父の死のこと(2)
(「父の死のこと」の、ゆるやかな続篇です。)
思えば、前兆は少なからずあったわけだ。
それも、単に脳梗塞のぶり返しだけじゃない、症状(行動の異常)が見られていた。
← 見事に育った畑のヒマワリ。肝心の畑は、雑草が生い茂っている。四月以降、庭も畑もホッタラカシ。
誰よりも身奇麗にする、お洒落な(父の知り合いはダンディだったねー、なんて言っていたっけ)父が、格好など構うことがなくなったのは、一番のサインだったのかもしれない。
そんな状況に気付き始めたのは、四月のいつ頃だったか。
妙な咳もする。痰が絡む。
食も進まなくなっている。
五月の半ばには、父がお世話になっていたデイサービスでも、ちょっと気になる点もあるので、病院に連れて行かれたら、という話を、介護する方から伺っていた。
昨年の入院の際も、散々手こずった苦い経験がある。
自分だけではなく、父のお気に入りの方にも検査入院の説得をしてもらった。
毒づかれたりしながらも、とにもかくにも検査入院し、大事には至らなかった。
でも、自分には、昨年、毒づかれた嫌な記憶が蘇ってくる。
また、逆切れとか、いろいろあるんだろう…。
そんな憂鬱な気持ちが先になってしまう。
その前に、父との間には長い軋轢の日々がある。
腹を割った会話が成り立たなくなっている。
ある種の拘りと蟠(わだかま)り。
(この蟠りだけで、長い話が必要である。日記の形では表現できそうにない。)
しかし、そんなことは言っておられない。
ある日、父が病院へ連れてってもらおうかのー、なんて呟いたような気がした。
気のせい? まさか、病院嫌いのあの父が?
小生はとうとうその呟きを拾いきることができなかった。
→ 一昨日の未明、四時過ぎ。バイトの途中。
五月には一度だけ、六月の声を聞く頃には、父はデイサービスには行かなくなった。
専門家に相談して、母もお世話になったことのある、近所の個人病院の先生に往診に六月四日、来てもらい、先生からの説得の形で病院へ検査のため、行くことを了解させる形を取った。
非常な低血圧、血液検査の結果、各種の数値も異常を示している。
翌週の六月七日、検査のための病院へ。
父は今度は、素直に従う。
むしろ、今度は自分から行く気でいたのかもしれない。
その気持ちを汲み取ることができなかったのだ。
午前の(待ち時間のやたらと長い)MRIなどの検査の結果、脳梗塞のほうは、症状は特段の悪化を示していない。
しかし、肺のほうに気になる影が。
とうとうその日の午後からの入院が医者から言い渡された。
父は素直に従う。
よほど覚悟していたのだろう。
← 同じく、一昨日未明、四時半頃、バイトの途中、朝焼けに見惚れて。
それでも、点滴や投薬などで治療していけば、今度も恢復して退院の運びとなるだろう、入院当初は、そんなつもりが父にも、家族にもあった。
(初七日を迎えた 10/07/15 作)
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