エノコロ草は有用な植物でした
ある本を読んでいたら、思いがけないくだりで、別名、「猫じゃらし」とも呼ばれる植物「エノコロ」について、おやっというような知見を得た。
→ 「キンエノコロ」 by kei (「野原のことなど」参照のこと)
植物に詳しい方なら常識に属するような類いかもしれないが、小生には意外な事実。
というのも、植物に付いても疎い、しかし好奇心だけは人並みにある小生のこと、「エノコロ」についても、本ブログでも何度か採り上げたことがある。
大よそのことは調べてしまった…つもりでいたのだ。
例えば、「猫柳(ねこやなぎ)」では、猫柳が猫じゃらしに似ている、なんて話などをあれこれ書いている。
また、表題もそのままずばりである「猫じゃらし…エノコロ」では、エノコログサ(猫じゃらし)について、ネットで調べられる限りのことはメモしている…。
…はずなのだったが、そうではなかったらしいことが、ある本を読んで知り、とりあえず今日の日記にてメモしておこうと思い立った次第なのである。
その本とは、森 浩一 著の『日本の深層文化』(ちくま新書)である。
「日本の深層文化を探ること―それは、かつての日本人たちの豊穣な意味の世界を生きなおすことだ。「稲作文化」の常識に反して、かつて穀物の一方の雄であった粟の意義。田とは異なる豊かさを提供してくれた各地の「野」。食用だけでなく道具や衣類そして儀式の象徴となる鹿。さらには「大きな魚」としてのクジラ…。思い込みを排すれば、史料と遺跡はこんなにも新しい姿を見せてくれる」といった内容の本。
考古学者の森 浩一の本には何冊か親しんできた。引越しの際、東京で入手した本の大半は引越し(帰郷)の際、処分を余儀なくされた中で、長く座右の書にしていた本も手放さざるを得なかったのは残念だったものである。
← 森 浩一 著『日本の深層文化』(ちくま新書)
さて上掲書で見つけた小生にとっては思いがけない事実とは、「エノコロ」が親しみをもてる雑草…であるに留まらず、有用な植物だということである。
今でこそ、エノコロ草は愛らしく可憐でもある雑草として路傍に眺められるのが関の山だが、今から百数十年前の時点では(丹波などの地域では)、雑草ではなく、畠で栽培し食用にしていた。
あるいは、家畜の餌になっていた、というのだ。
本書(著者の森)によると、「考古学や民俗学を志す若い研究者たちで、エノコロ草、ミノゴメ、マコモ、ジュズダマの子(み)が、わずか百年ほど前にはまだ食用にされていたところがあったことを知る人は少ないだろう」という。
ふむ。小生のような学問には門外漢のものがエノコロ草が有用な植物だったことを知らなくても恥ではない?
早速、小生、ネットの強みを生かすべく、「エノコログサ」をキーワードに再検索。
「エノコログサ - Wikipedia」を覗いてみると、末尾の「利用」なる項目にて、「現在は一般的に食用としては認識されていないが、粟の原種であるので食用に使える。若い葉と花穂は軽く火であぶり醤油などで味付けしたり(風味はポップコーンに酷似)天ぷらにしたりして食べられる」とか、「近代以前の農村では酷い飢饉の際にカラスムギなどと共にこれを食用としたこともあった。オオエノコロは粟の遺伝子が流入しているので食用に供しやすい」などと書いてあるではないか!
小生、エノコロ草の可憐な、でも、食用には向きそうにない(と思える)外見に、この記述を見事に読み飛ばしていたのだ。
改めて「エノコログサ - Wikipedia」を読むと、エノコログサには種内変異が多いとか、「最大の変異はアワである。別種として扱われているが、エノコログサを元に作り出されたものと考えられている」などと書いてあるではないか!
実際、上掲書にても、エノコロ草と粟(アワ)との関係や調理法も含め、詳しく書いてある。
その調理方法は、「九月頃、その穂を採取し、揉んで種子を採り、臼で搗いて粥または飯に炊くほか、揉んで採った種子を石臼で挽いて粉末となし団子にして食す」(『本邦郷土食の研究』(昭和十九年)より)とのことである。
食糧不足が単なる危機ではなく、現実のものとなるやもしれない。
そのためにも、今回のことは実に勉強になった ? !
→ エノコロ草? (「猫じゃらし…エノコロ」参照)
参照(関連)拙稿:
「野原のことなど」
「猫柳(ねこやなぎ)」
「猫じゃらし…エノコロ」
「すすきの穂にホッ」
「猫じゃらし ! のネロ」(創作)
(10/04/20 作)
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