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2010/05/04

紅葉にはならずともよしカエデたれ

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→ 我が家の庭の咲き方のまちまちなチューリップたち。不揃いでもいい、咲いてさえくれれば。正午頃には日陰になるので、咲き誇る時間は午前中だけ。植える場所を間違えてる!

 世の中は大型連休だとか。
 小生には連休など関係ない。日曜も祭日も平日も、毎日、バイト。
 家人は一人は家で、一人は病院で養生している。
 何時間も家を離れるわけにいかない。


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← 内庭のカエデ(モミジ)は緑がいよいよ濃くなってきた。この日は風が強く、木立ちが揺れて、綺麗に撮れなかった。「裏を見せ表を見せて散る紅葉」という良寛の辞世の句がある。春だと、どう詠めばいいだろう。カエデは、別に紅葉の時ばかりが美しいわけじゃない、黄緑色の葉っぱが日に照り映える今だって、存分にその美しさを楽しめる。ということで、「紅葉にはならずともよしカエデかな」とか? 余談だが、「カエデの名称の由来は、葉がカエルの手に似ていることから「カエルデ」と呼ばれ、それが転訛したものとされている」ってのには、へえーであった。(「裏を見せ表を見せて散る紅葉」なる句を良寛の辞世の句としているが、それは間違いだと、本ブログでもお馴染みの「かぐら川」さんに教えていただきました。詳しくは、コメント欄をご覧ください。)

 昼過ぎ、所用があって外出。そのついでに、図書館へ。
 さすがに快晴の連休中とあって、図書館に来る人も少ない。
 駐車場での空き待ちもなく、すぐ車を止められた。

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→ 夜半過ぎから未明にかけてのアルバイト。晴れた日には、その光景につい見惚れてしまう場所が幾つか。ここもそう。木立ちのシルエットが素晴らしい。

 こんな快晴の日に、わざわざ図書館に来るなんて、一体、どういう人たちだろう!
 って、自分もだから、人のことは言えない。

 二胡奏者チェン・ミンのCDなど3枚借り、本も3冊、借りてきた。
 何処へも行けない自分だけれど、せめて心は遠く宇宙へ、あるいは地の果てへ。

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← 恙無く仕事を終えての帰路は、心も軽やか。朝焼けに染まり始める、澄明なる東の空をデジカメが撮る。

 借りた本は、一冊は、内乱(紛争)に明け暮れた地を生き延びた人の自伝。ハリマ・バシール/ダミアン・ルイス著『悲しみのダルフール』(真喜志順子訳 籍 PHP研究所)。そう、ダルフール紛争に絡む本である。「大量虐殺(ジェノサイド)の惨禍を生き延びた女性医師の記」という副題が付いている。
 一冊は、宇宙論の本。アーサー・I・ミラー著『ブラックホールを見つけた男』(阪本芳久訳 草思社)で、スブラマニアン・チャンドラセカールというインド人の天才の非業の生涯を描く本。
 さらに、猫の神話学風な本も借りちゃった。M・オールドフィールド・ハウイ=著『猫と魔術と神話事典』(鏡リュウジ・真喜志順子=訳 柏書房)で、「猫に託された不可思議なイメージのすべて」なんて副題が付いている。
 
                              (10/05/03 作)

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コメント

長い?連休も明日が最後となりました。仕事の方は久しぶりにoffで、それなりの予定(願望)もあったのですが、ほとんどが自宅待機?となってしまいました。
ところで、「裏を見せ表を見せて散る紅葉」が良寛辞世の句というのは一種のnet伝説?であろうと思います。なぜかそう書かれたページが多いのですが典拠を示したものがありません。良寛研究者の谷川敏朗さんの『校注良寛全句集』(2000.10)にはこの句は掲載されていません。良寛のオリジナルではないからです。
http://www2.atpages.jp/denshou/page006.html
この句が辞世の句とされたのは良寛晩年と意を通じた貞心尼が残した「蓮の露(はちすのつゆ)」に良寛が述べた句として掲載されていることによります。が、貞心尼が「こは御みづからのにはあらねど 時にとりあひのたまふ いといとたふとし」と、ちゃんと注をつけています。良寛の作ではないという断り書きです。なお、「散る桜残る桜も散る桜」が良寛の辞世の句という説?もあり、この句は『校注良寛全句集』にも載っていますが、谷川さんは否定的です。

投稿: かぐら川 | 2010/05/04 21:44

かぐら川さん

小生の場合、土日も祭日も平日も関係なく、年に十日ほどある休刊日に、我々末端の配達人も休めるわけです。
今も、こんな時間にネットに向かえるのも、6日は休刊日だから。
こんな時間でのネットサーフィン、久しぶりで変な感じです。


「裏を見せ表を見せて散る紅葉」が良寛辞世の句という誤った俗説を鵜呑みにしていた小生の記述をご指摘していただき、ありがとうございます。

教えていただいた、「<はちすの露~貞心尼~>」、覗かせていただきました:
http://www2.atpages.jp/denshou/page006.html

貞心尼の断り書きもちゃんと読めば、良寛の作でないことは分かりますね。


また、谷川さんの意見も気になり、調べてみたら、下記の頁が参考になりました:
「良寛遺墨「草庵雪夜作、回首七十有余年」、遺偈、漢詩」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/1290/Kouza/kouza504.html

上掲の頁の末尾に、「良寛さまの辞世と最後の言葉」という項があり、結論として、「良寛さまが意識した辞世は、なかったように思われる」と書いてあります。
ただ、世上伝えられる俗説について、種々あることを教えてくれていて、話として面白いと感じました。

投稿: やいっち | 2010/05/06 02:33

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