衣擦れの音も妖しき白木蓮
この数日、白木蓮の花が目立つ。
白い花なので、あるいは明るい日中だと見過ごしてしまうかもしれない。
それが、夜、それも小生のように丑三つ時も過ぎた真夜中から未明にかけて市の郊外を車で徘徊(?)するものには、夜陰に立ち現れる白木蓮の白い花に目を奪われてしまう。
← 「スペースシャトル:打ち上げ成功 山崎さんら7人乗せ」 (画像は、夕方七時のNHKニュースより)
曲がり角の先に現れたりすると、一瞬、その白さにドキッとしてしまうのだ。
白木蓮は、「木蓮の一種で白い大きな蕾を立て大形の花を開」き、春の季語の一つである。
純白の大きな蕾は春の陽気にとても映えて、春真っ盛りの花とも感じる。
我が家の庭には生憎、白木蓮に限らず、木蓮の木は見当たらない。
ただ、嬉しいことに玄関の戸を開けると、真正面に白木蓮の木が見える。
近隣の家の高い塀に囲まれた内庭に一本の白木蓮が植わっていて、塀に遮られるのは幹だけで、枝もだが、花は通りかかる人たちに微笑みかけているようでもある。
白木蓮の白い花が目立つのは、やはり、白木蓮は、花が咲き誇るとき、葉っぱが見当たらないからだろう。
裸木に白い花だけポンポンと咲いている。
花びらを開くこともないので、遠目には、何羽もの純白の小鳥達が思い思いの枝に止まっているように見えるのである。
閉じた花びらに包まれて、何かを隠しているようでもあり、秘密めいているようでもある。
日中は日の明るさに紛れてしまって、その光景に殊更驚くこともないかもしれないが、夜は違うのである。
濃く深い闇の中、真っ白な小鳥達が中空に浮いていて、しかも、ジッとしていて動かないものだから、なんだか動き回る当方を見張っているようにも感じられる。
街灯の明かりが届かなくとも、月明かりを敏感に受け止め跳ね返し、光り輝く。
闇に浮かび上がるような輝き。
「開花しているときの風景は、白い小鳥がいっぱい木に止まっているように見える」というのは、少なからぬ方がそう感じるらしい。
でも、鈍感な小生がそのように感じたのは、夜中に郊外の町を彷徨って回る仕事に携わったからのようだ。
上記したように、昼間だと、真向かいの家の白木蓮が咲き誇っても、今年も白い花が立派に咲いているね、くらいの印象に留まっていたはずだ。
嗅覚も鈍い小生だから、「上品な強い芳香」を確かめようとも思い立つことはなかった。
この日記を書くに際し、(白)木蓮について調べてみて初めて知ったのだが、モクレンは、「昔は「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたこともあるが、これは花がランに似ていることに由来する。今日では、ランよりもハスの花に似ているとして「木蓮(もくれん)」と呼ばれるようになった」とか。
なるほど、だから、モクレンなのか!
白木蓮は裸木に白い花がポンポンと咲いていると表現したが、葉っぱだってあるはずなのだが、まるで印象に残らないのはなぜなのか。
花が咲いてから、後を追うようにして葉っぱが育ってくる。
花が葉っぱにまるで覆われていないし、緑色の葉っぱとのコントラストもコンビネーションも求めない。
そんな種類の植物というのは、珍しいのではなかろうか(素養のない小生には、断定する根拠もないのだが)。
この白木蓮のハスの花にも似たやや大きめの白い花が、葉っぱに寄り添われることもなく、地味な色の枝にポッと咲き誇る姿は威容ではあるが、感じ方によっては異様にも感じられる。
豊島与志雄にその名も『白木蓮』という小説がある。
冒頭の一節を転記する:
桃代の肉体は、布団の中に融けこんでいるようだった。厚ぼったい敷布を二枚、上に夜着と羽根布団、それらの柔かな綿の中に、すっぽりとはいっているので、どこに胴体があるのか四肢があるのか、見当がつかない。実は、体躯はそこにあるに違いないが、それも既に、死の冷却と硬直と分解に委ねられているだろう。それは彼女の肉体ではない。――肉体の喪失を、私はそこに感じた。
「厚ぼったい敷布を二枚、上に夜着と羽根布団、それらの柔かな綿の中に、すっぽりとはいっている」のは桃代の遺骸である。
無論、小説に置いては、白木蓮という題名に象徴されていく。
桃代は白木蓮が好きということもあってか、白木蓮のような女と<私>に思われる。
<私>に、「肉体と肉体との接触などを桃代は極度に蔑視」していたのかとさえ、思われたりする。
小説の半ばにある一節を転記してみる:
私は涙を眼にためながら、なにか堪え難い気持ちで、立ち上って硝子戸を開く。すぐ眼の前に、白木蓮の大きな花が咲いている。もう暮れてしまった夜の闇に、青みを帯びて仄白く、造花のようにも見えるし、何かの化身のようにも見える。冷たい大気に漂ってるその香気が、やさしく私の肌を撫でる。私は何かに憑かれたような心地で佇んだ。
その白木蓮の花が、今、桃代の死体のわきに活けてある。桃代の死体は、柔かい布団の中にすっぽりと埋まって、形体も見分けがつかない。彼女はその体躯ごとにどこかへ脱け出してしまったかのようだ。
白木蓮は、闇の中ではあまりに純白過ぎ、俗世から浮いていて、肉体と肉体との接触などを極度に蔑視するような思い入れをも許容するかのようだ。
そう、白木蓮は肉体との接触を拒否する、凛としたというより孤絶した魂を抱える女の死衣なのである。
日中、白木蓮に絡む日記を書こうと思い立ち、近所の白木蓮の木や花を撮影したのだが、ちょっとしたケアレスミスで画像を消し去ってしまった。
うーむ、こんな話題になると予感していたからなのか…。
参考(?):
「本は買って読みたいもの」
(10/04/05 作)
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