侘や寂じゃなく黴と錆
家人のお見舞いに行ってきた。ほとんど寝たきりの生活を強いられている。
梅雨時の空が窓外に重苦しい。
でも、病院内は快適に空調されていて、そんな外の光景などまるで別世界の話である。
院内は清潔で、下手に自宅で療養するより、よほどまし。
そうはいっても、自宅での静養が本人には望ましい…のか。
透き間だらけで空調など論外の家であっても。
ふと、何年か前、創作したある作品を思い出した。
ちょうど梅雨時の今頃に、東京にあって、黴臭いような我が家のことなど想い起こしつつ作ったもの。
但し、自分の朽ちゆく体を念頭にデッサン風に描いたもの。
せっかくなので、ブログに載せておく。
「黴と錆(かびとさび)」
雨が降っている。この一週間は、雨の降らない日はなかったのではないか。
元気がある時なら、雨とか雨の音をモチーフに侘寂(わびさび)めかした小説の一つもでっち上げるのだけど、そんな気力は今はない。
ただ、ダラダラと雨の音に聴き入っているだけ。
ガラス戸を握り拳(こぶし)ほどの巾だけ開けてあるので、雨の音がまともに部屋になだれ込む。
一人きりの部屋。今まで、ほんの一時だって二人になったことのない部屋。だから、尚のこと、雨音が喧しく聞こえるのかもしれない。
やがて、雨音が一点に集中する、そしてその一点とはあの人の雨傘だったりするような、そんなドラマの欠片もないのだ。
屋根を叩いては弾け散る雨の音の御蔭で寂しさが紛れている?
そんな自分でも、今とは違った理由で雨が好きだったこともある。
雨の御蔭で苦手な運動会が中止になって歓んだとか、どうせ一人っきりを持て余すしかない遠足が雨のせいで皆(みんな)、庇のある場所から離れられず、自分の孤立が目立たなくなったとか、そんな理由なんかじゃない。
ああ、そう、そう、台風に引き摺られた低気圧の前線にまともに覆われ、我が町が、そして我が家の庭先までもが水浸しになり、気まぐれで作ったささやかな俺の築山さえ姿を没しそうになる、その不思議な爽快感のせいでもない。
きっと、そう、雨は全てを洗い流してくれるような、そんな幻想を与えてくれるから…。
いや、それはウソだ。
ガキの頃ならともかく、今の俺にそんな幻想の思い浮かぶ余地などない。
俺は、ただ、雨の音に聴き入っているだけなのだ。それ以外に何もないこと、そう、むしろ、その侘しさが激しい雨のゆえに一層、募るから、だから雨が好きなのだ。
誰か、心を、それとも体を許せる相手のいる奴等なら、今頃は寝床の中で果てない温みと微睡(まどろみ)を貪っているのだろう。
だが、この俺は、気の遠くなる程の遠い果てを見遣るばかりである。
一月も、誰からも架かることのない、架ける相手も思い浮かばない電話。東京という大都会に居住して何十年となるのに、こんな状態をいかんともし難い人間が無数にいる。そんな奴の存在を許すのも、東京の凄いところだ。
遠い昔、何処か風流な気持ちで雨の庭に「侘と寂」ってな思い入れをしていた。することができていた。
でも、今は、ただ、それらはただの言葉であることを理解するだけ。
肉体は、想像以上の速さで朽ち始めている。肺の中に黴がウヨウヨと蔓延っている。体の表面の方々にも、白い黴が拡がり、まるで斑模様の人工皮革の衣装を纏ったようだ。
いつでも外から開けることのできるスライドドアの取っ手も、ベッドの留め金も微かに錆び付いている。
耐え難い体の節々の痛み。そんなものさえ、麻薬に蕩かされてしまっている。脳味噌だって呆けて…。
自分で我が身をどうすることもできない、もどかしい心の苦しみ。そんなのは嘘っぱちだと分かった。みんな韜晦の海に溺れていく。
神や仏だって、ただの気休めだ。
俺は苦しい! 痛い! きっと、悲しい!ナースコールのボタンにさえ、手が届かないぞ!
俺の現実は、「黴と錆」なのだ。
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