フロイトの骨董趣味
岡田温司著『フロイトのイタリア』(平凡社刊)をポツポツ読み続けている。
まだ、半ばほども読んでいないので、感想も書けないが、今日、読んだところで、ちょっとメモっておきたい点があったので、日記に書いておく。
→ 6月末のある日、未明の仕事の途中、黎明の光景を愛でつつ一服。
フロイトの考古学への関心の深さは研究者ならずとも、多少なりともフロイトの本を読み齧った人なら知っている。
考古学への関心は、精神分析とも深く関わっていて、心の深層を探ることは、文化の古層を掘り起こし、現代(今)に呼び起し、今の縺(もつ)れ絡み合った心の異常を少しでも解(ほぐ)すことに繋げる、そんな思いがあるようだ。
歴史以前の古層を探ることは、忘れ去れた、あるいは表層からは消え去った、古の何かを探り出すこと、そうした古傷の積み重なりが今の心の状態と絡み合っているに違いないと考えたくなるのは、分からなくもない。
しかし、古を掘り起こすことは、潰え去った過去を、白日の下に曝け出すことなのか。
今(という野蛮)で過去を荒らすことに他ならないのではないか。
そもそも、古層はそんなにうまく掘り起こせるのか。
土の下に埋もれ、長い年月の間に腐ったり、形を変えたりするだろうし、そもそも、埋もれた時点で、破壊されることもあったろう。
エジプトの遺跡の場合のように、壁面などに残る文字(記号)を読み解くことが常に可能とは限らない。
文字を持たない文化が多かったろうし、あっても、支配者(侵入者)によって文字(記号)の痕跡が掻き削られたり、上書きされたり、いずれにしても、運よく遺跡が日の下に現れても、さぐる手掛りが略奪などで失われている場合のほうが圧倒的なのだろう。
上で、フロイトの考古学への関心と書いたが、やや綺麗な、当たり障りのない表現というしかないようである。
フロイトの居住し研究に勤しんだ「部屋は、床、テーブル、精神分析に使う長椅子を覆う東洋の敷物の様々な色彩でほの赤く、壁にはベルクガッセ 19番地から取り外して運んできた本棚が並んでいて、フロイトの専門的な興味 (神経学、心理学、精神分析学)と、考古学、古代史、人類学に対する強い情熱を反映した書籍が詰まっています。書籍に混じって、何百もの骨董品が詰まったガラスケースがあります。これらの書籍と戸棚の中身が、フロイトの知性を保ち、人々に「夢の秘密が現れた」といわれたこのウィーンの神経学者の想像力を養った原材料なのでした」。
考古学と言い条、下世話に表現すると骨董趣味、骨董品蒐集である。
遺跡の発掘現場に立つことが、実際に発掘に携わったことがあるのかどうか、分からない。
むしろ、経済的余裕ができると共に、弟子らに言いつけて、買い漁っていたようだ。
それどころか、上掲書によると、発掘現場で実際に作業に携わる現地の連中を買収したりして、掘り出した遺物を集めていた(そういった事実が弟子との往復書簡などを通じて分かってきた)というのだ。
ほとんど盗品 ? !
もう、一世紀も昔のことで、今とは事情が違う。
欧米諸国が世界中の富を、文化を、遺跡を、遺物を奪い去って、その巨大な遺産が美術館や博物館の豊富な収集品の基礎を成している。
そして、集めた遺物を解釈し説明を施すことで、世界を説明しようとしたわけだ。
考古学とは何か、なんて大上段に振りかぶった論議は小生には無理だ。
ただ、どんな場合でも、今の時点での(研究し分析し解釈する現時点での)文化や政治情勢、経済情勢、学界の動向、研究者の関心と絡み合い縺れ合う形でしか、研究成果は形にならない。
文化の古層であろうと、個人の心の深層であろうと、生のもの、無傷のままのものが、そのままに摘出されるはずもない。
万が一、息衝く古の臓物が摘出されたとしても、生身の体から、大地から白日の下へと晒された瞬間、命は失われる。表層は乾く。内臓は腐る。僅かに生きていた組織も複雑に癒着し、無軌道に縫合し、何か全く得体の知れない異物へと変貌を遂げる。
どっちにしても、生きている我々の色眼鏡は、度が極端に強いのである。
← 岡田温司著『フロイトのイタリア』(平凡社刊)
まあ、そんなことは今更、言うまでもないことだろう。
それでも、土の堆積を、心の澱の深みを探る営みに意味なしとはしない。
骨董品を眺めたり撫で回しているだけで、あるいは、骨董品の居並ぶ部屋に住み暮すだけで、何か感じるもの、空想を逞しくさせるものを感じるものだ。
その際、掘り出し、見つめ直す営みが、見つめ考えるものに事実(とやら)を真正面から向き合う勇気がある限り、それまでよりは一歩、高く広い展望が齎(もたら)される…かもしれないのである。
フロイトの著作が、いろいろ批判があっても、現代でも読むに耐えるのは、時代のモラルや常識に抗し、古層を古傷をまさぐろうとする知的勇気と誠実が彼にはあったからだろうと、今は当たり障りのない感想を述べるに止めておく。
「収集家としてのフロイト展」参照。
(10/07/04 作)
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