土に面食らう
土を喰らう…、昔は誰もがそうして日々を暮らしてきたのだ。土の変幻した果実を口にする喜びを感謝してきたのだ。土が身近にあったのだ。水上氏は、「ご馳走とは、旬の素材を馳せ走ってもてなすことだ」という。
だとしたら、百姓であるということは、日々が御馳走責めだったということではないか。こんなに便利になった中で、等身大の生活がこれほど困難であるとは、皮肉も極まったものである。
→ 29日夕食の準備中、台所より北西の空を撮る。今日も肌寒い一日だった。屹立した木は、昨秋の台風で折れた杉の木の残骸。
土の中には無数の生物が生きている。それこそ数万どころか、数億、あるいはそれ以上の微生物達が生きている。生まれつつある。死につつある。腐りつつある。食いつつあるし、食われつつある。
大地を踏む感触がわれわれに豊かな生命感を与えてくれるというのは、実は、そうした生命の死と生との巡り巡る循環に直に触れているからではないだろうか。
そして遠い感覚の中で幾分早くわれわれより土に還った先祖の肌の温もりを感得しているからなのではないか。
御茶で一服しながら、そんなことを思ったのである。
(「人は死ぬと土に還る」より抜粋)
[以下、ツイッター発言(投稿)集である。昨日の夜から今日の夜までの分。上のほうほど、新しい投稿。リンクや()内のコメントは、ブログにアップするに際し、付したもの。]
← 同日夕食後、庭先に出て西の空を撮る。落ちた夕日を追いかけたい…、たまらなくそう想う。
レギンスって、暗色系のスパッツ…というよりモモヒキって感じがする。あ、モモヒキでいいのか。 つい、「百敷の大宮所見れば悲しも」って歌を連想したが、この歌がHな内容に思われてくるのは何故。
縁側の庇に沿う雨樋の掃除。なかなか立派な松の木が縁側の前の裏庭にある。その松が大量の松葉などを風で吹き飛ばされる。掃除するには、かなり長~いハシゴを屋根(瓦)に立てかける。庭の足場が悪いので、登るのも怖い。ハシゴから落ちたり、ハシゴが倒れて怪我したら、誰か気付いてくれるかな。
「土を喰らう」…今更ながら至言だと思う。
(「土を喰らう」なる言葉(思想)については、拙稿「ウロボロス…土喰らうその土さえも命なる」や「「土を喰う日々」からあれこれと」などを参照。)
→ 北北西の夕空。日は我を見棄てて去り逝き、雲は何事も知らぬげに漂うのみ。
「台所の外に残飯捨て場(桶)がある。茶殻共々、土に還元するつもり」なんて書いていたけど、他の方のツイートを読んで(直近 ↓ )、「生ゴミ堆肥」という名称のあることに気付かされた。今更、だが。
今朝未明の仕事では、タヌキもキジもウサギにも(ネズミにも)遭遇しなかった。…だけじゃなく、ネコの姿さえ一匹も見なかった。他の動物はともかく、ネコを見かけなかったのは、変じゃないか? 寒いから?
(10/05/29 作・編)
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