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2010/07/20

豆腐屋の小父さん

 我が家に毎週、木曜日(のお昼前)、豆腐の宅配がある。
 近所(らしい)の豆腐屋の小父さんが、配達(宅配)して回っている。
 もう、長年、我が家に(も)来てくれていたようで、父が亡くなった今も、なんとなく断りづらく、そのまま宅配をお願いしている。

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 小父さんと勝手に呼んでいるが、父と同年輩か、やや若いかもしれない。
 それでも、八十歳前後か。

 配られるのは、毎週2丁。
 以前は、父母二人だったし、その後、一昨年からは小生が帰郷して三人となっていたので、週に2丁なら、味噌汁の具にしたりして、ちょうどいい塩梅の量だった。
 それが、母が入院したり、自宅にいても食が細くなったり、そのうち、父まで食が細くなって、具沢山の味噌汁は億劫になって、この春からは、インスタントの味噌汁だけで十分と言う様になった。
 そして今は、家には自分ひとり。
 正直、毎週2丁は、ちょっと多すぎる。
 

 毎週、配達してくれていた小父さんも、昨年の一時期、体を壊し、配達に来なくなったことがあった。
 心配していたら、間もなく、配達を再開してくれたのだが、前は自転車での宅配だったのが、車での配達になっていた。
 運転席に若い人が。
 息子さんが運転して、小父さんが配達して回っている。

 採算が取れるとは思えない。
 きっと、手作りの豆腐を待っていてくれるからと、責任感と遣り甲斐で頑張っているのだろう。

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 父が元気な頃は、その小父さんが来て、「豆腐だよー」と玄関を開けると、父が「はいー」と返事して、おカネ(小銭)を手にして玄関まで出迎え、豆腐とおカネを交換しつつ、簡単な挨拶など交わしていた。
 そのうち、父も体が不調になり、玄関とは目と鼻の先にある寝室から返事をするだけで、豆腐を置いて行ってもらうだけになった。

 おカネは、予め用意して、玄関の下足棚の上に置いておく。
 小父さんも、心得ていて、豆腐を玄関の廊下の縁(へり)に置き、おカネを取って去っていく。

 この6月、父が周囲の説得に応じて、ようやく病院へ。
 2階の広いフロアーで、診察のための長い待合に手持ち無沙汰していた。
 待合時間は午前で収まらず、とうとう午後にまで伸びてしまった。

 すると、お昼頃だったか、我々(父)とは違う診療科で、やはり、診察を待つ小父さんの姿を偶然、見かけた。
 傍には付き添いの方。
 奥さんだろう。

 父はお医者さんにその日の午後の即入院を指示された。
 そして、そのまま約一ヶ月入院し、変わり果てた姿で今月9日、帰宅したのだった。

 さて、かの小父さんは相変わらず、車に同乗して豆腐を配達してくれている。
 配達は毎週、木曜と決まっている。
 今週も、木曜日に来てくれた。
 豆腐屋さんの声が聞こえたので、家で番をしている小生が出て行ったが、小父さんは、普段通り、おカネを手にして去るところだった。
 家の不幸に、つまりは父の死に気付いていないようである。

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 もう、父の通夜も葬儀も終わって、玄関に忌中の貼り札がしてあるだけ。家を外から見る分には、つい先日、家に不幸があったとは分からない。
 玄関を開けても分からないだろう。
 小父さんには、玄関の引き戸の上の桟(さん)に貼ってある忌中の札が見えないのかもしれない。

 去り行く小父さんの背中を見て、小生も声を掛けそびれた。
 わざわざ引き止めて、父が亡くなったんです、なんて言ったものかどうか。

 来週、来てくれた時、小父さんは忌中の札に気づくだろうか。
 それとも、小父さんが玄関の戸を閉める前に、小生が出て行くのが早いという状況になるだろうか。
 玄関の下足棚の上におカネが置いてないと、小父さんが待っていてくれそうなものだが、長い間の習慣(暗黙の了解)でたまにおカネを置き忘れたら、次回の際、まとめて払うということになっている。
 だから、おカネがなくたって、豆腐を置いてさっさと去っていくだけだろう。
 となると、豆腐屋の小父さんが来たら、いや、その気配を感じたら、小生がさっさと玄関へ出て行って、小父さんを出迎えるしか、顔を合わせる機会はないのだろう。

 …しかし、顔を合わせることができたとして、父のことを告げるべきなのだろうか。
 まあ、事実を告げるのは当然のことだろう。

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 小父さんも寂しく感じることだろう。
 父の、あるいは小父さんの同年輩の方たちが次々に物故していく。
 そんな体験など、小生よりはるかに実感を以て体験しているのだろう。
 今更、父のことなどで嘆いたりしないだろう。

 ただ、大袈裟な表現をすると、同年代の戦友がまた一人、この世を去った、そう思うだけなのだろう。
 小生などが気を揉むことなど何もなくて、静かに深く何事かを思うだけなのだろう。

                             (10/07/19 作)

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