「仏頂面」のお二方の表情からちょっとだけ
「仏頂面」とは、「苦虫をかみつぶしたような顔」(不機嫌な顔、不愉快そうな顔)である。
今日は、その「仏頂(面)」を、但し腫れ物状態のお二人には触れない形で、若干のことをメモしてみる。
この「仏頂(ぶっちょう)」は、仏教に由来する用語であり、「仏頂尊」のことで、「お釈迦様の頭上(仏頂)に宿る広大無辺の功徳から生まれた仏」のこと。威厳に満ちているが不機嫌そうな表情にも見えることから「仏頂面」という言葉が生まれたと考えられている(あくまで説の一つ)。
松尾芭蕉が生涯の師と仰いだ人物は、仏頂禅師である。
「根本寺」という当時巨大な寺を受け継ぎ、二十一世住職に就任した。が、徳川家康に寄進された寺領を巡る鹿島神宮との争いに関わり、深川の臨川庵に住した(やがて臨川寺となった)。
(「芭蕉と仏頂禅師について」参照)
延宝8年(1680年)の冬、芭蕉は江戸市中から深川の草庵に移った。落魄の最中だった。それまでの意気揚々たる前半生を断念し、交流や利権も捨てての都落ちだった。その深川で芭蕉は仏頂禅師と運命の出会いをし、「臨川庵に参禅する日々を送った」。
当時の深川は草深きド田舎である。
ほとんど世捨て人の気分だったろう。
但し、念のために断っておくが、芭蕉は軽妙洒脱な誹風を捨て、新しい(『奥の細道』に結実するような)誹風を創り上げるが、旅に明け暮れ、人生の侘び寂びを探求するとはいっても、決して世捨て人にはなっていない。
そうなるには、あまりに才能が、それ以上に人望があった。旅に行く先々で弟子を作るし、交流の輪を広げるし、声望を高めていく。
一度、芭蕉(ら)を泊め、交流の機会を持ったものは、もう一度、泊まってくれることを望むようになる。
その辺りのことは、例えば、芭蕉の俳文「幻住庵記」(『猿蓑』所収)などを一読するまでもなく、察せられるところだろう。
芭蕉の俳諧の世界を孤高の世界と単純に看做しては持ち味を汲み切れないことになるやもしれない。
心して味わうべし(← 自戒の念)!
深川時代、芭蕉は、日本橋時代の遊び軽妙洒脱、駄洒落の誹風を脱却し、やがて人生の侘び寂びを句にするようになるのだ。
その転機を作ったのが、上記した仏頂禅師との遭遇だったのである。
貞亨4年(1687年)8月14日、芭蕉は、曽良、宗波とともに鹿島に旅し、根本寺山内に閑居する仏頂禅師とともに、観月のひと時を過ごした。
「「鹿島紀行」には、はるばる月を見に来たのに、月の光、雨の音といった情景がしみじみと心に感じられ、句を案じることができないなどの心情とともに、月見をした当日の様子が書き記されている」。
← 田中 善信【著】『芭蕉―「かるみ」の境地へ』(中公新書) 「本書は俳諧師の名乗りをあげた『貝おほひ』以降の作品を丹念に読みながらその足跡を追い、「俳聖」としてではなく、江戸を生きた一人の人間としての実像を描く」とか。人間芭蕉を知る好著。…と言いつつ、読んでいる最中である。
芭蕉は後年、旅に明け暮れる日々を送るが、最初の旅は、芭蕉41歳の頃(貞享元年)で、『野ざらし紀行』などに結実する。
彼が漂白の人生を送るようになったのは、一般に西行の影響が大きいとされる。
西行の影響自体は否定できないとしても、何ゆえ芭蕉41歳の頃(貞享元年)なのかは、依然、説明されるべきで、何かしらの切っ掛けがないと定住の庵を捨ててまで旅の生活へといった転換に踏み切るのは、中々容易ではないはずである。
さて芭蕉の人生の師・仏頂禅師は、寺領の争いに目途が付いた時(41歳のときに勝訴で解決)、根本寺の住職の座を譲り、寺を離れた。仏頂禅師は、根本寺山内に閑居するようになる。
その禅師のもとへ、後年、芭蕉は、弟子らとともに鹿島に旅し、『鹿島紀行』を残す。
そう、芭蕉が旅に出るようになったのは41歳。禅師が住職の座を辞した年齢と同じ頃なのである。
ただの符合とは見ない研究者も。
田中 善信【著】の『芭蕉―「かるみ」の境地へ』(中公新書)によると、鹿島神宮との争いにケリが付き、「根本寺」の住職の地位を弟子に譲った際、寺社奉行から、お前は今後どうするのかと聞かれて、「山になりとも里になりとも、心次第につかまつるべし」と仏頂は答えている、という。
田中 善信によると、「おそらく仏頂は、その後心のおもむくままに行脚の修行に出たのであろう」。このとき仏頂は41歳で、「この年齢で由緒ある寺院の住職の地位を弟子に譲って、行脚の修行に出た仏頂の身の処し方に、芭蕉は強い感銘を受けたとみて間違いなかろう」。
「このことがきっかけとなって、行脚の修行に生きる禅僧の境涯に対するあこがれが、芭蕉の心に生じたのだと思う。彼は禅僧にならなかったが、そのあこがれを生涯もち続けていたと思う」とも、田中 善信は上掲書で書いている。
(田中 善信は西行の影響は否定していない。)
芭蕉と佛頂和尚との関連については、「佛頂和尚」がとても参考になる。
ほぼ同じ説を既に書いておられる。
…以上、本日午前、枢要の地位を辞した方々の仏頂面を見て、「仏頂」の語源や関連の話題をざっと(多くのことを端折って)だが、綴ってみた次第である。
お粗末!
(本稿は、ツイッターでの発言を纏めたもの。投稿では難しい参照先の明示などを施した上でブログにアップした。)
芭蕉関連拙稿:
「芭蕉忌…桃青…無精」
「反骨の浮世絵師 英一蝶」
「宗左近著『日本美・縄文の系譜』」
「無精庵 芭蕉に学ぶ(付:蛇足)」(悲しくも(!)、本稿が我が芭蕉関連拙稿で一番、読まれた…らしい。)
(10/06/02 作・編)
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コメント
弥一さんおはようございます。仏頂面の元総理は、次回選挙に出ないとか。やはり言葉が軽いですね、中曾根さんみたいな人が懐かしい。さて中公の芭蕉、僕も本屋で手にしました。もう読まれているとはさすが弥一さん!そうですか、仏頂禅師という方がおられたのですか、初めて知りました。芭蕉は、信仰はもっていたのでしょうか?さておとといは、新聞休刊日でしたね。新聞がこない、寂しかったです。弥一さんは夜中休めたのかな?
投稿: oki | 2010/06/09 07:35
okiさん
芭蕉にも師とすべき人物がいたことを知っただけでも収穫でした。
それに、紀行文は芭蕉の死後の編集であり、晩年の芭蕉が目指した句境とは違うものを我々が<芭蕉>と思っているかも、というのも収穫。
それはそれとして、やはり紀行文は素晴らしい。
投稿: やいっち | 2010/06/12 20:58