武光 誠著『邪馬台国と大和朝廷』の周辺
日中は、ナボコフ著の『賜物』を読んでいる。
厚さ4センチもあり、手に持つと重く、寝床では無理。
なので、寝床用に(!)、武光 誠著の『邪馬台国と大和朝廷』(平凡社新書)も用意している。
邪馬台国の話題となると目がなく、刊行されて4年の本だというのに、つい手にしてしまった。
→ 武光 誠著『邪馬台国と大和朝廷』(平凡社新書)
まだ読みかけなので、大和朝廷と邪馬台国の関係の話題には及んでいない。
筆者は、文献的(主に『魏志倭人伝』など)に素直に読む限りは、邪馬台国は九州の筑後川流域(筑紫平野)のどこかにあった考える立場の方。
(本書の刊行後の、ここ数年の新発見で立場を変えられたのかどうか、小生は知らない。最近は、立場を曖昧にしているような印象も。)
『魏志倭人伝』に記されている邪馬台国について、過去、どのような説が唱えられてきたか、整理してあり、展望が利き、ちょっと助かる。
小生自身は、未だに『魏志倭人伝』を素直に読む限りは、邪馬台国北九州説である。
風俗を見るだけでも、畿内説は無理がある。海(辺)に生きる民であると思われるし、「土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている」なんて、やはり畿内は論外だろう。
(なお、小生は、未だに、「邪馬台国」がなぜ「やまたいこく」なのか、「やまとこく」とは読まないのか、理解できていない。)
小生は(今は説明を省くが)、卑弥呼が倭国の主宰者となった時点で大和の地に移り、その地で主宰(祭り事)し、その地で没したと考えている。
その後、政権は違う勢力によって奪取されたが、名目としての「やまと」の名称は残った。
つまり、権力は奪われたが権威は残った、というのが小生の、邪馬台国と大和政権との関わりに対する基本的な理解である。
ただ、卑弥呼は最後まで九州の地(邪馬台国)に残り、死後、その権威も含め、遺骸が大和の地に移され、古墳に埋葬された、という考えも捨てがたい。
← ウラジーミル・ナボコフ 著『賜物』(沼野 充義 訳 河出書房新社)
上記したように、近年は発掘の成果などもあって、邪馬台国大和説が有力になりつつあるようだが、まだまだ邪馬台国と大和朝廷との関係に関し、「連続と継承か、それとも征服と断絶か」の議論は続いていくように思われる。
「邪馬台国」については、いろんな文献があるが、とりあえず安直な理解をしておくには、「邪馬台国 - Wikipedia」がやはり便利だ。
(10/06/23 作)
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