ノンポリ人間の密かなヒーロー
下記するツイート集の中に、山本義隆さんについての呟きがある。
今、山本義隆著の『一六世紀文化革命 1』(みすず書房)を読んでいるから、ちょっとメモしたのだ。
→ 昨日は蕾だった「ジャーマンアイリス」だが、今朝未明、バイトを終えて帰宅してみると、咲いているのを発見。今日は雨なのに、めげずに咲いてくれた。
全共闘には全く無縁だし、そもそも学生運動からして関わらなかった小生である。
だが、72年に大学生となった小生には、学生運動の余波を全く被らなかったわけではない。
まあ、その辺りのことは別の機会に譲るとして、とにかく、学生運動にはるかに遅れてきた世代の小生にしても、山本義隆さんというのは、伝説のヒーローだった。
いろんな逸話を聞かされたが、例えば、彼が高校の3年間の間に図書館の本3千冊を読破した、なんてことも聞かされた。
小生は、そんなこと、ありえないと、全く信じられなかった。
しかし、それは小生の料簡や世間が狭かったのだ。
日に3冊読めば、年に千冊は優に超える。
3年で3千冊ではないか。
本嫌い、図書館嫌いの、並の知能を辛うじて持つかどうかという自分の常識など通用するはずがないと、今では素直に現実を受け止めている。
学生時代は、学生運動絡みのことは敬遠気味だったが、サラリーマンになった或る日、発散しきれず篭って見かけは鎮まっていた熱がぶり返すかのように小生を駆り立て、『重力と力学的世界』(現代数学社、1981)なんて本を読めも理解も出来ないのに買ってしまった。
自分の中の語られざるヒーロー像をそろそろ素直に認めてもいいのではと思ったから…なのかもしれない。
ところで、小生には「素数のこと」というエッセイがある。
その中で、車(など)のナンバープレートの数字が気になってならなかった、で、数字の並びを見ながら素数を割り出したりして遊んでいた、なんてことを書いている。
それは真相の半分にもならない。
実は、誰かの車に追われているのでは、という強迫観念に苛まれていた、だから、同じ車なのかどうか気になり、自然、ナンバープレートの数字に注意が向かってしまっていたのだ。
(この辺りのことも、学生運動(過激派)と無縁ではないし、やや苦い思い出に絡むので、機会を設けて書いてみたい。)
[以下、例によってツイッター発言(投稿)集である。昨日の夜から今日の夜までの分。上のほうほど、新しい投稿。リンクや()内のコメントは、ブログにアップするに際し、付したもの。]
← ここ数日の晴れの日の終わりを告げる不穏な空模様。
化粧はもう一つの鏡なのだ。見る人の目線と偏見をそのままに映し返すものが鏡というのならば。他人の思惑など跳ね返すものが鏡に他ならないというのなら。だからこそ、化粧と鏡は一体なのであろう。
鏡の中の自分は自分である他にない。なのに、化粧を施していく過程で、時に見知らぬ自分に遭遇することさえあったりするのだろう。が、その他人の自分さえも自分の可能性のうちに含まれるのだとしたら、一体、自分とは何なのか。
見る自分が見られる自分になる。見られる自分は多少なりとも演出が可能なのだということを知る。多くの男には場合によっては一生、観客であるしかない神秘の領域を探っていく。仮面を被る自分、仮面の裏の自分、仮面が自分である自分、引き剥がしえない仮面。
眺める特権を享受したものは、見ることは死を意味することを知る。観るとは眼差しで触れること、観るとは、肉体で、皮膚で触れ合うこと、観るとは、一体になることの不可能性の自覚。絶望という名の無力感という悦楽の園に迷い込むことと思い知る。
→ 崩れゆく東の空を横目に帰路に。
焦がれる思いで眺め触り一体化を計っても、そこには自分が居る。自分の顔がある。自分の感性が立ち憚る。観るとは、自分の限界を思い知らされることなのだ。つまりは、観るとは、鏡を覗き込んでいることに他ならない、そのことに気づかされてしまうのである。
辛うじて石の像に止まっていられるのは、美への渇望という執念の名残が砂や埃となって風に散じてしまうことをギリギリのところで踏み止まっているからに他ならないのである。
美を見るものは石に成り果てる。魂の喉がカラカラになるほどに美に餓える。やがてオアシスとてない砂漠に倒れ付す。血も心も、情も肉も、涸れ果て、渇き切り、ミイラになり、砂か埃となってしまう。
山本義隆さんが学生運動当時のことに付いて語らないのは、本人の強い意志の表れなのか。
山本義隆著の『一六世紀文化革命 1』を読んでいる。『磁力と重力の発見』への助走として。山本義隆は遅れてきた全共闘世代ですらない小生にも、伝説のヒーローだった。高校時代3千冊の本を読んだとか、当時は信じられなかったけど、今は信じる。そんな連中が世の中には居る。でも、粘り続ける人は稀。
アスパラガス、好き! 茹でたのに、マヨネーズ! 食べるのは茎の部分らしいけど、庭の雑草がみんな、アスパラガスの茎みたいに食べられたらいいのになー。
今日はやや肌寒い。なので、昼間は礼によってエースコックのワンタンメン(カップ麺じゃない、鍋で煮るやつ)。5個パックの4個め。今更だが、ラーメンのスープは全部、飲み干しちゃ、塩分の取りすぎだよねって、遅すぎるか。
今朝未明、NHKラジオ深夜便で井上陽水特集があった。久しぶりに聴いたけど、やっぱり、オンリー・ワンの世界だね。今日は雨模様。当然、名曲「傘がない」も架かっていたっけ。
← 山本義隆著『一六世紀文化革命 1』(みすず書房) 「16世紀に、(中略)、17世紀を準備することになる知の世界の地殻変動すなわち「16世紀文化革命」が進行していたのである」 まだ半分も読んでいないが、ダ・ヴィンチやデューラー、パラケルススらを再認識させてくれた。
まだ、ちょっと早かった。夏日になれば、快適…なはず。
(「水シャワーの季節です」)
風呂の給湯器が壊れているので、当分、水シャワーだ。さすがに水風呂はゴメンだ。
今朝未明、偶然、NHKラジオ深夜便で、(ファリャ 作曲) 「スペインの庭の夜」から ”遠くに聞こえる舞踏”を聞いた。よかった。CD、あるのかな。
(10/05/19 作・編)
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