもあり、日の照り返しが真暗はなずの墓石の内部空間に漏れ込み、それだけでなく、小生の体か手持ちの何かに反射した日の光が、墓石の内部の岩壁か、それとも、納められている甕の表面に乱反射したのだろう(だよね?)。
ひんやりしているような(内部に手を差し入れたわけもなく、内部空間の気温は分からない、あくまで印象ではひんやり、というだけである)、静寂の極みのような墓石の内部右側に、骨甕が数個、奥方向へと並んで置いてある。
(少々、ビビッていて、それに内部を照らす灯りも持参していなかったし、幾つの骨甕などが置いてあるのか分からなかった。今度、懐中電灯を持参で墓掃除に来よう!)
内部の左側は、右側よりやや高くなっていて、そこは平たいので、あるいは次の骨甕はその左側の平らな部分に置けばいいのかもしれない。
見た印象では、父母二人のそれぞれの骨甕を納めるスペースは十分にありそう。
お墓の掃除をしたけれど、墓石の内部も掃除すべきなのか…。
それにしても、こんなにもあっさり墓が開けるなんて、想像だにしなかった。
これじゃ、墓荒らしが横行するわけである。
巷間の噂に拠ると、女性の骨甕の盗難が一時期、連続したことがあったとか。
その日の夕方、母の二七日(二度目の七日)の法要があり、近所の住職が来てくれた。
その際、雑談の中で、墓掃除をしたこと、墓があっさり開いたこと、などなどお喋りをしたが、その中で、住職が上記の話は実際にあったことと教えてくれた。
四十九日の法要の際の段取りや、用意すべきこと、留意事項などもあれこれと。
お墓に納骨するのに、埋葬許可書なんて、要らないってことも。
墓を開けるのに、石の専門業者を呼ぶ必要はないってことも。
あくまで新しい墓の場合、特別な注意点があるってことのようだ。
とにかく、懸案事項だった墓石を開くという課題を果たせ、安堵した。
やや重苦しく圧し掛かっていた課題もクリアーし、今日、月曜日は土曜日に続いて草むしりに庭木の剪定。
(一時間余り、やったが、途中でまた眩暈。慌てて切り上げ、水浴び、スポーツドリンクをグイッと。)
とにかく、四十九日の法要の日まで、見苦しかった家の外も、ある程度は綺麗にしたい。
松や杉などの大木は、素人には手の施しようがないけれど。
今日は他にも大きな用事を果たした(ある必要な書類を入手するため、富山市から20キロ離れている高岡市までドライブした。郵送で申請しても間に合うのだが、まあ、半分はドライブである。実に久しぶりのドライブ。帰郷してほどんど初めてではなかろうか)。
まだまだやるべきことがたくさんある!
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