沈黙の宇宙で音の欠片を掻き削る
植物の発する強烈な臭いは生命の根源に触れるような思いがする。毛深い犬や猫の体臭に獣を感じ、あるいは母の胸にこそ命の源泉を感じるかもしれない。花の芽吹きや開花に自然というものの神秘と生きる歓びを感じることだってあっていいはず……、なのに何も感じられない奴だっている。
心が閉じている人間に、さて、どうやって世界の広さを告げたらいいのだろう。命の感覚、切れば血の吹き出る漲る生命感をどう伝えたらいいのだろう。
体が衰えると、心まで萎えてしまう。
心と体は別個のもの…。そう思いたいのだけれど、やはり、心身は分かち難いものなのだろう。
それでも、我が身に抗(あらが)ってまでも、宇宙の豊穣を感じ取りたい。
その豊かさの一滴をでも我が身に沁み込ませたい。
肌の潤いの喪失に恐怖し始めた女性が、何かの栄養乳液を顔に肌に塗り込む…。ちょうどそれを音の世界で試みているようなものか。
← 3月30日の未明。この夜は、凄惨なまでに蒼白の月影が地上世界を照らしていた。まるで心の澱を炙りだすように。
闇の宇宙で音の欠片(かけら)を掻き削ろうとする。
ダイヤモンドダストの彷徨い漂う宇宙。音という闇の世界の真珠たちから削られ粉塵となったはぐれモノたちが分散し、あるいは集合する。
塵芥(ちりあくた)たちが闇の清流を、そして闇の大河を形成していく。
見えるはずもない闇の河。奔流の奏でる音。音でありながら、決して耳に聞こえるわけではない。沈黙の宇宙なのだ。音の伝わる媒質自体がない。
音は、宇宙という空間で、あるかなきかの物質に寄り添う。
孤立したモノたちの奏でる孤立した、他に伝わるはずもない悲しみや喜びの響きなのである。
そうした、目にも耳にも肌にも感じ取ることのできない音という玉を誰かが拾い集めている。細い透明な糸で紡ごうとしている。繋げ結びつけようとしている。
仮に糸が短くて結合が叶わないなら、せめて、それぞれの窓のないモノたちを遠目に眺め、あるいは心に思い浮かべて、ちょうど星座を夜という闇の海に読み取るように、それぞれが孤独なモノたちを、音の原石たちを、あるはずもない糸で結びつけて、音の星座を織り成す。
→ 仕事を終え、夜明けの予感の漂う東の空を横目に、帰宅の途に。
音の雫がおちこちの軒先に放置された桶に、崩れかけた家の屋根に、一滴また一滴と落ちている。
掻き削られたダイヤモンドの欠片たちが音に呼応してだろうか、闇に自光し始める。瞬時の輝きを発する。
あと、自分ができることといえば、瞬時の煌きを決して見逃さないことだ。
沈黙する宇宙の音楽を聞き逃さないことだ。
(10/03/31 編)
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