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2010/03/08

富山は…雨の心配のない日は少ない

 この数日、テレビドラマか何かの影響だろうが、「止まない雨はない」というキーワードでの検索で、既に古くなっているはずの我がブログの頁がしばしばヒットされてしまう。
 その頁というのは、「止まない雨はない」なのだが、チラッとでも覗いてもらうと分かるが、内容はドラマとはまるで関係のない、言葉遊びに終始する頁である。
 よって、意味なしと看做され、さっさと頁を消されてしまう(他のサイトへ移られてしまう)。

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→ 昨日(6日)の束の間の雨の切れ目に庭に出て、梅の木に咲いた花を撮ってみた。

 雨つながり、というわけではないが、ずっと昔のこと、中学か高校生だったころだと思うが、雨を巡って<議論>したことがあったな、と思い出した。

 それは、雨の日、某所から目的地まで行くのに、歩いたほうが濡れないか、それとも走ったほうが濡れる量が少ないか、という他愛もないもの。
 …議論というほど大したものではないが、若かったこともあり、段々、むきになってしまって、互いに顔を真っ赤にさせたまま、しばらくは無言になったような(…それとも、喧嘩別れしたのか、あるいは、他の話題にさっさと移ったのだったか、はて)遠い記憶がある。

 この問題を考えるに際しては、一定の前提はある。
 雨が一定の強さで降っていること、基本的に風が吹いていないこと、などなどである。
 風が吹いていても、結果的には答え(それがあるとして)は同じのはずだが、まあ、議論をややっこしくしない配慮である。
 当然ながら、傘はない、という前提も!

 傘を持っているなら、頭上から降る雨の大半を防ぐことが出来るのは、歩行であれ駆け足であれ、同じだと考えられるが、走れば、傘は揺れるし、体は前傾になるし(そのことで防げるはずの雨を体の前面で受けざるを得ない)、足元の水はねは別にしても、走る分だけ濡れる可能性(量)が増えるのは、容易に想像が付く。

 これまた結果的に条件は同じなのかもしれないが、自転車は利用していないことも前提にしておく(自転車でゆっくり走るのと、懸命に漕ぐ場合との違いという設定と、問題の性格は同じかもしれないが)。

 実を言うと、この問題、小生自身の中では、未だにちゃんとした答えに至っていない。

 例えば、あるサイトを覗くと、以下のような説明が施されている:

雨が目的地までどこも平均に降っていることが前提ですが……
◆体の前面に当たる雨粒は
(体の前面投影面積)×(出発点から到着点までの距離)にある雨粒になります。
したがって、走っても歩いても変わりません。
◆体の上面に当たる雨粒は
(体の上面投影面積)×(所用時間)にある雨粒になります。
したがって、雨の当たる時間が長いほうが濡れます。

ということで、この条件では歩くほうが沢山濡れることになります。
ちなみに風はあまり関係ありません。

 ネットでこの問題に対する<解答>をいろいろ読んでみると、概して長時間濡れるほうが(つまり、雨の中、歩くほうが)濡れる量が多い、というほうが優勢のようである。

 ってことは、民主主義の多数決の原理からして、走ったほうが歩くより、雨に濡れる量は少ないと、結論を出していいのか(どうか、自分では未だ分からないでいる)。

 ずっと後年になって(多分、ネットが普及し始めた頃)、この話題にたまたま出合って、これは物理学(数学)の問題であり、ちゃんとした公式があって、計算できる、なんて読んで、ちぇっ、考えるだけ無駄だったか、下手な考え休むに似たりだな、なんて思ったことがある。
 生憎、その公式など覚えているはずもなく…その前に、その時点でも、公式(数式)を理解もできなかったはずである)。

 歩行と駆け足では、駆け足のほうが濡れる量が少ないとしても、駆けることで、足元の水はねの被害が大きいような気がする。
 といって、足元を気にしてばかりいて、イギリスの紳士を気どって、ゆっくり普通に雨の中を歩くってのも、濡れる雨量の多寡を別にしても、不快な時間を長く味わい続けないといけないというマイナス面が無視できなくなりそうである。

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← 地味の悪い土壌に育つ梅の木。枝も花も、場所を選ばずに。

 こんな問題に妙に囚われるというのも、小生自身、アウトドアでの仕事を毎日、やっているからでもある。
 北陸は富山は、弁当は忘れても傘は忘れるなと言われるほど、降雨の日が多いのである。
 止まない雨はないと言われても、止んでいる時間帯より、雨か雨が降りそうな時間帯のほうがずっと長い、それが富山という風土。
(実際、6日の夜に降り出した雨は、7日の日曜日は終日、降り続き、今も(夜の九時前)まだ執拗に降っている! しかも、我輩が携わっている仕事は、傘を差していては仕事にならない性格のもの!)

 少なくとも富山の場合、止まない雨はない、よりも、雨の心配のない日は少ない、のほうがずっとリアリティがあるという、つまらない話であった。

                             (10/03/07 作)

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