束の間の自由感
過日の、「ツイートするだけの日々」なる日記に、以下のツイートを載せている:
今朝、数年ぶり、いや十数年ぶりに楽しげな気分で目覚めた。夢の中で、浮遊している快適な気分。しがらみから断ち切られて?

← 母の入院している病院近くの風景。
地味なサイトの、何気ない一言だし、スルーされるものと思っていた。
スルーしてほしい、でも、この呟きには軽からざる意味も読み取れそうで、誰かに拘ってほしいという気持ちも正直、あった。
すると、やはり、世の中には目聡い方がいるもので、ズバリ、印象的と指摘された。
その遣り取りは、当該の日記のコメント欄を読んでもらいたい。
せっかくコメントを戴きながら、返事は三日近くを経た今夜になってやっと。
というのも、どう返事をしたらいいものか、考えがまとまらず、忙しさに感(かま)けて今日まで延ばしていたのだ。
でも、もう、逃げ切れない。
真正面からの返事というわけにはいかないが、上掲のツイートを敷衍だけしておいた。
念のために断っておくと、前半の「今朝、数年ぶり、いや十数年ぶりに楽しげな気分で目覚めた。夢の中で、浮遊している快適な気分」までは、事実。後半の「しがらみから断ち切られて?」は、自分が夢で目覚めた瞬間の安直な解釈である。
「しがらみ」が何かは当日や前後の事情を鑑みると、敢えて言うまでもないだろう。
[夢の内容。但し、覚えている最後の場面だけ]何処か視界の開けた場所。高原。ハングライダーでもやるなら絶好の地。
そこに下界へ向かって地上数メートルの高さに長ーい鉄骨のレールが延々と。
モノレールがぶら下って走っていきそうな、そんなレール。自分は滑空するように空中を飛んでいく。
とっても気持ちがいい。
爽快!やがて、自分がパラシュートで落下するような装備をして、レールにぶら下り、滑空していることに気付く。
それでも、気持ちよさには変わりがない。擬似的であっても、こんな解放感というか、浮遊感、否、もっと正直に率直に言うと楽しいって感じを心底から覚えたのは初めてだった。
と思った瞬間、眼が覚めた。
仰られるとおり、睡眠障害の小生に快適な目覚めはありえない。
十歳の頃からは(全身麻酔での手術のあとの目覚めという一夜を除いては)全く、熟睡など経験したことがない。
その日だって、体は疲労感タップリで目覚めた。
ただ、ほんの一瞬だけ、目覚めた瞬間、近年、感じたことのない楽しさを、楽しさの中にいる自分を見出した。
(10/07/21 作)
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