母の末期
母の死は、とても静かなもの。まさに眠るが如く。他人にはそう言っている。別にウソじゃない。ただ、母が最後に小生を見つめる目は、とても悲しい、寂しいもので、涙を浮かべているようだった。
(葬式でも、母の死について語る機会がある際には、母の死は眠るような静かな死、苦しまずに亡くなったのが、せめてもの救いです、なんて言っている。でも、これはよそ様向きのコメント。母(と小生を巡るそ)の内実は、如何なるものだったのか、そこにはなかなか曰く言い難いものがある。)
お前をそういう人間に生んだのは自分のせい…、そう母は自分を責めていたという。それだけに小生のことは見守ってきたけれど、もう辛抱しきれなくなった。不甲斐ない自分に呆れ果てのだろう。
(確かに背負うものを背負って生まれてきたし、今もその業を背負い続けている。)
今となっては、自分にはお前に何もできない。自分はこの世でやることはやってきたし、(お前のことを除けば)未練もない。この上は、先に行った父の元へ旅立つ。一人暮らしに馴れていない父の元へ。
最後は何も語ることもなかった母。息が苦しくて言葉が出てこなかったのかもしれない。末期の目で小生を見つめているように見えたってのも、小生の思い過ごしで、空ろな目には何も見えなかったのかもしれない。
母が小生をこのように産んだということで、自分を責めていた…。違うってことを断固、母に分かってもらうには、小生が幸せになること、連れ合いを見つけ、母は遠くから見守るだけで十分だと感じ取ってもらうことに尽きたのだろう。
けれど、小生は最後まで甲斐性なしだった。自分のことについては、母が自らを責めたままに終わらせてしまった。このことは、一生の悔いになるだろう。
(だから、母の末期は、小生の末期の始まりでもある。)
(10/07/30 作・編)
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