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2010/04/11

馬酔木のこと少々

馬酔木」について、誰しもが気になったり疑問に思うのは、まずは、表記であり、読みだろう。
 何ゆえに、「馬酔木」なのか。
 いかにも当て字という感が強く漂っている。

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→ 「アシビ(アセビ)」の花の連なり。芽吹き始めた葉っぱも見える。

アセビ:広島工業大学」によると、「万葉表記には、馬酔、馬酔木、安志妣、安之婢が用いられてい」るとある。
アセビの枝葉には、アンドロメドトキシン、アセボチン、アセボプルプリンなどの有毒成分がふくまれており、馬が食べると酔っぱらったように麻痺することから漢字として“馬酔木”が使われるようになったそう」というのが、正しいかどうかは別にして、定説に近い。
 というか、それ以外の説明を試みるサイトは見つからなかった。

 馬が食べると酔っ払ったように麻痺する…。

 牛など他の草食動物は食べないのか(どうやら牛も、つい食べることがあるらしい)、馬にだけ作用する毒なのか、などなど疑問は尽きないが、これといった反論も立てようがない以上は、古来よりの表記「馬酔木」に従うしかない。

 ついで、読みである。
 同じく、「アセビ:広島工業大学」によると、「標準和名は、アセビで、別名にアシビ、アセボ、アセミ、アシミ、アセブ、アシミノキ、バスイボク等があり、その他 “むぎめしばな(麦飯花)”、“むぎばな(麦花)、“どくしば(毒柴)”、こめごめ(米米)“等があ」るという。
 但し、これらは必ずしも、「馬酔木」の読みということに限らず、当該の植物(樹木)の呼称の数々である。

観音崎の自然&あれこれ アセビ」などいろんなサイトには、「人間が食べると足がしびれたようなようになるので「足しびれ」と呼ばれ,それが転化してアセビないしはアシビとなり,「馬酔木=アセビorアシビ」と結びついた」といった説が示されている。
 小生としては肯定も否定もできない。

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← 少なからずの人は、鈴の形をした小さな花の連なりだけ見ると、鈴蘭(スズラン)? なんて呟きそう。でも、「馬酔木(あしび)」である。

 さて、「水原秋桜子が主宰,昭和新興俳句の拠点となった」「アシビ」という俳句雑誌があったらしい。

 しかし、一般に有名なのは、伊藤左千夫を中心に創刊され、「正岡子規の写生道を守り「アララギ」の基礎を築」くに至った、短歌雑誌の「馬酔木(あしび)」であろう。
 この場合は、「あしび」と読む。

 伊藤左千夫の命名なのかどうか分からない(多分、彼が中心になって命名したのだろうけど、調べきっていない)。

 彼(ら)は、何ゆえ、「馬酔木(あしび)」という名前を選んだのだろうか。

 植物名の「馬酔木」は、「万葉集」には幾つか歌に詠み込まれている

磯の上(うへ)に 生(お)ふる馬酔木(あしび)を 手折(たを)らめど
         見すべき君が ありと言はなくに

              大來皇女(おおくのひめみこ)  万葉集(巻二 -166)

あしびなす 栄し君が 堀し井の
         石井の水は 飲めど飽かぬかも

                作者不詳  万葉集(巻七 -1128)

 このように、「万葉人に愛されたアセビは、その後、平安時代の歌人にはほとんど取り上げられておらず、「古今集」などには見られませんし、平安時代後期や鎌倉時代に詠まれたアセビは、“毒の木として恐れ嫌った植物”になってい」るという。

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→ 「馬酔木(あしび)」の全体像。左側に小花がないのは、昨年末、雪の季節が到来する前に、枝葉を相当に剪定したからである。

 それが、「時は下って明治時代になると、歌人たちのアセビに対する心象が再び良くなります。例えば、正岡子規を継承した伊藤左千夫は、根岸短歌会の短歌誌を「馬酔木」と名づけて創刊してい」るというのだ。

 どうやら、雑誌に拠っての短歌の運動の際、愛される植物としては、ほとんど万葉集にしか載っていない植物(花)である「馬酔木」を雑誌の名称とすることで、万葉(集)の歌の精神に立ち返ろうという意味合い(意志)がこめられているようである。

 言うまでもなく、伊藤左千夫の師匠格の正岡子規は、「古今集を否定し万葉集を高く評価して、江戸時代までの形式にとらわれた和歌を非難しつつ、短歌の革新につとめた」人物で、伊藤左千夫は、師の衣鉢を継いだわけでろう。

 
 この伊藤左千夫は、小生も若い頃、涙して読んだ小説『野菊の』の作者としても有名(というより、小生は、若い頃は、この小説の作家としての伊藤左千夫しか知らなかった)。
 この小説、小生が若い頃は、よくテレビドラマ(映画)化されたものだが、最近は舞台で採り上げられることのほうが多いようだ。

 漱石が激賞したというこの小説(このことが伊藤左千夫が世に出る契機となった)だが、漱石は何ゆえ『野菊の墓』を褒めたのだろう、なんて疑問は今は不問に付しておく。

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← 夜の明けるのが実に早くなった。四時過ぎには薄っすら明けてくる予感が漂ってくる。真暗な夜空が徐々に透明感を帯びてくる時間帯は、いつもながら神秘の時を感じる。


参照:
馬酔木全般について、下記が詳しい:
アセビ:広島工業大学

下記は、馬酔木についても詳しいし、花の画像もいいのだが、大抵のサイトは示さない、アセビの葉の写真が載っている:
観音崎の自然&あれこれ アセビ

馬酔木の写真については、下記がいい:
アセビ(馬酔木)

                             (10/04/10 作)

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