花から化粧を連想したので
→ 庭掃除をしていたら、ラッパ水仙の傍に小花が。いずれ雑草だろうけど、つい撮ってみたくなった。いつもながら疑問に思うのは、いわゆる花と雑草の違い。花の有無じゃなさそうだし。
女性が初めて化粧する時、どんな気持ちを抱くのだろうか。自分が女であることを、化粧することを通じて自覚するのだろうか。ただの好奇心で、母親など家族のいない間に化粧台に向かって密かに化粧してみたり、祭りや七五三などの儀式の際に、親など保護者の手によって化粧が施されることもあるのだろう。
薄紅を引き、頬紅を差し、鼻筋を通らせ、眉毛の形や濃さ・長さそして曲線を按配する。項(うなじ)にもおしろいを塗ることで、後ろから眺められる自分を意識する。髪型や衣服、靴、アクセサリー、さらには化粧品などで多彩な可能性を探る。
← 「知花くらら」さん。花つながり、というわけじゃないけど、つい手がのびて…、じゃなく、カメラに手が出て撮っちゃった。「ミス・ユニバース2006世界大会(第55回大会)」総合第2位」なんて経歴は言うまでもない。ご自身のブログがあるけど、ほとんど更新していないみたい。 (画像は、NHKテレビ「スタジオパーク」より)
見る自分が見られる自分になる。見られる自分は多少なりとも演出が可能なのだということを知る。多くの男には場合によっては一生、観客であるしかない神秘の領域を探っていく。仮面を被る自分、仮面の裏の自分、仮面が自分である自分、引き剥がしえない仮面。自分が演出可能だといことは、つまりは、他人も演出している可能性が大だということの自覚。
化粧と鏡。鏡の中の自分は自分である他にない。なのに、化粧を施していく過程で、時に見知らぬ自分に遭遇することさえあったりするのだろう。が、その他人の自分さえも自分の可能性のうちに含まれるのだとしたら、一体、自分とは何なのか。
→ 春の陽気に誘われたわけじゃないが、所用があって外出したついでに、足を延ばして富山県護国神社へ。あまりに切ない青春の思い出の場なので、参拝するのは敢えて避けてきたのだが、もう、あれから40年。さすがに、ね。境内の片隅に、小雪の舞うようにして咲く木の花に気付き、近づいていった。綺麗というより可憐な花だ。
思えば、スカートは不思議な衣装だ。風が吹けば、裾が捲れ上がり、場合によってはパンティがちらつくこともある。実際、幼い女の子だと、そんなこともしばしばなのだろう。が、白い(とは限らないが)パンティがちらつくと、仮にそこに男性がいたら、刺すような視線を感じる。最初は気のせいで、しかし、やがてはまざまざと、明らかに、文句なく、断固として刺すようなギラつく眼差しをはっきりと意識する。スカートの裾の現象学は、きっと化粧という仮面の現象学と何らかの相関関係があるに違いない。
やがて、スカートの裾が風に揺さぶられることがあっても、あるいは思いっきり(であるかのように)駆けても、決して裾が捲れあがることのない揺らぎの哲学を体験を通して体に身に付ける。素直であり自然でありつつ、その実、装っているのであって、<外>では、あるいは<外>に対しては決して無自覚や無邪気などということのありえない、一個の女が誕生するというわけである。
← 冨山にも今日は春を実感させる陽気が恵まれた。富山県護国神社の境内の内外にも、いよいよ満開に咲かんとする桜の木の雄姿が。
仮面は一枚とは限らない。無数の仮面。幾重にも塗り重ねられた自分。スッピンを演じる自分。素の自分を知るものは一体、誰なのか。鏡の中の不思議の神様だけが知っているのだろうか。
男の子が化粧を意識するのは、物心付いてすぐよりも、やはり女性を意識し始める十歳過ぎの頃だろうか。家では化粧っ気のないお袋が、外出の際に化粧をする。着る物も、有り合わせではなく、明らかに他人を意識している。女を演出している。
他人とは誰なのか。男…父親以外の誰かなのか。それとも、世間という抽象的な、しかし、時にえげつないほどに確かな現実なのか。
あるいは、他の女を意識しているだけ?
→ 鈴木由加里著『女は見た目が10割 誰のために化粧をするのか』(平凡社新書) いかにもキャッチーな題名で、普通なら敬遠するはずが、ついへそ曲がり根性を発揮して手にした本。著者は、専門はフランス哲学、現代文化論研究というれっきとした研究者の方。本書についての感想を書くか、迷うところ。女性は勿論だが、ビジュアル重視というか、10割の時代、テレビを中心に男性もビジュアル重視という社会の風潮、圧力を意識せざるをえなくなっている。女性は早くからそういったプレッシャー(それとも化粧する楽しみ)に敏感だったはず。内面も実力も外見で表現しないと生き残れない? 相手にされない。美醜の程度で、徹底した差別化と序列化があること、そして自分の序列が何処にあるかを的確に把握しないと仲間内からはじき出されてしまうことを物心付いたころから陰に陽に意識せざるを得ない社会。息苦しいけど、喘ぎつつ生きるしかないのか。女もすなる化粧(美容)を男も真似る世になってきたってことかもしれない。
ある年齢を越えても化粧をしない女は不気味だ。なぜだろう。
町で男に唇を与えても、化粧の乱れを気にせずにいられるとは、つまりは、無数の男と関わっても、支障がないという可能性を示唆するからだろうか。それとも、素の顔を見せるのは、関わりを持ち、プライベートの時空を共有する自分だけに対してのはずなのに、そのプライベート空間が、開けっ放しになり、他の男に対し放縦なる魔性を予感してしまうからなのか。
化粧。衣装へのこだわり。演出。演技。自分が仮面の現象学の虜になり、あるいは支配者であると思い込む。鏡張りの時空という呪縛は決して解けることはない。
きっと、この呪縛の魔術があるからこそ、女性というのは、男性に比して踊ることが好きな人が多いのだろう。呪縛を解くのは、自らの生の肉体の内側からの何かの奔騰以外にないと直感し実感しているからなのか。いずれにしても、踊る女性は素敵だ。化粧する女性が素敵なように。全ては男性の誤解に過ぎないのだとしても、踊る女性に食い入るように魅入る。魅入られ、女性の内部から噴出する大地に男は平伏したいのかもしれない。
[地の文は全て、拙稿「初化粧」からの抜粋です。なお、拙稿「谷川 渥著『鏡と皮膚』なども関連して読んでもらえたらと思います。今日は、花(桜)に装われた光景から、化粧を連想し、ちょっと遊んでみました。 (10/04/05 編)]
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コメント
ヒメリュウキンカとユキヤナギだと思います。リュウキンカとカタカナ書きだと龍金花のようですが「立金花」です。
投稿: かぐら川 | 2010/04/07 23:05
国見さん、こんにちは。
『女は見た目が10割』、
キャッチーですね~、新書好きには抗い難い。
僕はといえば、『ウェブはバカと暇人のもの』を読んで、ブログを始めています。
あいかわらずの、あまのじゃく。
リンクに「壺中山紫庵」を張らせていただきましたのでご報告です、事後承諾ですが、悪しからず。
今後とも、よろしくしてやってくださいませ。
投稿: 青梗菜 | 2010/04/08 13:15
かぐら川さん
冒頭の花(画像)は、「小型の宿根草で、ハート型の小さな葉と輝くような花が魅力」という、「ヒメリュウキンカ」ですね:
http://flower365.web.infoseek.co.jp/17/686.html
ただ、画像からすると、「湿原や湿地に生育」する、「湿原の春を彩る植物」である、「リュウキンカ(立金花)」に似ている気がします:
http://flower365.web.infoseek.co.jp/24/730.html
いずれにしても、雑草扱いはできないですね。
二つ目の白い花の画像は、「ユキヤナギ(雪柳)」なのですね:
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/yukiyanagi.html
「遠くから見ると花の噴水のようです」って表現は、実に的を射ていると思います。
ただ、一つ一つの花(びら)もじっくり見ると可憐。
いつもながら、教えていただき、ありがとうございます。
投稿: やいっち | 2010/04/09 13:42
青梗菜さん
『女は見た目が10割』なんて、あからさまにキャッチーですよね。
分かっていながら、手を出してしまいました。
個人的に興味深いテーマ。
『ウェブはバカと暇人のもの』ってのも面白そう。
ネット上の知り合いが、ネットに興じている奴に有能な人間はいない、そんな人間はネットしている暇なんてないって、託宣を垂れておりました。
実に至言と感じ入りましたよ。
まあ、人間の膨らみなんて、実生活で太い分、私生活(内面)で薄いか、実生活で貧弱な分、虚構空間(バーチャル時空)で濃く膨らむかで、その虚実の絶対値を取ると、凡人は皆、似たような振幅(幅)を示すものと理解しています。
>今後とも、よろしくしてやってくださいませ。
なんて、他人事に、高みの見物しないで、地上世界で泥にまみれてくださいな。
投稿: やいっち | 2010/04/09 13:47
リアルでは、泥まみれ。
せめて、一日に十数分の壺中天、
かっこつけのスノッブでいさせてください。
正直で、しかし自分を丸出しにしない部分で嘘つきで、
その実、ただの酔っぱらいのおっさんです。
今後とも、よろしくしてやってくださいませ。
投稿: 青梗菜 | 2010/04/10 21:49
青梗菜さん
我輩もリアルでは汗まみれ、泥まみれ、睡眠障害などなど。
出来の悪い奴ほど、諦めが悪いし、往生際が悪いから、ついついいきがって背伸びしちゃう。
もう、とっくに腱が伸びきってるけど、時に勢い余って丸出しになったり、これも性分なのだね。
お手柔らかに。
投稿: やいっち | 2010/04/11 17:00