喪中
7月26日(月)午前10時53分、母が永眠いたしました。
7月9日(金)午前9時10分、父が永眠いたしました。
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7月26日(月)午前10時53分、母が永眠いたしました。
7月9日(金)午前9時10分、父が永眠いたしました。
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コメント
数日間更新がないのでどうされたかと思っていました。どうか気を落とされませんように。僕は父が死ぬ時不思議な思いをしたのです。うたた寝していたら夢に父が急にあらわれて、もうすぐ病院から電話があるよと。そしたらしばらくして本当に電話があり父危篤だと。やはり魂というのは在るように思うのです、死後も存在する魂が。49日まではなにかと大変で辛いと思いますが、健康には注意して過ごされてください
投稿: oki | 2010/07/13 18:13
やいっちさん、お久しぶりです。
お父様の訃報心から、お悔やみ申し上げます。
お母様は、大丈夫ですか。
お忙しいでしょうが、やいっちさんも無理をしないでください。
投稿: さと | 2010/07/13 19:08
お父さんの訃報、心よりお悔やみ申し上げます。
毎日のこの暑さ、疲れを起こしませんように。
投稿: 吾亦紅 | 2010/07/13 22:19
okiさん
弔意、ありがとうございます。
小生の場合、予感させるようなことは何もありませんでした。
全くの不意打ち。
6月末には、余命が長くて半年、場合によっては三ヶ月と主治医に聞かされていました。
それだけに、青天の霹靂だったのです。
さとさん
弔意、ありがとうございます。
実を言うと、母も微妙な状況にあります。
なんだか、二人、示し合わせたような感じです。
吾亦紅さん
弔意、ありがとうございます。
日々、あれこれやることがあって、悲しみに浸る余裕もありません。
でも、外出から真暗な家に帰ると、一人を実感します。
一人にはやたらと広い家。ガランとした家の中。
投稿: やいっち | 2010/07/14 19:55
やいっち様、お悔みもうしあげます。
「病院の方へ急いで来てください。」そろそろ寝ようとしてきたときにかかってきた電話のこと、昨日のことのように思い出しました。
富山の方ではどうかわかりませんが、私の方(高岡近辺)では「ご愁傷さまです」などという言葉はほとんど聞かれず、「寂しなられたね。」と皆さんから声をかけていただきました。不肖の子は、両親を亡くしても未だにひとり立ちできていませんが。
まずは、いろんなしきたりのなかで事を進めていかなくてたいへんかと思いますが、弔いが終わったらゆっくりおやすみください。
投稿: かぐら川 | 2010/07/15 01:29
かぐら川さん
18歳で富山を離れ、盆や正月などに数日、帰省するだけの小生なので、富山の風習がまるで身に付いていない。
近所づきあいもナシに等しい。
なので、通夜や葬儀、その後の始末など、何もかも、親戚筋の方たちに教えてもらいながら、でした。
お寺との付き合いかも分かっていない。
亡くなって初めて、父のことを知ったことも多々あります。
父の死の重みは、これから歳月の積み重ねと共に増していくものと覚悟しています。
投稿: やいっち | 2010/07/15 20:39
こんばんは。
お父上が亡くなられたとのこと、大変だったのでしょうね。ご愁傷様です。お豆腐昔は2丁との話、悲しい話ですね。
投稿: シゲ | 2010/07/23 19:02
シゲさん
弔意、ありがとうございます。
覚悟はしていたつもりでしたが、でも、あと半年は頑張ってくれる…なんて思っていて、ほとんど準備もできておらず、今、あれこれと苦労しています。
親は傘、あるいは屋根って今になって実感している。
母も…。
投稿: やいっち | 2010/07/23 21:24
ご愁傷様でした。拝見していて何かコメントをと思いつつ、どう表現して良いか迷っていました。お母様も大変なようですし。
ただ、ここ1年少々ですか、東京から富山に移ってからの悪戦苦闘、これ以上長引くとやいっちさんのほうが心配だと感じていました。高齢の両親を同居ではないですが、近くで見ている身としては、明日は我が身です。
お体お大事に。
投稿: さなえ | 2010/07/26 11:08
さなえさん
コメントのなかなかしづらい記事に、メッセージ、ありがとうございます。
既に昨日となりましたが、父の後を追うように、母が永眠いたしました。
静かな死でした。
今、自宅に戻り、安らかに眠っております。
投稿: やいっち | 2010/07/27 01:27
かさねがさね、ご愁傷さまです。
なにか最後まで仲のよかったご両親だったのだと感じました。東京から帰郷されて、長くて短いような月日でしたね。本当にご苦労様でした。
ご自身も無理をなさらないように、ご自愛下さい。
投稿: pfaelzerwein | 2010/07/28 00:26
pfaelzerweinさん
メッセージ、ありがとうございます。
母が、父を追いかけるようにして亡くなったのは、正直、ショックです。
静かに、眠るように亡くなったのがせめてもの慰めです。
けれど、最後に目を閉じる瞬間、不甲斐ない息子に呆れ果て、今まで辛抱し続けたけど、愛想が尽きた、お前、もう少し、しっかりしろよ、もう、こうなっては、自分には何もできない…と、悲しい目で小生を見つめていたように感じました。
もう、これで、自分と無条件で会ってくれる人間がこの世にいなくなったというのは、感慨無量という以上の思いがあって、暗澹たる気分です。
多分、このショックは、今の慌しさが過ぎる頃から、徐々に強まっていくものと覚悟しています。
投稿: やいっち | 2010/07/28 20:27
続けてのご不幸お悔やみ申し上げます。
私も両親が亡くなっていますのでお気持ちよくわかります。
無条件で子の事を喜んでくれるのは親ですからね。
投稿: 吾亦紅 | 2010/07/28 20:48
ほんとに寂しくなられましたね。
続いてというほどでもありませんが、私も両親をここ10年程のあいだに亡くしました。それぞれの口説き話を邪魔っけなものに思い、耳も傾けなかったこと悔やんでも時は戻りません。父の出た学校も聞かずにいて、今になって親戚の人に聞いてもはっきりした情報がえられず、いくつかの県内の高校に問い合わせてもわからずじまいという無惨な結果です。
菩提寺が私の大好きな二上山の麓にあることが、救いです。もうすぐお盆です。
投稿: かぐら川 | 2010/07/28 21:15
本当に久し振りにお邪魔しました。
近況を、と思ったのですが。
私のような若輩が軽々しい言葉を残すのも。
また、改めて。
どのHNでお話ししていたのかも忘れて。
URLから思い出していただければ。
投稿: td | 2010/07/28 23:02
吾亦紅さん
親子だからということで、折々にきまずいことがあっても、会える、同居できる、当たり前に寄り添える、そんなことに甘えることができていたんだと、今になって改めて感じています。
親があってこその地元の町であり、周囲だった。
今、その様相が一変しています。
変わりぶりに驚くほど。
かぐら川さん
父もですが、母も想像以上に付き合いが広かったことに、葬儀(通夜)の場を通じて知りました。
まさに、遅まきながら、です。
地元では(も)有名な、民謡の歌手(プロ)の方が葬儀に会葬され、弔辞を読む当てがなかったもので、会場の入口で弔辞を頼んで、当惑しつつも快く了承していただいたことに感謝しています。
母が元気な頃は、その歌手を囲む仲間の会で世話役として、奉仕していたことも今になって知りました。
父は物知りで、町のこと、葬祭の儀礼や慣習のこと、葬儀の場でのお供物の名義人の並べ方、てん刻のこと、鉄道のこと、時代劇(小説)のことに実に詳しく、長老的な立場で一目置かれていた。
富山のこと、我が町の沿革など、家の代々の歴史など、もっと聞いておくべきだったと今になって後悔しています。
そもそも、家の財産のことも、小生は全く把握できていない。
昨年の入院が一ヶ月の加療で済んでいたので、父も小生も今回だって一ヶ月ほどで病院を出てこれると思っていた。
それが、入院して三週間ほどで、あれよあれよという間もなく、痩せ細り、危篤状態に陥ってしまいました。
だから、遺書も何もなく、小生は今、途方に暮れています。
まあ、自業自得ですね。
td さん
久しぶりです。
東京を離れてしまった人間、しかも、td さんが写真に収める地域に馴染みのある人間には、東京在住当時、ネット上ではあっても、交流のあった方に訪問していただけると、実に嬉しく思います。
この数年、家のこと(父母のこと)で慌しくしていて、他の方のサイトへはほとんどお邪魔できていません。
自分のブログさえ、維持するのがやっと。
それでも、サイトは維持して、近い将来、以前ほどではなくとも、td さんをはじめ、いろんな方と交流したいと思っています。
もうしばらく、見守っていてくださいね。
来訪、ホントに嬉しかったです!
投稿: やいっち | 2010/07/29 20:04
謹んでお悔やみ申し上げます。
投稿: Kimball | 2010/07/29 20:26
Kimballさん
メッセージ、ありがとうございます。
寂しくなりました。
投稿: やいっち | 2010/07/30 20:40
何と言葉をおかけして良いのか判りませんが、心よりお悔やみ申し上げます。
お母様の想い出を大切になさってください。
そして、また元気に再起されることを祈っています。
投稿: 石清水ゲイリー | 2010/07/31 09:54
お父様とお母様を続けて亡くされたのですね…
淋しくなりましたね。
お父様とお母様のご冥福をお祈りいたします。
投稿: 三日月 | 2010/08/01 00:44
石清水ゲイリーさん
メッセージ、ありがとうございます。
母とのことは、思い出がある限りは、生きていると思っています。
思い出というDNAは、しっかり大切に。
これからも、追々、語って(書いて)いくつもりです。
三日月さん
メッセージ、ありがとうございます。
二人して連れ立ってあの世へ行っちゃいました。
この世でいつもどこでも二人は一緒だったので、あの世へも一緒、ということなのでしょう。
小生も父母に負けずに、なんて思いますが、思いが空回りするばかりです。
投稿: やいっち | 2010/08/01 20:52
やいっちさま
心からお悔やみを申し上げます。親が亡くなってから、私の場合はどこか腑抜けになってしまいましたが、それを取り戻すんおに、多分時間が掛かることでしょう。いつもカキコをしない私でもよく貴ブログを読ませて戴いています。しばらくされたら、又精力的な更新を期待しています。私たちの、あなたは目標ですもの。ただただ今はご焼香し、あなたさまのご多幸を祈るのみです。それにしても生命の短い実感はより一層の哀しみを増大させるものですね。頑張って下さりまし!
投稿: 硯水亭歳時記 Ⅱ | 2010/09/01 23:15
硯水亭歳時記 Ⅱさん
哀悼の意、ありがとうございます。
今はまだ、やること、やるべきことが多々あって、先のことを考える余裕もなく、というより、考えるのから逃げるようにしていて、日々、気忙しく暮らしています。
ブログのほうは、写真(画像)のアップは控えていますが、日々地味に更新しています。
特に今は、体のメンテナンスに重点を置いていくつもりでいます。
父母のことで、自分の体の不具合をメンテすることができなかったのです。
今月末には入院の可能性が大です。
とにかく、めげずに頑張るつもりですので、これからもよろしくお願いします。
投稿: やいっち | 2010/09/02 21:32