名古屋国際女子マラソンから「誰がために走るのか」のこと
3月14日に行われた名古屋国際女子マラソン(中日新聞社など主催)を昨日、録画で見た。生中継を見たかったのだが、家庭の事情が許さない。
録画も最後の部分だけ、見るつもりでいたが、やはり実際に画面を見始めると、ついつい見入ってしまう。
トップでさえ二時間半に及ぶような、単調極まるはずの、しかし長いドラマ。
見ていて、不思議と退屈しない。
← 優勝した加納由理選手(31)=セカンドウィンドAC= 「中日スポーツ加納由理「アジア大会出るかも」 名古屋制し喜びの会見スポーツ(CHUNICHI Web)」参照。 (以下、画像は全て、NHKテレビより)
自分が長距離を走るのが好きだったから、だろうか。
そうはいっても、実際にマラソンでロングを走ったのは数えるほどしかない。
小生の場合は、オートバイ(やスクーター)でのツーリングである。
大概は、帰省に絡むものだが、近郊の海山を走る場合でも、観光地で滞留することは、まず、ない。
ひたすら走る。
行きはいいのだが、帰りは辛くなる。一般道を渋滞の中、車の列の脇をすり抜けて、あるいはその透き間を縫って延々と走り続けるしかないのだ。
段々、バイクを操っているのがバカらしくなったりする。
それでも、走行しているうちにライダーズ・ハイのような状態に嵌まり込んでいたりして、病み付きになってしまっていたのである。
ふと、昔書いたバイク絡みの短編のことを思い出した。
ライダーズ・ハイ(ランナーズ・ハイ)は、無私夢想の境のはずなのに、あるいはだからこそ、普通なら理性が邪魔して脳裏の底に沈んだままのはずの思いがけない想念が、ついっと浮かび上がってくる…という虚構の世界の話。
台風がやってきているのは分かっていた。
でも、俺は走ることに決めたのだ。それとも、初めから決まっていた通り、俺は走るだけなのかもしれない。
最初から決まっていた? では、一体、誰が決めたのか。俺? なるほどそうかもしれない。俺以外に俺の行動を決定できる存在がいるはずがない。一度だって親父やお袋に指図されて動いたことなどなかったのだし。
そう、俺は我が侭息子だった。
精一杯、目一杯、甘ったれて育ったのだ。誰一人、俺に意見する奴などいなかった。只一人の姉とだけは、物心付くか付かない頃かに喧嘩した記憶が微かにある。
何かつまらないものを俺は欲しがったのだ。姉のものになるはずの何かだった。俺は駄々を捏ねた。地団太踏んで欲しがった。俺のものなのだと泣き喚いた。やがて、姉は折れた。親父に「お前は姉さんなんだから…」と言い含められて。
姉の目に浮かんだ、悲しい諦めの念を俺は見逃さなかった。
それ以来、俺は駄々を捏ねるのをやめた。なんてしおらしい子どもだったんだろうって? 違う! 俺は、この世の一切について要求することをその日を限りに、やめたのだ。この世に何一つ、思い通りになるものなどないのだと見切ったのだ。全てのものは、この世にある限り他の全てのものに関わる。
俺は、この世で一人の人間になりたかったのだ。この世の物質的しがらみの一切から自由になることを決めたのだ。それがガキの頃、最後に持った駄々の種だ。以来、俺は駄々を捏ね通している。
ああ、何故、不具だと、人は腫れ物扱いするのか。一人前の人間として扱ってくれないのか。悪戯をしたら、バカ! とか、やめろ! とか、ビンタの一つも張ってくれればいいのに。
ただただ、曖昧な笑みの中で、俺の憤怒は溶かし込まれていく。真綿の悲しみの海で俺はもがくばかりだ。残酷なほどの優しさの海で、やがて俺は溺れてしまった。
俺は、一人っきりになったのだ。
悲しいとか、痛いとか、楽しいとか、青い空とか、白い雲とか、みんなみんな、俺だけの呟きの世界で泣いている。誰とも分かち合えない、俺だけの感覚に過ぎないと慟哭している。
胸が張り裂けそうなほどに苦しんでいる。なのに、俺は、敬遠された、遠巻きの彼方で、声にならない声を上げているだけ。
そんな切なささえ、酸欠の水槽での金魚の口パク。
何処か知らない、訳の分からない闇の穴ぼこを抜けて、気がつくと、俺は、虚数世界の中であの世の世界への補助線を探していた。否、あの世ではなく、みんながいるこの世なのだけれど、でも、俺の世界からはあの世としか言えないのだ。
無数の人の蠢く世界。
人の息、人の汗、人の涙、人の笑み、人の体。その全てが俺を圧倒してしまう。たとえ、そこに誰の影もなくても、人の気配はある。人の予感がある。人で満たされている。そして、俺はこの世から弾き飛ばされ、居場所を失い、厚みのない塊、巾のない面、長さのない線となり、複素次元の中で喘いでいる。
いつしか俺は、一人きりでの行動に慣れてしまった。
俺はこの世では、肉体のない存在になってしまった。それとも肉体だけの蜃気楼になってしまった。人間たちに囲まれると、自分がペラペラの紙切れになってしまう。厚みがないと感じてしまう。読み捨てられた本の中の栞、古新聞の束の中の広告、公衆便所の消し忘れた悪戯書き。
俺はこの世で生きるため、ルーティーンを固く守るのだ。規則と約束と時刻表とが俺の友達。俺の中のブヨブヨの身を守るため、貝の殻を被っているのだ。ともすると蕩け染み出てしまいそうな我を守るため、昆虫になったのだ。ザムザの虫。ああ、リンゴが俺の甲羅を押し潰す。人の視線がバーナーの火焔となって俺を焼き焦がす。
俺はオートバイが好きなのだろうか。そうかもしれない。でも、そうでないのかもしれない。ヘルメットを被って、俺の不具を隠しているだけなのかもしれない。
きっと、俺を知るみんなは、そのために俺がオートバイに乗っているものと思っているに違いない。で、実際、そうなのだからお笑い草だ。
決まりきった日程をこなして、俺は帰省を終えた。台風がやってくるのもお構いなしで、俺はオートバイに跨って、一路、東京を目指した。台風との競争だった。台風より早く東名を走り切ること。無事に生還するには、風雨など無視して突っ走ることだ。
風が吹く。オートバイが揺れる。比喩ではなく、木の葉のように揺れまくる。狭いシールドの端の風景が飛び去っていく。真昼間なのに、宵闇の暗さだ。
雨がヘルメットのシールドを叩く。雨滴がシールドに礫のようにぶつかってくる。バシッバシッという雨滴の、容赦なく砕け散る音が耳を劈く。
ガーゴーという風の鳴る音も、タイヤの磨り減る音も、台風の風雨の中では、ただの伴奏だ。
痛切な孤独が俺を癒す。この世から逃げ去るような、それとも風雨の断崖に頭から突撃していくような。
タイヤが滑る。タイヤが鳴る。路面と、僅か名刺大ほどの接地で、かろうじてバイクは大地と繋がっている。悲鳴を上げるタイヤのゴムは、究極の命の絆なのだ。
ほんの些細な気まぐれが俺を、名実ともにあの世へ送ってくれる。ちょっと気を緩めればそれで済むこと。誰も見ていないのだ。誰に遠慮が要るわけじゃなし。
瀬戸際の孤独の中で、俺はアインシュタインの夢を見る。オートバイを無茶苦茶に加速させて、やがて速度は光速に達する。その瞬間、俺は身も心も解き放たれて、この世と和解することができるのだ。俺がこの世に触れることができるのは、その刹那にしかありえない。
黒い革のジャンパーを着て、あの胸にもう一度! と呟きながら、いや、ヘルメットの中で思いっきりあの人の名を叫びながら、俺は台風を尻目に走る。この世を睥睨する。俺の顔を見て顔を背けたあの人のもとへと突っ走る。ハンドルを握る手が緩む…。
しかし、本当の俺は臆病者なのだ。ハンドルにしがみついているのだ。この世にしがみついて、ブルブル震えているのだ。ションベンだってちびりそうなのだ。
何故にこうまでして、死線と見紛う白い線を辿るのか。アスファルトの路面に蜿蜒と繋がる骸骨の連鎖を踏みしだき続けるのか。
誰一人居ない世界。透明なパイプ。手を差し出せば触れられそうなのに、接触は禁忌されている。何処までいっても交わることのない、捩れの位置のマリオネット。出番を失ったピエロ。
平行線だって、交わることがありえるというのに。
あの日、俺はあの人に接しえるはずのギリギリの位置に居たのだ。けれど、捻れた根性の故に、俺はあの人を思いながら、あの人から遠ざかっていく。
あの人の居る世界が見えなくなる。砕け散る雨滴に掻き消されていく。
なのに、東京は遥か彼方だ。
関連拙稿:
「バイクとて風が友とは限らない!(前篇)」
「バイクとて風が友とは限らない!(後篇)」
「青梅マラソンの思い出(前篇)」
「青梅マラソンの思い出(後篇)」
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