富山大空襲と母のこと
母とのことは、まさに思い出話の形でしか話すことができなくなった。
そんな愚痴を呟いているたった今、外から花火大会での花火の音が喧しい。
大会の会場からは少々離れているのだが、音、そして響きは腹にも心にもズシンと来るものがある。
← 山下清『富田林の花火』(画像は、「山下清「富田林の花火」 ギャラリー小山 自由が丘にある画廊 山下清の絵画,版画を通信販売(通販)」より)
それは、花火の炸裂する凄さにも拠るが、富山市での花火大会の持つ、特有な意義の所以でもある。
そう、富山大空襲の悲惨を忘れないため、空襲で亡くなられた方々の冥福を祈るため、戦争の悲惨を繰り返さない、という意味と意志を篭めての花火大会なのである。
今日は、花火大会の日にちなみ、富山大空襲に絡んでの母の思い出話を載せてみる。
「花炭…富山大空襲」より抜粋である。
「富山大空襲と母のこと」
小生の母は戦争中、富山市の外れにある軍需工場で働いていた。徴用され寮で生活していたとか。そして昭和20年の富山大空襲に見舞われた…。そんな話は幾度か母から聞いたことがある。
たまたま、小生は帰郷していたその日(15日)、富山でテレビを見ていたら、父が「富山大空襲」を特集する番組に切り替えた。テレビでその経緯(いきさつ)や後に分かった情報などを視聴しながら、母の思い出話へと繋がっていったわけである。
(富山大空襲のことについては、「「富山大空襲」のことを知って下さい!」などを覗いて欲しい。)
8月1日の夜中、空襲警報が鳴り、富山の市街地に米軍機B29(170余機)による空襲(空爆?)が始まった。母は誰かに導かれるままに、寮の仲間等と一緒になって、神通川のほうへと命からがら逃げていったという。その際、数知れない焼かれたり傷付いたりしている死骸を見たとか。
神通川の橋なども爆撃を受け、川をどうやって渡ったのか、まるで覚えていないという。 さて、母は不二越にある軍需工場に徴用され、働いていた。
米軍機B29の本来の攻撃目標は、建前からしたら、軍需施設をターゲットにするはずである。
少なくとも、軍需関連施設を叩き、その余勢で(余った爆弾で)市街地も焼夷弾で焼いたというのなら、理屈は分かるが、15日の特集番組で分かったことは、米軍は軍需関連施設をターゲットには設定しておらず、富山市の中心部にある富山城や富山市役所の交差する近辺を中心に半径1キロ余りを焼夷弾投下のターゲットに設定したというのだ。
つまり、市民の殺傷こそが目的だったわけだ。番組では実際に富山などに焼夷弾を投下した乗務員の人などに話を聞いたりしていたが、その中で当時の米軍兵は、我々の目的は市民を殺傷することにあったわけではない。軍需施設が目的だった、その証拠に、空襲する前(前夜?)に、ビラを撒いて警告していたという。
ビラなど、戦争下にあって、何ほどの意味を持つか、戦争を体験したものたちは知っている。敵国の情報など信じるなどありえないし、父によると、そんなビラを持っていたら、即座に没収だったという(「<リーフレット作戦>として、4万5千枚が、B29から撒かれた、ほとんどが軍や警察によって回収された」)。
しかも、空襲は真夜中であり、一旦、B29の編隊が富山の上空を通り過ぎ、「空襲警報解除」となって市民が安心したところ、後続の部隊が飛んできて、夜半過ぎになって攻撃が始まったというのだ(「空爆時間は、8月2日午前0時36分から、111分間」)。「寝こみを襲われ」たわけで、まさに、不意打ちであり、アメリカが忌み嫌う奇襲である。
番組で証言したある方によると、市街地が焼け熱さに市民が神通川へ水を求めて逃げ惑うと、河原や川に飛び込んだ、その群衆目掛けて焼夷弾が更に追い討ちをかけるように投下されたという。
これなどは、純然たるジェノサイド(大量殺戮)ではないのか。
上で紹介したサイトの「イントロダクション」によると、「死者2千7百人以上、負傷者約8千人ーーーー全国平均を大きく上回る」であり、「人口1千人当たり、約16人。同全国平均は、8.7人」だという。
また、番組の情報によると、もともとは富山市は攻撃目標として重要視されておらず、通常の攻撃対象だったという。それが、突然、「full force(最大努力…最大兵力」による攻撃に変更された。戦力を富山に傾注したというわけである。
富山市のような中小都市に対し、「東京大空襲に匹敵する量の焼夷弾を投下」したのは何故だったのだろう。しかも、わざわざ軍需施設のある区画は狙いに入っておらず(番組では米軍の撮った写真が紹介されていて、そこには攻撃目標が手書きの丸い円で示されている。爆撃機の侵入航路も示されてあった)、市街地の殲滅になってしまったのか。
昨日の番組でも示されていたが、再度、上掲のサイトを参照させてもらう。
「「富山大空襲」の被害を大きくした四つの理由」という項目があり、「①「空襲警報解除」で、一安心したところを襲われた。(最初の一団は、長岡へ)」は、既に示した。
この①もひどいものだが、以下も陰惨な理由である。
②米軍にとって、二つの意味で「祝賀大爆撃」だった。
「これ(=第13回の大挙出撃)は、陸軍航空部隊の第28回記念日にふさわしい祝賀であった。またカーチス・E・ルメイ少将に対するすばらしい餞別となった。同少将は米国戦略空軍の参謀長となるため、第20航空軍の司令官を辞任する前に、この攻撃を自ら計画し、かつ指揮したのであった。」 (1945年8月2日付ニューヨークタイムズ)
「陸軍航空軍記念日である8月1日の攻撃は、持てる空力を駆使し、あらゆる努力を払うよう指示する。(米本国陸軍戦略航空軍司令部から、第20航空軍「現地」司令官への指示文書)
③「逃げずに消火活動をせよ」と日ごろから指示され、避難を阻止された。
防火用水、火たたき、バケツリレーなどによる「防火演習」がしばしば行われ、空襲の際には「踏みとどまって火を消せ」との指導が徹底されていた。
④「日本政府が、ポツダム宣言を黙殺したことへの報復」との説が、近年有力になっている。
③については、番組でも当時の体験者が語っていた。市街地が猛火で消化など論外になっていたのに、逃げようとすると警官が市民を押し留め、消火活動に携われと命令されたとか。
①についても、日本の軍部当局から今日の空襲は富山だから、富山は頑張るようにと<励まされた>と市役所の当時の担当者だった方は証言していた。
市の中枢にもその情報は伝えられていた。なのに、B29の編隊が富山上空を通り過ぎたからということで、「空襲警報解除」という措置は、納得できるはずもない。今となっては遅きに失したかもしれないが、当時の役所関係者の正直な証言が求められるところである。
富山大空襲は、日本がポツダム宣言を無視か黙殺したことがあり、しかも、ちょうど、アメリカ陸軍航空軍記念日であったことなどが重なって、「「市街地目標区域」の99.5%を焼失。(全国一の焼夷率)」という悲惨な結果を招いたわけである。
けれど、アメリカの陰湿なやり方のため、軍需工場で働いていた母は助かったことになるのだが。
← 山下清『長岡の花火』 (画像は、「【楽天市場】【夏・夜・花火!※1点即発送可能!】山下清『長岡の花火』リトグラフ【リボ払いCP】:アート・静美洞 shop」より)
参照(関連)拙稿:
「花炭…富山大空襲」
「花火大会と空襲の間に佇む」
「花火大会の夜に」
「「線香花火の思い出」など」
「花火見物、二題」
(10/08/01 作・編)
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