太陽と風雨と土と命と
→ 今日は穏やかな晴れ。こんな天気は今の季節の富山には長続きしない。慌てて、昼前、先日耕した畑をさらに耕し、窒素などの肥料を注ぎ、いよいよ種蒔き。蒔くのはいいが、ネギやヒマワリ以外は、何の種か分からない。まあ、育てばいい。ネギは、畑に雑草が生えないよう、生命力の強さに期待して。画像では奥の方に小さく写っているだけだが、あれがネギ。一昨年、苗を植えたこのネギは二度目の冬を越えて今も健在。ネギが土壌の栄養分を独占するのか、その周辺には雑草が生えない。凄いぞ、ネギ!
庭の土、畑の土を弄っていると…、というより玩ばれていると、ふと、水上勉著の『土を喰う日々』(新潮文庫)なる本が思い浮かんでくる。
この「土を喰う」という言葉の妙味。
麓に畑仕事もやっていない小生でさえ、身近に土の姿の変幻に接していると、野菜を食べるとは土を喰うことだと実感させられる。
← 畑地の隅っこ、隣家との境の用水路際に水仙(?)のような花が群生し出した。植えた記憶はないのだが。それとも雑草なのか。何処かから種(花粉)が飛来してきた? まあ、花が咲くのなら、畑地の賑わいになるし、大歓迎である!
食べることのできるような収穫ができずとも、野菜も雑草も苔も、全ての植物が土の成り代わりであり、成れの果てだと思い知らされるようでもある。
というのも、昨年末、あるいは一昨年末に畑の隅っこに穴を掘って、雑草をそこへ埋め立てておいた。
それまでのように、バカみたいにゴミ袋に詰め込んで、燃えるゴミとして捨てるのは勿体無いと遅まきながら気付いたのだ。
↑ 今日は黄砂も落ち着いたのか、昨日より視界が良好。立山連峰の峰々が望まれた。昨夜来の春の嵐も、富山では朝の五時前には過ぎ去って、星空となった。風が埃を持ち去ったのか、星の数の多かったこと。写真に収めたかった。
その埋め立て堆積させておいた雑草が、今や緑の部分がほとんどなくなって土になっている!
その<土>を鍬(くわ)で掬って畑に撒布。
そう、土は植物の成れの果てなのである!
→ 畑を耕しに行ったら、畑の隅に今年もこの植物が目立ち始めていた。何の花だったっけ? ジャーマンアイリスだったか? ま、咲いてみての楽しみだ。
太陽に焦がされ、風雨に塗れ、土壌の細菌たちが貪り、植物たる原型を止めなくなり、やがて土か埃へと還元されていく。
人間たちだって、大概が土葬だったのだ。
土の肥やしだったのだ。
← やはり、畑地の隅っこ、上掲の群生して芽吹き始めた植物との並びの畑地(花壇…?)に、行儀よく並んで四つの植物達が小さく群生。これも謎。小生が植える花は一年草で、それらは枯れると同時に根こそぎ、撤去したはずで、何ゆえ、そして一体何の花が咲くのか、自分でも分からない。
太陽と風雨と土と命と。
関連拙稿:
「ウロボロス…土喰らうその土さえも命なる」
「「土を喰う日々」からあれこれと」
「カストラートやら雑草やら」
「「雑草をめぐる雑想」再び」
(10/03/22 中村紘子さんのピアノ演奏を聴きながら書いた)
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