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2010/05/31

七分米を試してみます

昨日、精米へ。
精米所は車で十分ほどの場所にある。
精米の仕方は、いつもの標準じゃなく、七分で
味はどうだろう。栄養的にはいいらしいが

精米作業してると、小屋の近くを二羽のハトがウロウロ。
米、狙っている。

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← 精米所で作業してると、ハトたちが寄ってきて、あわよくばお零れに預かろうと虎視眈々。


鳥たちが近付いてくるのには訳がある。
鳥たちの視覚が鋭いのか、それとも嗅覚が鋭いのか。
鳥類は、種類によっては嗅覚が鋭いものもあるらしいけど、一般には視覚(が強い)動物と見られているようで、鳥の嗅覚の研究は進んでいないらしい(鳥類の視覚や嗅覚については、拙稿「トンビに油揚げをさらわれていた!」が寺田寅彦の随筆を絡めて取り扱っており、参考になる…かもしれない)。

いずれにしろ、米粒があるから当然ってこともあるが、精米所は、田圃の傍にあるので、スズメやハトの集まる場所。その傍にあるから、米粒は決して見逃さないってことなのである。

ハトたちに続いて、スズメも一羽、やってきた。

でも、やらない!
作業が終わったら、小屋の戸をしっかり閉めた。
欲しけりゃ、我が家へどうぞ。

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2010/05/30

土に面食らう

 土を喰らう…、昔は誰もがそうして日々を暮らしてきたのだ。土の変幻した果実を口にする喜びを感謝してきたのだ。土が身近にあったのだ。水上氏は、「ご馳走とは、旬の素材を馳せ走ってもてなすことだ」という。
 だとしたら、百姓であるということは、日々が御馳走責めだったということではないか。こんなに便利になった中で、等身大の生活がこれほど困難であるとは、皮肉も極まったものである。

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→ 29日夕食の準備中、台所より北西の空を撮る。今日も肌寒い一日だった。屹立した木は、昨秋の台風で折れた杉の木の残骸。

 土の中には無数の生物が生きている。それこそ数万どころか、数億、あるいはそれ以上の微生物達が生きている。生まれつつある。死につつある。腐りつつある。食いつつあるし、食われつつある。
 大地を踏む感触がわれわれに豊かな生命感を与えてくれるというのは、実は、そうした生命の死と生との巡り巡る循環に直に触れているからではないだろうか。
 そして遠い感覚の中で幾分早くわれわれより土に還った先祖の肌の温もりを感得しているからなのではないか。
 御茶で一服しながら、そんなことを思ったのである。

                  (「人は死ぬと土に還る」より抜粋)

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2010/05/29

我が家の庭は露草の庭

 川は汚かった。
 けれど、川幅はガキの僕にはだだっ広くて、対岸の向こうの小高い連山に夕日が落ちると、川面が赤く照り映えて泣きたいくらいに美しいのだった。
 夕日は少しずつ沈んでいく。真っ赤な太陽が、最初はほんの少し山の天辺に触れるかどうかだったのが、次第にまん丸が欠けていって、やがてそれこそ線香花火の消え際の火の玉のように頼りなく歪んでいく。
 そして完全に山の向こうに姿を没するのだけれど、連山の上の空は暮れ行く濃い青に抵抗するかのようにいつまでも赤く燃え続けるのだ、まるで名残を惜しむかのように。

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← 雨に降られる露草。雨滴に濡れて生き生きしている。

 そう、あの日は、残暑の厳しさもようやく和らぎ始めたことだった。その日も僕は夕日の沈む光景を楽しむつもりで、コンクリートで護岸された河原の縁に立っていた。二つ目のコロッケを何処で食べるか、場所を探していた。
 そのときだった。土手から野良犬がやってきた。
                      (「犬とコロッケ」より抜粋。)

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2010/05/28

点々は 宇宙を攪拌しないのです

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 「点々は 宇宙を攪拌しないのです

 我々は攪拌された宇宙の片隅に点在する点々なのかもしれない。
 星の一つ一つが、我々の誰彼の心の投影なのかもしれない。

 道端の石ころや空き缶にしても、誰かの眼差しに晒される。

 梅雨の束の間の日の光にジリジリと焼かれて、
          つい、本音を洩らしそうになる。

 もう、昔のことは忘れちまったとか、
          先のことなどどうでもいいだとか。

 なのに、日が暮れて、宵闇が訪れると、
         今度はまた、違う本音が洩れてくる。

 遠いあの日のことが胸を差すとか、いつの日かの破局を予感するだとか。

 わがまま一杯の梅雨の谷間の呟き。
       きっと、今夜の雨に呆気なく流されていくんだろうな。

                    (03/07/07頃、作成か

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2010/05/27

恐怖のミイラを奏でたミュージカルソー

 ひょんな話の流れから懐かしい楽器を思い出した。
 それは、ミュージカルソー
 懐かしいというのは、小生の個人的な感懐で、西欧では馴染みの楽器であり、日本でも人気が出つつあるという。

Paruz

← Natalia Paruz「Hark! An Angel Sings」(Arioso Records)

 懐かしいというのは、下記するツイート(呟き・投稿)でも書いているが、小生にとってはホラーのドラマとしては一番、怖かった「恐怖のミイラ」のテーマ音楽か何かで流れていた音楽で使われていた楽器「ミュージカルソーMusical Saw(別名ミュージックソー のこぎりバイオリン)」が今も印象的だからである。
(「ミュージカルソー」じゃなく、「テルミン」では、というご指摘が! コメント欄を是非、ご覧ください。)

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2010/05/26

金縛りの呪い…じゃなく全麻

 ゼンマ(全麻)されるのは初めてじゃないのに、麻酔が効いてくる感じがまるで予想と反していた

 徐々に意識が遠退いていくとか、そんな感じではなかった。

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← 25日、帰宅の途上、東の空に昇る朝日を横目に。今日の日中、豪雨になるなんて想像できない空。

 体の遠い部分から、体が泥か鉛か、とにかく肉体とは異質な何かへ完全に変質していくのである。
 体が重いようであり、しかもさらに重くなっていくようであった。
 ああ、もしかして肺も含めた内臓が死んでいってしまう、後戻りできない闇の世界へ落ち込んでいってしまう。
 肺もゴムのように、それも弾むことを忘れた死んだ固いゴムのように変貌し、息もできなくなってしまう。
 麻酔は脳にも効くのだろうか。意識が遠退いていくような、それでいて、最後まで明晰(といっても、小生の頭脳がそんなに明晰なはずはないのだが、その時だけは醒め切っているように自分では感じられて)、肺が心臓が麻酔でどうにかなる、その前に意識が遠退いてしまうと思っていたのに、そうではなかった(ように感じられた)のである。

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2010/05/25

我が家の庭は猫の庭

 加藤由子氏著に『雨の日のネコはとことん眠い』(PHP研究所・文庫)がある。
 題名はともかく、猫の生態を研究した本らしい(小生は未読)。

 天性のハンターである猫は、雨の日は狩りが出来ないので、本能的に眠くなるというが…。
 でも、雨のシャワーが好きかも知れない。そんな猫がいたっておかしくはないはず。
 それに、そもそも猫に限らず、多くの動物は、一日の大半を寝て過ごしているはず。動いたり、まして働くのは数時間もあるのかどうか。

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→ アヤメ科植物「ジャーマンアイリス」 「虹の女神」という愛称を持つという。

 猫の暮らしぶりを見ていると、働くことに執着し、一日の大半を働かないと存在意義を疑われるのではという強迫観念に駆られ始めたことから人間が始まったのではって、妙な詮索さえ、したくなる…。
 うむ。「人間を定義する」に新しい定義を加える必要があるかも?!


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2010/05/24

古ぼけた障子紙

 もし、そもそも、その手を差し出す前提としての、心の身体が欠如していたとしたら。
 差し出そうとすると、その力が反作用として働き、自らの身体(心)を砂地獄に埋め沈めていく。砂の海に溺れることを恐怖して、ただ悲鳴の代わりに手を足を悪足掻きさせてみたところが、その足掻きがまた、我が身をさらに深い砂の海の底深くへ引っ張り込まさせる結果になる。

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 私とは、私が古ぼけた障子紙であることの自覚。私とは、裏返った袋。私とは、本音の吐き出され失われた胃の腑。私とは、存在の欠如。私とは、映る何者もない鏡。私とは、情のない悲しみ。私とは、波間に顔を出すことのないビニール袋。

 そして、やがて、あるのは、のっぺらぼうのお面、球体の内側に張られた鏡、透明な闇、際限なく見通せる海、気の遠くなる無音、分け隔てのある孤立、終わりのない落下、流れ落ちるばかりの滝、プヨプヨな空間、風雨に晒された壁紙、古ぼけたガラスの傷、声にならない悲鳴。
 言葉になるはずのない表現の試み。


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2010/05/23

「ラーメン二郎」…東京のことで悔いの残ること

一昨年、富山へ帰郷したが、東京在住は四半世紀以上。
いろいろあったが、悔いの残ることも。

その一つは、「ラーメン二郎」へとうとう足を運ばなかったこと。

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→ 21日早朝の「ジャーマンアイリス」…。雨の日は風情があってよかったのだが、この日、夏日になって花びらが萎びてしまった。陽光に弱いのか。

支店(系列店?)には夕方だったか、仕事の最中、休憩を兼ね、入ったことがあるが、若い店員がつまらなそうに作ってる。
案の定、不味かった。
寿司屋と同じで、覇気のない店はダメ。

しかし、肝心の本店には入ったことがない。

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2010/05/22

読書拾遺 呟きあれこれ

 下記するツイート集でも呟いているが、今日、渡辺政隆著『ダーウィンの夢』(光文社新書)を読了。
 途切れ途切れに読むしかなかったが、とにかく分かりやすく面白かった。

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← アドリアン・J.デズモンド著の『ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ』(矢野 真千子 野下 祥子【訳】 日本放送出版協会)

 ダーウィンに関しては、関心を持続していて、本ブログでも何度となく取り上げている。
読書拾遺(ダーウィン、ミミズ、カメ)」や「ジョナサン・ワイナー 著『フィンチの嘴』」などの数々の拙稿がある。
 ダーウィンについての本というと、何と言っても、まとまった感想文も書けず、わずかに拙稿「疲弊するトンボを路上に置き去りに」の中で言及するに留まっているが、アドリアン・J.デズモンド著の『ダーウィンが信じた道―進化論に隠されたメッセージ』(矢野 真千子 野下 祥子【訳】 日本放送出版協会)が秀逸である! 
 ダニエル・C. デネット著の『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』 (青土社)に比高するやもしれないほど。
 悲しいかな、後者についても、面白く感じつつも歯が立たない部分もあり、「ダニエル・デネット著『ダーウィンの危険な思想』の周辺」なる駄文でお茶を濁してしまった。

 情けなくもだが、ダーウィンに関心を持ち続けている、なんて偉そうなことを書いているが、肝心の主著『種の起源』を読んでいない。学生時代を含め、何度となく手にしたのだが、どうにも最後まで読み通せない。
 この度(と言っても昨年だが)、渡辺政隆氏の新訳で、『種の起源 上』(古典新訳文庫 光文社)が刊行されたこともあるし、今度こそ、このダーウィンが一般向けに書き下ろしたという本書を読みきりたい。


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2010/05/21

3Kからいろいろと

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あなたを探してる

私の心は貝の殻
…海の響きが眩暈のように鳴り
懐かしき想いは渚の岩にへばりつく

卵を岩に投げつけると
黄身は痣となり
白身は涎となり
殻は粉微塵になって
水鳥の糞に紛れ込む

私は海
私は空
私は雲

私は 
砕けた殻を拾うあなたを探してる

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2010/05/20

ノンポリ人間の密かなヒーロー

 下記するツイート集の中に、山本義隆さんについての呟きがある。
 今、山本義隆著の『一六世紀文化革命 1』(みすず書房)を読んでいるから、ちょっとメモしたのだ。

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→ 昨日は蕾だった「ジャーマンアイリス」だが、今朝未明、バイトを終えて帰宅してみると、咲いているのを発見。今日は雨なのに、めげずに咲いてくれた。

 全共闘には全く無縁だし、そもそも学生運動からして関わらなかった小生である。
 だが、72年に大学生となった小生には、学生運動の余波を全く被らなかったわけではない。
 まあ、その辺りのことは別の機会に譲るとして、とにかく、学生運動にはるかに遅れてきた世代の小生にしても、山本義隆さんというのは、伝説のヒーローだった。
 いろんな逸話を聞かされたが、例えば、彼が高校の3年間の間に図書館の本3千冊を読破した、なんてことも聞かされた。

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2010/05/19

中途半端はやめて!

以下、例によってツイッター発言(投稿)集である。昨日の夜から今日の夜までの分。上のほうほど、新しい投稿。リンクや()内のコメントは、ブログにアップするに際し、付したもの。本稿作成中に、メンテナンスが始まってしまい、中途な日記となってしまった。

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我が富山市にも田植えのシーズン。水田には、今年も合鴨の姿がチラホラと。昨年は、ほー、ここでも合鴨農法かと、感激して撮影していたが、違った。白鷺なども飛来していて、水の張られた田圃に潜む虫などを啄ばんでいたのだ。人が近付くと驚いて飛び去っていく。何処へ? 聞いても教えてくれない。
(昨年の水田に飛来した合鴨のようすなどは、「緑滴る山々と合鴨と」参照。)


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2010/05/18

ツバメの巣を巡る小さな思い出

 下記するツイッター(での発言・投稿)集の中に、ツバメの巣に関係する話題がある。
 ツイッターでの発言では舌足らずもいいところ。
 せっかくなので、ツバメの巣を巡る苦い思い出の、せめて大よそのことをメモっておきたい。

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→ 掲げた写真は、04年7月25日、スクーターを駆り中央高速を使っての帰京途上、某SAの施設で小生が偶然、目にし、撮った燕の巣。燕の子供たちへ親燕が懸命に餌を運んでいた(「鳥雲に入る」参照)。


ツバメの巣を巡る小さな思い出

 鳥など空を舞うものというと、ハトやカラスもいたのだろうが、記憶の中では、コウモリやトビやツバメが印象に鮮やかである。
 コウモリについては、何年か前、夏の夜、屋根裏部屋でのコウモリとの遭遇を描いた小文を仕立てたことがある(「コウモリの夏」参照)。
 トビについても、いつか何か書いてみたいが、今日はツバメ(の巣)のことをちょっと。

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2010/05/17

澄明なる時

 空の様子や雲の流れ行くさま、太陽の姿の時間を追っての変化は、日々見慣れているはずなのだし、見飽きないのは何故だろう。
 微妙に形を変えているのだろう。
 とはいえ、昨日今日でそう変化するわけのものではないのだが。

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 それは、潮の満ち引きや木々の緑や葉っぱの風に揺れるさまや、もっと卑近なところだと緩んだ蛇口から垂れ零れる水滴を見飽きないのと同じ…なのだろうか。

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2010/05/16

自殺する動機、増える生活苦

[今週の或る日の日記から。いつも以上に舌足らずな表現となっているのは、某SNSサイトの日記欄にメモ書きしたから。本ブログへのアップに際し、改行その外を若干、変更している。]

自殺する動機、増える生活苦

 自殺率は、秋田、青森、岩手が高いとか。
 我が富山も高い(北陸地方では我が富山が一番高い)。

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→ 今朝未明。澄明なる夜明けの予感。風もなく、水の張られたばかりの水田も、静寂の時を憩っている。

 自殺の理由として、生活苦が増えている。自殺数が急増したのは、1998年。
 1998年の自殺者数は31,755人と前年の23,494人の35.2%の急増!


 自殺者数の急増した98年の前年、つまり、97年の4月、橋本内閣の時、景気が持ち直しつつあったのに、大蔵省(当時)の役人らが財政再建路線を優先し、消費税を上げ、特別減税を止めたりした。
 減税効果の消えた97年の夏から一気に景気が冷え込んだ。

 98年の前半の不景気の凄かったこと。
 金融危機をも招いたのは記憶に生々しい。

 橋本首相(当時)が大蔵省(当時)の役人の言いなりになったばかりに!

 1998年の自殺者数の31,755人と、前年の23,494人との差の8千人余り。
 98年以降、昨年までの差をも含めると、通算して9万人ほどは、橋本首相(当時)や大蔵省(現・財務省)の役人らの責任ではないのか!
 こんな単純計算が成り立つと言うつもりはないが、しかし、数字は何事かを物語っている。

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2010/05/15

プロバイダー  変更します

 かねてよりあちこちで告げておりましたが、いよいよ間もなくプロバイダーを今のニフティからローカルのプロバイダーに変更します。
 来週早々に正式に切り替え。

 ニフティをプロバイダー とする本ブログは、消滅するのかどうか、小生も分かっていません(アドレスなどは残るように設定したつもり。但し、容量などの都合もあり、閲覧できるかどうか、分からない)。
 ホームページは多分、残るはず。
 ブログの更新は、当面、本ブログのミラーサイトである「無精庵徒然草」(ameblo版)にて。

                                   (10/05/15 記)

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慶応病院へ受診に行った日のこと

[先週の或る日の日記から。いつも以上に舌足らずな表現となっているのは、某SNSサイトの日記欄にメモ書きしたから。誰かが顔の形の異変に最近、気が付いた、といった内容の日記を書いていたので、その日記へのコメントした、そのコメントに端を発した日記なのである。本ブログへのアップに際し、改行その外を若干、変更している。]

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← 野暮用があって知人宅へ。久しぶりに3匹の猫ちゃんたちに相見(あいま)えることができた。ゴメンね、休息中のところを覘いちゃって!

慶応病院へ受診に行った日のこと

 以前、下顎がやけに膨らんだことがあって、怖々病院へ行ったことがある。
 もう、二十年以上も昔のこと。
 痛みはないんだけど、自分では気にしないようにしていていも、会社の同僚に顎の異常を指摘されたりして。

 実は朝、髭を剃ろうと鏡を見たときから、何か変だなと思っていた。
 ただ、自分ではその事実を認めたくなかった。
 怖くて。

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2010/05/14

立山杉の樹齢2000年!

 夕餉の支度をしつつ、NHKテレビ(総合)のニュースを見るともなく見ていたら、話題が立山杉のことに。
ニュース富山人. 新事実!立山杉の樹齢」という番組らしい。
 全国放送がローカル版に切り替わってからのメニューなので、富山(乃至、名古屋放送圏)の人しか見ていないだろう。

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→ 立山杉の樹齢が2000年だという研究成果が。


 何が耳目を引いたかというと、立山杉の樹齢が今までの数百年、せいぜい千年という話が一気に覆(くつがえ)って、二千年に及ぶことが分かったというのだ。

 味噌汁を用意したり、オカズを温めたり、あれこれしつつ、断片的に視聴しただけだが、聞いた範囲では、立山杉の樹齢(が数百年という通説)に疑問を抱いた人が、ある研究者に依頼して樹齢を調べてもらったという。

 その研究結果がこの度、公表されたわけである。
 杉の古木の中の炭素(の濃度?)を調べることで樹齢を割り出したところ、研究者も驚く結果が出たのだった。

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2010/05/13

惹かれしも愛憎半ばのツツジかも

 小生の好きな花の一つに、ツツジがある。
 実のところ、ツツジが好きなのか、ツツジの季節が好きなのか、よく分からない。
 寒くもなく、暑くもなく、梅雨の鬱陶しさもない、ちょうど心地いい季節を象徴する花、という印象が、特に東京在住時代に心に刻み込まれたようだ。

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← 昨年の五月の連休直後に撮影した、自宅の庭のツツジ

 今年は天候が不順ということもあってか、ツツジに限らず、我が庭の花たちは概して元気がない。
 尤も、天候のせいにしているが、やはり小生が日頃、ちゃんと手入れしていないから、なのかもしれない。
 というのも、街中を巡ると、思わず溜息の出るような見事な咲きっぷりのツツジを見かけるのである。


 かく言う小生、本ブログでもツツジを巡って数々の雑文を綴ってきた。
 以下、過去の小文から一部を抜粋してみる。
 好きな花だけに、ツツジの咲く光景を前にして、思いがけないことまで呟いてしまうようである。


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2010/05/12

「月影に寄せて」から

 元始、女性は実に太陽であつた、という言葉がある。
 人間は誰しもが太陽なのかもしれないと思う。

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→ 在りし日の月影 (「月影のワルツ?」より)

 地上の星々でも書いたように、地上に生きている全ての人が、それぞれに星であり、太陽なのだ。生きとし生ける全ての存在が、太陽であり星なのである。
 あまりに当たり前に地上のこの世界に星々が煌いているから、そうした事実に気が付かないのだ。自分だって実は太陽であり星となっていることがわからないのだ。

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2010/05/11

『悲しみのダルフール』の一読を薦める

 ハリマ・バシール/ダミアン・ルイス著『悲しみのダルフール』を読了した。素晴らしい本だった。期待を遥かに上回る。
 副題に「大量虐殺(ジェノサイド)の惨禍を生き延びた女性医師の記録」とあるが、本書の内容は副題で想像されるよりずっと豊か。
 とにかく語り手の女性(ハリマ)の木目細かで愛情溢れる観察力に基づく記憶力で語られ、情景が鮮やかに浮かんでくる。
 ハリマの語り口が実にいい。

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← ハリマ・バシール/ダミアン・ルイス著『悲しみのダルフール』(真喜志順子訳 PHP研究所)


 ジャーナリストやルポライターが自ら危険を覚悟で紛争地域へ飛び込んで、熱気溢れる報告をする…そういった類いの本もいいが、やはり当事者が語る、しかも、自らが犠牲者の一人である人の文章の持つ迫力には敵わない。
 人が人に対し悪魔になれる、しかも、虐殺する連中は自らの行為を正当化して憚らない。
 民族や宗教の違い、そこへ介入する欧米や、特にダルフール紛争の場合は中国の、資源(石油)獲得のためには手段を選ばない政治(大国・先進国)の酷薄さ。

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2010/05/10

キジは国鳥、でも狩猟鳥

 キジが国鳥に選ばれた理由は幾つかあるという。
 小生は、7年前に既に調べていたのだった。
 そんなメモを綴ったことなど、すっかり忘れている。
 キジをネット検索でヒットして、我ながら驚いている!

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→ UFO? 新種のクラゲ? いえ、我が家の奥座敷の照明です!

 以下、主な理由を示しておく:

1 日本固有種であり,日本の象徴になっている。
2 留鳥で1年中姿を見ることができ,また人里近くに生息する。
3 姿態優美,羽色鮮やかで,鳥に関心を持つ人が好きになれる。
4 大型で肉味が良い。狩猟の対象として日本では好適で,その狩猟はスポーツとして楽しめる。
5 古事記・日本書紀といった古文献に,すでにキジの名で登場し、また桃太郎に登場する動物として子どもたちも知っている。
6 オスの飛び立つ姿は力強く男性的,メスは「焼け野のきぎす」のたとえにあるように非常に母性愛が強い。

(これらの理由は数年前、あるサイトで知ったのだが、今日、リンク先を覗こうとしたら、既に削除されていた。せっかくなので、当時、当該の頁を参照しつつメモした拙稿を示しておく:「今朝、知った雑学的情報(2) : キジのこと」)

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2010/05/09

草むしり命を愛でると言うは嘘?

 数日前から読み始めているハリマ・バシール/ダミアン・ルイス著『悲しみのダルフール』、話はいよいよ佳境に入りつつある。語り手のハリマの村もダルフール紛争の渦中に呑み込まれて…。
 当然、これからが本書のメインなのだろうが、仮にこの手前で話が途切れていても、なかなかドラマチックで読み応えがあって、印象的な読書体験となっていたろう。
 記憶力が抜群ということもあって、生活の細部や様々な人たちとの交流の様子がありありと描かれていて、渡る世間は鬼…なんとかをもっと広い見地に立って描いているような面もあったりする。
 とはいっても、まだ、本書を半分ほど読んだだけだが。

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← 今朝未明、仕事の手をちょっと休めて。朝日の登りつつある光景に見惚れていた。まだ四時半頃だったはずだが、随分と明るくなっている。

 一昨日より、今年も草むしり作業のシーズンに突入。
 二日間で、畑の半分近くの草むしりが終わった。
 庭などは一切、手付かずなので、敷地全体からしたら十分の一にも及んでいないのだが。
 ツイッターでも書いているけれど、草むしりなどをしつつ、雑草のことがあれこれ思われてならない。
 自分が雑草だから?
 そんな逞しさはないが!
 って、雑草が逞しいってのも、一つの固定観念、人間の勝手な思い入れに過ぎないのだろう。
 そもそも雑草というのは、人間の生活圏での植物相の一形態なのだから、雑草を語るにも、一筋縄で行くはずがないのだ。


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2010/05/08

「早生まれの意味、生きることのなつかしさ」へ!

本日は、オールツイッター発言(投稿)集である。昨日の夜から今日の夜の分。上のほうほど、新しい投稿。リンクや()内のコメントは、ブログにアップするに際し、付したもの。幾つか、単独の記事として扱いたい話題もある。

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→ 今年は、天候が不順だったせいか、我が家の庭の花は全般的に元気がない。ジャーマンアイリスも咲きはしたが、萎れたような萎びた咲きっぷりで撮る気になれなかった。そんな中、突抜忍冬 (つきぬきにんどう)」はチューリップと並んで、やや勢いがある…かも。昨年の我が家の庭は、こうだった:「庭の植物たちの息吹」 今年と比べ昨年の庭の賑やかなこと!

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2010/05/07

ぬるま湯も我が世の春とシャワーせし

 今日のメインイベントは、水(ぬるま湯)シャワー解禁と、草むしり。

 昨年、最後に草むしりをやったのは、いつだったか。
 いずれにしても、半年(以上)ぶり。
 なので、一時間半ほどの草むしりは、足腰にきつい。

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← 御神輿の引き回し。(画像は、昨年の光景。本文、及び「町の神社は熊野神社として創建」参照。)

 バイトでの職業病なのか、腕が痛いので、草を根っ子から引っこ抜くのが辛くてならない。

 しかも、その後、バスタブの清掃もあって、いよいよ体に堪えた。

 それでも、自転車を使っての買物も含め、外での活動ができるのは嬉しいし、水シャワーであれ、自宅で湯浴みならぬ水浴びできるのは、これからの季節、ありがたい。

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2010/05/06

雉を見て我が人生も吉になる ?!

 片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず…ってわけでもないが、今日も夏日となり、穏やかな風が吹いている中、自転車を駆って買物へ。
 若い頃なら、こんな上天気に恵まれたら、何処か遠くへ! 誰かに会いに! って思いに駆られるんだろうが、スーパーへの道を往復するだけで、今日の外用事はこれにて足れりって気分になってしまう。
 やや涸れてきたってことなのか…。

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→ 昨日の朝だったろうか、庭掃除をしていたら、いつもは樹木の緑か土の色しか見えないはずの内庭にポッとピンクの色がポツンポツンと。見ると、一本のツツジだけ、淡い紫の小花が咲きだしている。通りに面していて、一番、日当たりがいいから、他のツツジたちに先駆け、真っ先に咲き出したんだろう。なんだか、庭にポッと灯りが灯ったよう。

 別にゆっくり走っているつもりじゃなかったのだが、我輩の脇を若者があっさり追い抜いていく。
 そんなに懸命に漕いでいるふうにも見えない。
 なのに、このスピードの差は何だ!

 置いてけ堀を喰らったようで、ちょっと惨めなので、わざと余所見をして、ゆっくりゆったり走っているふうに見せかけたりして。
 誰も見てないのに! 男の意地ってものだろうか。
 その僅かな意地だけが、涸れ切っていない自分を証し立てているのだろうか。


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2010/05/05

黄砂は、中国からの手紙…じゃなく、小包か

 つい数日前まで、寒かったこともあるし、空模様が不穏で、すぐに天候が変わるという懸念もあって、そんなに遠くない場所にあるスーパーへも、車で買物へ。
 まあ、大概、他に所用もあって、そのついでに買物に立ち寄るという事情もあるのだが。

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← この樹のシルエットには、癒される。もうしばらくしたら朝日が上がってくる。先を急ぐので、朝日を待ちきれない。その光景は、さぞや!

 でも、今日は他の用事を敢えて目をつぶって、スーパーのみへ向かった。
 なので、使ったのは車じゃなく、自転車。
 爽快。風が気持ちいい。

 黄砂なのか、埃が凄い。自転車もだが、車も埃をめいっぱい、被っていた。
 ってことは、気持ちいいはずの春の風にも、埃が混じっているってことか。
 黄砂を見るたび、中国は隣国だと実感させられる。
 中谷宇吉郎に、「雪は天からの手紙」という素敵なエッセイがあるけど、黄砂は、中国からの困った小包かな。


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2010/05/04

紅葉にはならずともよしカエデたれ

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→ 我が家の庭の咲き方のまちまちなチューリップたち。不揃いでもいい、咲いてさえくれれば。正午頃には日陰になるので、咲き誇る時間は午前中だけ。植える場所を間違えてる!

 世の中は大型連休だとか。
 小生には連休など関係ない。日曜も祭日も平日も、毎日、バイト。
 家人は一人は家で、一人は病院で養生している。
 何時間も家を離れるわけにいかない。


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2010/05/03

ラーメンの思い出

 今日は、ツイッターで蒲鉾の話題が出て来た。
 前々から専門店の方のツイートで、蒲鉾の話題は目にしている。
 自分がツイッターで、その話題に言及するのは初めてなのである。

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← 「細工蒲鉾(鯛蒲鉾)」 富山の名物である。結婚式などの引出物には欠かせない!「北陸 蒲鉾屋三代目 蒲鉾丹右衛門の徒然なるままに・・・」参照。 (画像は、「蒲鉾 - Wikipedia」より)

 富山といえば、色鮮やかな目出度い絵柄の蒲鉾が有名。引き出物には欠かせない。
 蒲鉾をめぐって格別、何を書いたことはないのだが、今は分からないが、富山のラーメンというと、昔はチャーシューの代わりに薄く切った蒲鉾を載せるのが定番だった。

 近所のラーメン屋さんもご他聞に漏れず。

 そのラーメン屋さんを巡る思い出話を書いたのが、「ラーメンの思い出」である。
 ちょっと失礼なことも書いている。
 それというのも、自分の舌(感覚)に自信がない、自分の感覚を信じられないからなのだが、情けない話である。
 忸怩たる思いもあるが、恥を晒す意味も含め、せっかくなので、ブログに載せておく。
 この思い出話を書いた頃は、父母は元気で、食事の世話もしてくれていたのだが…。

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2010/05/02

オースター著『ガラスの街』を読んで

 過日、東京都の人口が1300万人を突破したというニュースがあった。
 大した話題にはならなかったみたいだが、まあ、世界一に返り咲いたというのならともかく、今更の話題なのか。
 人口密度も上海などの新興国に負けている(この場合、負けているという表現の妥当性は留保するとして)。
人口:東京都、1300万人突破」(毎日jp(毎日新聞)によると、「00年に1200万人を超えてから、10年で100万人増えた。都担当者は「地価の下落で都心への回帰傾向が強まっていることが一因」と分析」しているらしい。

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→ これは、「タンブル・ウィード (ロシアアザミ、回転草)」 こうした荒野は、西部劇(映画)でお馴染みかもしれない。アメリカの大概の大都会も、つい昨日までこんな光景だったのだ。その記憶は現代にあっても生々しく脳裏に刻み込まれている。 (拙稿「タンブル・ウィード…風転草」参照。)

 富山市に住んでいると、東京の1300万人という人口が、それだけの人間がひしめき合っているという状況には想像を絶するものがある。
 小生など一昨年まで東京在住だったにも関わらず。

 富山市クラス、あるいはそれ以上の街が数十個、隣接している。
 東京は、何処まで行っても都会。

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2010/05/01

霞み立つ空を化粧に朧月

鳩山首相が6位? タイム誌「最も影響力のある指導者」 」(イザ!)によると、「米誌タイムは29日、2010年の「世界でもっとも影響力のある100人」を発表、日本人では「リーダー」部門で鳩山由紀夫首相が6位に選ばれた。トップはブラジルのルラ大統領で、オバマ米大統領はマレン米統合参謀本部議長に次いで4位だった」とか。

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← 今朝未明は満月を背負いつつ仕事。明け方に近付くにつれ雲が厚くなってきた。風があり、木立ちが木の葉の鳴る音を立てて戦(そよ)いでいた。実際、明けて間もなくザーと雨が。雨どころか、月影を愛でつつ働けたのは、運が良かったのだろう。有刺鉄線越しに月影を撮るつもりじゃなかった。気が付かなかったのかなー。

「タイムは鳩山首相を選んだ理由について、昨年の総選挙で政権を取り、「日本が事実上の一党支配から、機能する民主主義に変わるのに貢献した」からだと」いう。

 アメリカ(のマスコミ)、鳩山首相をこき下ろしたり、持ち上げたり、忙しい。
 普天間基地の移設問題で、アメリカ側の従来からの案に沿う形で決着を見る見込みが立ったから、今度は(バランスを取る意味で)褒めておいたのだろうか。

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