『ジョージ・エリオット 評論と書評』からストウ夫人へ?
ジョージ・エリオット 著の『ジョージ・エリオット 評論と書評』(川本 静子 訳, 原 公章 訳 彩流社)を読了。
本書については、大よその紹介を拙稿「サブレって、あのサブレー ? !」にて済ませている。
← 謎の路地。未明、何処かのお寺の近くにて。何処へ続く道なのか、確かめたことはない…。
といっても、下記するように出版社による謳い文句を転記したに過ぎないもの。
というのも本書は、ジョージ・エリオットのファンでないと、なかなか手が出ないし、面白い本だよなんて、気軽には薦めにくいものと感じられるからである。
小生は1994年の失業時代、それまで読んだことのない作家の本を敢えて選ぶようにして渉猟し読み倒していた中でこの作家に出遭った。
読んで感銘を受けたのは『ロモラ』。
この一作で一気にファンに。
あるいは、学生時代、『サイラス・マーナー』を読んでいたかもしれないし、面白く読んだかもしれないが、ほとんど印象に残っていない。
この『ロモラ』を読んでファンになり、以後、『サイラス・マーナー』も含め、あれこれ読んできた。
今年も三週間以上を費やして『ミドル・マーチ』を読み、感銘を受けたことは本ブログの日記でも呟いている。
まだまだ大作を含め何冊も味読の本があるので、楽しみはこれからも続くわけである。
そんな中、図書館の新入荷本のコーナー(平棚)にて本書を見つけ、思わず目を疑った。
彼女に新刊本。しかも、『評論と書評』だなんて。
彼女のファンといいつつ、小説は読んできたが(多分、解説も読んだはずなのだが)、彼女がそんな仕事をしたなんてまるで知らなかった。
まして、敢えて翻訳されて刊行されるなんて、思いも依らない。
実際には、生活に窮してこうした仕事を、しかも、ジョージ・エリオットという男の名前で、当然ながら、敢えて男性の書き手によると思わせるべく、やや堅苦しい書き方・表現手法を採っている(このことが、読後感の隔靴掻痒感に繋がっているのかも)。
さて、彼女のこうした評論や書評を読んで面白かったかどうかというと、ちょっと難しい(上記したように文体をわざと男性っぽく見せかける必要に迫られてもいたし、扱う題材も文学もあるのだが、多くは歴史や宗教・思想だったりする。但しジョン・ラスキンを扱った章は、ラスキン好きな小生には面白かった)。
彼女の眼識の確かさと、舌鋒の鋭さ、機智に飛んだ論理の進め方などなど、それなりに楽しめるが、やはり、彼女の小説のファンなればこそ、なるほど、こういう発想で小説の創作に立ち向かっているのだという感心をしてしまう、というのが正直なところだろう。
本書の「あとがき」から一部を転記して示す:
これらの評論や書評は、歴史・文学・宗教・思想などヴィクトリア朝文化全般にわたるメアリアンの該博な知識と深い考察をよく反映し、とりわけ、芸術におけるリアリズムの標榜や芸術の目的を、共感を広めることに見出す姿勢など、のちの作家ジョージ・エリオットに通底する基本的思考の糸すじを明確に浮かび上がらせている。これらの評論および書評は、エリオットの小説といわば表裏の関係にあるのだ。したがって、これらを併せ読むことは、作家ジョージ・エリオットをよりよく理解することになろう。(以下、略)
→ ジョージ・エリオット 著『ジョージ・エリオット 評論と書評』(川本 静子 訳, 原 公章 訳 彩流社) 装丁がとっても綺麗。「これらの評論や書評は、歴史・文学・宗教・思想などヴィクトリア朝文化全般にわたるメアリアンの該博な知識と深い考察をよく反映し、とりわけ、芸術におけるリアリズムの標榜や芸術の目的を共感の拡大に見出す姿勢など、のちの作家ジョージ・エリオットに通底する基本的思考の糸すじを明確に浮かび上がらせている」(「あとがき」より)
本書にてエリオットが称揚する作家や書き手を列挙しておく(個人的なメモとして)。
カーライルに敬愛の念を抱いていた:
『アダム・ビート』が出版されたとき出版元から著者贈呈本を届けられた七人のなかに、ディケンズやサッカレーに混じってミセス・カーライルの名があった。(中略)「T・カーライルの著書を何かお読みになって? 彼は私の大のお気に入りです。『衣裳哲学』をお読みになるようお勧めしたいわ……彼の魂は、とりわけ著者なる者への感謝と傾倒の燃え上がる石炭によって火をつけられた、この上なく輝かしく純粋な博愛の神殿なのです」と彼女はかうての学友(略)に書き送った(以下、略)。
ゲーテはダンテと並び、エリオットに影響を与えた:
(『ヴィルヘルム・マイスター』を巡っての某書き手の書評に際して)この書評が真に意味深いのは、後に小説家となるエリオットの基本的な立場が語られていることである。即ち、「人間生活のあらゆる側面を繰り広げて、読者の最高の共感を呼び出す」ことこそ小説家の務めである、という考え方がそれである。
ハイネやシラーを好む:
ハインリッヒ・ハイネをゲーテに匹敵する優れた抒情詩人であると同時に、ドイツには稀なウィットの持ち主であることを示す。ハイネを十九世紀イギリスに紹介した最も初期のハイネ論を書く。
ラスキン『近代画家論』(第三巻)を絶賛:
とりわけ「無限の価値を持つ真実」である「リアリズム」を教えるラスキンに、エリオットは全面的な共感を寄せる。エリオットがラスキンから学んだのは、「想像力が感情の霧の上に生み出す漠とした形」ではなく、「確固とした実体のある現実」を眺めるまなざしであった。
アメリカの女性作家ストウやスコットの小説を高く評価:
エリオットはかねてから、アメリカの女性作家ストウ(一八一一―九六)の『アンクル・トムの小屋』(一八五二年)を高く評価しており、六〇年代からはストウと個人的親交を深めることになる。エリオットが賞賛するのは、ストウが「国民生活をあらゆる方面から描き出し」、「劇的本能が常に目覚めている」作家だからである。またこの小説をエリオットが崇拝するスコットの小説と比較している点にも注意したい。
余談だが、数十年ぶりに、ストウの『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom's Cabin)を読みたくなった!
ガキの頃もそれなりに感動した記憶がかすかにあるが、もしかして子供向けの作品ではないのかもしれない。
当時は、子供向けにリライトされた、しかも、短編風な作品だったという印象が残っている。
かなり、省略された箇所があるのでは。表現に手が加えられていたのでは。
今、ちゃんとした翻訳で読み返したら、どんな感想を抱くだろう。
← ハリエット・ビーチャー・ストウ【著】『新訳 アンクル・トムの小屋』(小林 憲二【監訳】 明石書店(1998/09/30 出版)) エリオットが感心するというのなら、読まずにはいられない!
エリオット関連拙稿:
「ジョージ・エリオット著『サイラス・マーナー』」
「「ジョージ・エリオット」解説」
「「ジョージ・エリオット」作品について」
(10/03/28 作)
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