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2010/03/26

雨の音 沈黙の音 夜明けの音

 途切れ途切れの音の連なり。
 でも、一旦、曲を聴き始めたなら、たとえ中途からであっても、一気に音の宇宙の深みに誘い込んでくれる。

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 たとえば、何処かの人里離れた地を彷徨っていて、歩き疲れ、へとへとになって、喉が渇いたとき、不意に森の奥から清流の清々しい音が聞こえてくる。
 決して砂漠ではないはずの地に自分がいるのは分かっている。木々の緑や土の色に命の元である水の面影を嗅ぎ取らないわけにいかないのだから。

 でも、やはり、水そのものの流れを見たい。体に浴びたい。奔流を体の中に感じたい時がある。

 やがては大河へ、そして海へと流れていく川の、その源泉に程近い、細い清水。
 まるで、自分の中に命があったこと、命が息衝いていることを思い出させてくれるような川のせせらぎ。

 何も最初から最後まで通して曲を聴かなければならないというものではない。
 むしろ、渇いた心と体には、その遭遇した水辺こそが全てなのだ。その水際で戯れ、戯れているうちに気が付いたら水の深みに嵌っていく。
 そのように、闇の宇宙の中を流れ行く音の川に出会うのだ。

 そう、誰しも、音の宇宙では中途でしか出会えないのだし、束の間の時、音の河を泳ぎ、あるいは音の洪水に流され呑み込まれ、気が付いたら闇の大河からさえも掻き消されていく。

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 ふと、いつだったか、自分が書いた一文を思い出した。
 モーツァルトの曲の与えてくれる至福の音の世界とはまるで違う世界だとは重々分かっているのだけれど、連想してしまったものは仕方がない。

 仕事では、どこで夜を迎えるか、分からない。
 夕刻の淡い暮色がやがて宵闇となり、さらに深まって、真夜中を迎える場所が都会の喧騒を離れる場所だったりすると、耳にツーンと来るような静けさを経験したりする。
 が、仕事中は方々を移動するので、時間的な変化と場所の変化とが混じり合って、時の経過につれての夜の様相の変化の印象を掴み取るのは、さすがに少し難しい。

 それが、在宅だと、折々、居眠りなどで途切れることがあっても、一定の場所での光と闇との錯綜の度合いをじっくり味わったり観察したりすることができる。 夜をなんとか遣り過して、気が付くと、紺碧の空にやや透明感のある、何かを予感させるような青みが最初は微かに、やがては紛れもなく輝き始めてくる。

 理屈の上では、太陽が昇ってくるから、陽光が次第に地上の世界に満ちてくるからに過ぎないのだろう。
 それでも、天空をじっと眺めていると、夜の底にじんわりと朧な光が滲み出てくるような、底知れず深く巨大な湖の底に夜の間は眠り続けていた無数のダイヤモンドダストたちが目を覚まし踊り始めるような、得も知れない感覚が襲ってくる。

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 朝の光が、この世界を照らし出す。
 言葉にすれば、それだけのことなのだろうだろう。
 そして日々繰り返される当たり前の光景に過ぎないのだろうけれど、でも、今日、この時、自分が眺めているその時に朝の光に恵まれるというのは、ああ、自分のことを天の光だけは忘れていなかったのだと、妙に感謝の念に溢れてみたりする。
 当たり前のことが実は決して当たり前の現象なのではなく、有り難きことなのだと、つくづく実感させられる。

                                     (旧稿より抜粋)

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