B29に我が富山が空襲されるという夢
小生は以前、一部屋のアパートに住んでいたことがある。
嬉しいことに、ユニットバスが付いている。ただ、ワンルームである。
← 内庭の紅葉(カエデ)も、冷たい雨に震えていた。
格別、トイレを汚すわけではないが、その部屋が新しかったこともあり、真新しい洋式トイレの汚れ防止のため、ある固形状の薬剤(曖昧な記憶だが、小林製薬のブルーレットだったと思う)を給水タンクに忍ばせた。
ところで、小生、トイレに限らず少々の匂いだと、漂っていても自分は気づかない。
部屋の中の自分の出す匂いへの馴れもあるが、嗅覚の鈍感さもある。
自分で気づかない匂いが漂っているのではないかという懸念というか危惧の念が常にある。
トイレを済ませるたびに青い水が流れ、汚れは防止できているのだろうが、次第に、鈍感な小生の鼻にも部屋に刺激臭が漂っていることに気付いてきた。
ただ、トイレには換気扇があるので、トイレを済ませたあとも換気扇は回したままである。
それでも匂う!
トイレに限らずガス漏れなどの異臭が漂っていても自分では気付きにくいので、トイレの換気扇は廻しっ放しにしていた。
少しでも部屋の埃が換気扇に吸い取られていくことを願っての意味もあった。
ところが或る日、電気代をケチったわけでもないが、ワンルーム住まいで換気扇の音が反響して煩かったこともあり、つい、オフにしてしまった。そして、そのまま就寝してしまった。
その日の夢の凄かったこと。
夢の内容も凄まじかったが、夢が小生が生まれてこの方経験したことのないほどの鮮明なカラーだったのである。特に青色系統の色が濃く且つ鮮やかだった。色の粒子が立体化し、粒々になったかのようだった。
世界が過剰に鮮明に映っている、映っているどころじゃない、どんな中間色も原色に負けず劣らず生々しい。色の粒子がどれも息衝いているのだった。
最初の薬剤使用の時は、中世ヨーロッパが舞台で、碌に鎧も纏わない兵士達が槍や斧に似た武器を使っての肉弾戦の真っ只中にいる夢が多かった。兵士達の肉体がぶつかり合い、もんどりうち、重なり合い、斬り合い、肉を抉り合っていた。
これが戦いの烈しさだと、その生々しい光景が我輩を諭すようでもあった。
→ 「B-29戦略爆撃機」 (画像は、「B-29 (航空機) - Wikipedia」より)
そこはまあ、しかし、鈍い小生のこと、朝、起きても、夢の鮮やかさに驚きつつも、最初の時は原因を追究しなかった。
トイレから漂う薬剤の匂いが部屋に満ちていることにはさすがに気づいたはずだが、その匂いと原色の踊る夢との相関に考えが及ばなかった。
嗅覚もだが、思考力も鈍い!
見る夢がどんな映画でも見ることの叶わぬ総天然色であることの原因がトイレの給水タンクに入れた薬剤にあると気づいたのは、同じ薬剤を二度目に使い始めた或る日のことだった。
前回の薬剤が水洗の水に溶け去って、しばらくは新規のものを買わずにいたのだが、やはり便器は綺麗に保ちたいと思ってきて、同じ固形のブルーレット(だったろうか?)を使い始めたのである。
相変わらず、普段、在宅の時は換気扇を入れっ放しにしていた。
しかし、外出中はさすがにスイッチをオフにする。
なので帰宅直後は部屋の中には薬剤の匂いが充満している…ことに気付く。
言うまでもないが、普段はトイレと部屋との仕切りのドアは閉めている!
それでも匂うのだから、その薬剤の水に溶けた際の匂いの強烈さが分かろうというもの。
或る日、面倒で換気扇をオンにしなかったのか、それとも寝入る時についオフにしてしまったのかは覚えていないが、とにかく凄まじく色鮮やかな夢を見た。
二度目の錠剤使用の時は、前回の肉弾戦とは違って、B29に我が郷里である富山が空襲されるという光景だった。
漆黒の、それとも凄みを覚えさせるほどに濃く鮮やかな藍色の闇を背景にサーチライトに、機銃掃射の閃光に、あるいは投下され炸裂した焼夷弾によって焼け焦げつつある街の業火に照らし出されたB29爆撃機の巨大で不気味な銀色の機影が何十機も目に見えた。
B29の銀翼が、銀色の巨大な胴体が目の前に輝いていた。
← 「B-29戦略爆撃機」 (画像は、「B-29 (航空機) - Wikipedia」より)
明滅する光との対比のせいなのか、あんな凄まじい藍色や紺色、青色は夢の中でも見たことがない。きっとこれからも見ることはないだろう。
小生の脳味噌だと起きた瞬間に夢を見ていたという印象は仮にあっても、夢の内容は大概、呆気なく忘れ去ってしまのが常なのに、B29による空襲の鮮烈な情景は、目覚めた瞬間に雲散霧消することはなかった。
そんな印象鮮明な夢で目覚めた瞬間、さすがの小生も、「ああ、給水タンクの薬剤のせいだ!」と気付いたのだった。
漂う刺激臭が普段なら休眠状態にある我が嗅覚という感覚器官を鋭く刺激し、あるいは脳味噌の嗅覚中枢をも鼓舞して幾度もただならぬ夢を見させたと認めざるを得なかった。
同時に、嗅覚、そして広くは感覚、さらには身体について改めて自覚的たらざるをえなくなった体験でもあったのである。
(2006/02/26 原作 10/04/23 一部手直し)
参考:
「甘い匂いの思い出」
(10/04/23 編)
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