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2010/04/22

遠くて近いは男女の仲

 広辞苑によると、「遠くて近いは男女の仲」とは、「男女の仲の意外に結ばれやすいことにいう」とある。
 浅学なる小生は、この諺(?)が『枕草子』に見出されることを知らなかった。

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← 我が家の庭。画質を落としているので分かりづらいだろうが、手入れのされていない(していない)庭は荒れ放題である。奥に写る瀟洒な家は近所の邸宅。我が家は風が吹くと隙間風であちこちガタピシする茅屋なのだ。

 おそらく、高校時代とかに、授業で嫌々ながらでも「枕草子」は読んでいた筈なのに、この事実に気が付かないなんて、ちょっと恥ずかしいような気がする。

 …知らなかった、というより、すっかり忘れてしまった、それとも右の耳から左の耳へ、だったのだろう。

 念のため、『枕草子』中の関連するくだりを紹介しておくと:

遠くて近きもの 極楽。舟の道。人の仲。(第一六二段)

 最後の「人の仲」の人というのは、男女の仲と解釈されているわけである。

 ただ…、「極楽」が「遠くて近きもの」というのは、ちょっと解(げ)せない。
 Hのように、その気になれば極楽は近いということか、あるいは、戦乱や病気などで死ぬことの多かった時代背景を考えると、死んでの(極楽)往生が日常の沙汰だったということなのか、識者はどう説明してくれるのだろう。

 ついでに、「近くて遠いもの」も第一六一段に紹介されている:

近うて遠きもの 宮のべの祭り。思わぬ同胞・親族の仲。鞍馬の九十九折という道。師走の晦日(つごもり)の日。正月の朔日(ついたち)の日ほど

 なるほど!

 後者について解説しておくと(角川書店=編、角川ソフィア文庫刊による):

 宮のべの祭りは一月と十二月の初午の日にある。十二月から一月は近く、一月から十二月は遠い。都の北、鞍馬寺の山門から本殿までの山道は険しく、葛(つづら)のつるのように何度も折れ曲がる。すぐそこに見えてもなかなか行き着かない。大晦日と元日は一日違いだが、一年の差がある。

 尚、冒頭の「遠くて近い…」の出典が『枕草子』に見出されるとして、では、その以前にこうした表現があったのか、なかったのかは、小生は知らない。誰か、教えて欲しい。

同胞・親族」が「近うて遠きもの」の一つとして挙げられているのは、推して知るべしだろうか。


 『枕草子』は、勿論、清少納言の書いたとされる書である。
 が、清少納言というのは、彼女が宮仕えをした時の女房名であることは知られているだろう。我々は高名な書の書き手の本名を知らないわけである。
 さらに分かっていないのは、この書がいつ書かれたのか、だ。上掲の書の解説によると、清少納言が仕えた中宮定子が(藤原道長派の追い落としのため)落剥の憂き目に遭い、清少納言も敵方への内通という噂を立てられ、里に引きこもっていた時に最初の草稿が書かれたと言われているそうである。

 清少納言としては、『枕草子』というのは、輝ける日々の備忘録として書いた私的なメモだったのだろうか。
 それが、ふとした折に、清少納言を訪れた伊勢守源経房(つねふさ)が彼女の草稿を持ち帰り、それが流布したと考えられているようだ(『枕草子』の末尾にも、そう書いてあることは事実だ)。

 けれど、のちに紫式部が評したように、自己顕示欲が強い清少納言のこと、意図的に彼女は自身の草稿を披見し、流布させるべく量ったと考えたほうが、小生には理解しやすい。

 やがて、定子が皇女を出産したこともあってか、伊周(これちか)・隆家が許されて上京し、その際、定子も宮中に戻った。しかし、やがて、定子が第二の皇女を出産すると同時に二十五歳で生涯を閉じる。
 この不幸を機に、さらに『枕草子』は書き継がれていくわけである。

 定子、つまりは伊周・隆家を追い落とした藤原道長の娘、彰子に仕えた紫式部は、かの『源氏物語』を書くに至る。
 式部の辛口な清少納言評には、資質的な違いと同時に政治的対立という恩讐の念も篭っているような気がする。

 一度は、道長派に追い落とされた定子(伊周・隆家)側が、一時とはいえ、復権できたことの万分の一の貢献に、清少納言の『枕草子(最初の草稿)』がなったのかどうかは、疑問かもしれない。

 ま、そんな生臭い話は別にして、本名さえ明らかにできない風土の中、これだけ生き生きとした、あるいは同時代の世界を見渡しても希有な文章が生まれたということだけは、歴然たる事実である。

 時代の限界というべきか、一般庶民が下衆として見下されている云々のくだりなども散見される。
 しかし、今の時代に通じる美的感覚、あるは感覚表現のスタイルが彼女の随筆の段階で、ほぼ確立された(されていた)ことは確かだろう。
 まさに、傑出しているのだ。
 そのパトスとして清少納言の自己顕示欲とか、才気煥発ぶりがあるというだけでなく、負けてたまるかというような女の執念のようなものをさえ覚えるというのは、もっと生臭い話になるだろうか。


(「清少納言『枕草子』 遠くて近いは男女の仲」(02/02/24 作)より。アップに際し、一部改稿。ラジオで久しぶりに「遠くて近いは男女の仲」なんて言葉を耳にしたので、旧稿を読み返してみた。今の若い人は、こんな表現を使ったりすることはあるのだろうか。 (10/04/21 記))

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