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2010/03/06

オオカミが縁で『翁草』と再会せし

 ブレット・L.ウォ-カ-著の『絶滅した日本のオオカミ』(浜健二訳 北海道大学出版会)を読んでいたら、懐かしい著書(著者)名を目にした。
 それは『翁草(おきなぐさ)』である。

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→ 根雪もすっかり溶けて、庭の草花もホッとしているようだった。驚いたのは、幾つもの草花が開花し始めていたこと。植物は、やはり健気というかしたたかに生き抜いていくのだと改めて痛感させられた(以下、掲げる写真は本文とは全く関係ない)

 といっても、(所収となっている本を含め)実物を手にしたわけでも、読んだことがあるわけではない。
 若い頃を中心に何冊となく読んできた立川昭二の、ある本の中でこの『翁草』のことに言及されていたので、ちょっと触れてみたことがあるだけである。
 ちなみに、転記文中にもあるが、「森鴎外はこの翁草から「高瀬舟」や「興津弥五衛門の遺書」などの題材を得た」というし、『鬼平犯科帳』とも関係があるやもしれないようである(「『鬼平犯科帳』Who's Who 075その他の与力・同心」参照)。

 以下、別窓で旧稿を示すが、せっかくなので、上掲書の中での『翁草』にまつわる件(くだり)を転記しておこう。
 話は、従来は、人間(村人ら)の作物を荒らす害獣(イノシシなど)を退治してくれる、益獣(であり大神)であった日本のオオカミが、十七世紀前後から徐々に狂犬病に罹るようになり、それまでは人間を恐れ襲うことなど滅多になかったのが、相手構わず襲うようになり、ついには人間によって駆逐される要因の大きな一つになった、という流れでの言及である:

 体内に入ると、狂犬病ウイルスは広がりオオカミの神経機能を損傷し、強い精神錯乱と暴力的傾向に導く。その結果、オオカミの攻撃が一八世紀中増えた。神沢貞幹(かんざわとこう)はその著『翁草』(一八五一年)で、オオカミの攻撃を「犬毒」の蔓延と結び付けた。出版は死後になったが、その著作は彼の若いときから約一七九五年頃までの数多くの思索を収めている。一七三二年、神沢はイヌの世界における狂犬病を畿内(京都近郊)、南海(四国)、山陰、西海道(九州)とたどって調べた。これらの地域は西日本の大部分で、イヌが狂って人を咬み殺した場所である。彼の説明によると、人が一度「狂った犬」によってもたらされたこの「毒」(毒気、言葉の意味は「有毒ガス」または「毒性」)に接すると、すぐに死ぬか、短期間のうちに死ぬことになる。この「犬患い」と呼ばれる病気は、東に進んで一七三六年の春には南海と畿内に、一七三七年の夏には徳川時代の主要路である東海道に達した。イヌのみが犠牲になったのではなく、オオカミ、キツネ、タヌキも多数死んだ。人、ウマ、ウシも咬まれると後に高熱が出て、ときには鋭い痛みが死ぬまで三〇~五〇日あるいは一年も続く。狂う前に食欲がなくなり、そしてイヌと同じく最後には死ぬと彼は付け加えた。 (p.123-4)

(旧稿では、「神沢貞幹」ではなく、「神沢杜口」となっている。立川昭二の本ではそのように表記されていたものと思うが、異同についてはちょっと謎である。)


立川昭二から翁草へ

 その中(7年前、朝日新聞夕刊に載った立川昭二氏へのインタビュー記事)で、立川氏はいま、江戸時代中期の文人だった神沢杜口(かんざわとこう)に関心があると述べている。京都町奉行所の与力だったが、40代半ばで現役を退き、『翁草』という200巻の見聞録を残したという。森鴎外はこの翁草から「高瀬舟」や「興津弥五衛門の遺書」などの題材を得たとか。
 彼、神沢は学者でもなく宗教家でもない、ただの勤め人。普通の人だった。その彼が日本人の心性の一番基層にあるものをきちんと持っていた、翁草を読むと、それが見えてくる」と立川氏は語っている。
 さらに、「日本人が本来もっていたであろう、生き方・死に方の本質が彼の中にあると思う」とも立川氏は語っている。
 立川昭二氏は、病気の文化史を研究されてきたが、近年、老いをいかに生きるかに関心を持たれている。

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 さて、小生は立川氏が関心を持たれている『翁草』に興味を抱いた。
 早速、手元の「広辞苑」で「おきなぐさ」を引いてみる。すると、二つの項目が出てきた。
 一つは、植物の「翁草」であり、もう一つは、目当ての随筆の「翁草」である。 まず、植物の「翁草」についての説明を引用しておこう:

 「翁草」(1)キンポウゲ科の多年草。山野の乾燥した草地に生え、全体が白色 の長毛で覆われるのでこの名がある。葉は羽状。春先、庵赤紫色の六花弁を開 き、のち多数の果実の集まりが長毛(花柱の変形)を風になびかせる。根を乾 燥したものは生薬の白頭翁で、消炎・止血剤とする。ネコグサ。

  事典の説明だけでは寂しいので、ネットの強みを生かして、画像などを:
幻の山野草・翁草(日本翁草)を育ててみませんか

 どこかで見たことがあるような、でも、植物にも疎い小生のこと、タンポポのイメージとダブっているような気もする。地味な感じだけど、何かじっと見ていると胸が温まるような素朴な味わいが感じられる。

 ついで、随筆の「翁草」の説明である:

「翁草」 随筆。神沢杜口(1710-1795)著。はじめの100巻は1772年(安永1) 成立。鎌倉ー江戸時代の伝説・奇事・異聞を諸書から抜書きし、著者の見聞を 記録。

 これでは、説明としてあんまりである。ただ、大著を書いたって事、そして当時としては異例なほど神沢杜口は長生きだったってことは分かる。

 そこでネットで検索。すると、次のようなサイトをヒットした:
江戸中期の随筆集「翁草」考

 このサイトの記述を読むと、「『日本随筆大成』(吉川弘文館)の中の第十六T 巻から第二十四巻までの六冊(一冊約五百頁余B5)に収められてい」ることが分かる(この中の「第十六T巻」の「T」の意味が分からない)。
 なかでも、かの永井荷風が(『断腸亭日乗』の中の記述によると)其蜩(きちょう)の『翁草』に畏怖し慙愧の念を覚えたことが分かって興味深い。其蜩(きちょう)というのは、元々俳人の神沢杜口の俳人としての号で、其蜩(きちょう)とも読めるが、其蜩(そのひぐらし・その日暮らし)を含意していて、遊び心のタップリある人だということも分かる。
 遊び心がないと、これだけの偉業は達成できないだろうが。

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 ところで、この「江戸中期の随筆集「翁草」考」のトップページに飛んでみて、ちょっとビックリした。
 このサイトは、元来が、幻の野草オキナグサを愛好する方のサイトであり、オキナグサに関連するあらゆる事項を網羅せんとしたサイトだったと知れたのだ。
 どんなものにも愛好する方はいるのだが、さて、オキナグサに魅了されるとは、一体、オキナグサの何処にそんな魅力があるのだろうか。
 ま、そんなことはいいね。黙ってオキナグサを眺めていると、なんだか野原で寝転がって青い空を流れ行く白い雲を眺めているような、そんなのーんびりした気分になる。
 妙に華やかな植物ではないので、別に気合を入れて愛でる必要もない。気が向いたら眺め、飽いたら空でも何処でも眺めれば、という余裕の雰囲気もタップリ漂っている。
 このサイトの中に数多く例示されているエッセイで、例えば、「迎春花(インチュンホワ)」というエッセイも面白い。
 どうやら中国大陸で闘い、引き上げた方々には忘れられない植物のようだ。

 では、この翁草は、日本では咲いていないのか。上掲の、「幻の山野草・翁草(日本翁草)を育ててみませんか」というサイトをもう一度、覗いてみよう。すると、「(一)日本翁草とは」というページに、以下のような記述を見出す:

 「日本翁草(山野草・キンポウゲ科の多年草)は、環境庁発行の『絶滅植物危 惧図鑑(レッドデータブック)』において絶滅危惧植物Ⅱ類に指定されており ます。同図鑑の説明に、最近では目にすることも難しく、「幻の山野草」にな りつつあると記されているように、絶滅の危機に晒されている、貴重・希少種 の山野草です」

 そうなのか。それじゃ、小生が今まで気付いていないとしても、それは単に小生がウッカリ者だからというせいばかりじゃないのかもしれない。
 ちなみに、同じページに、「尚、この時の様子が、高齢者(翁)の白髪のように見えることから、「翁草」と命名されたとのことです」という記述がある。
 実は、最初にこの植物の画像を見たとき、頭に僅かに生え残り風に寂しく揺れる白髪をつい連想したのだが、そんな連想をする輩(やから)は小生だけではないのだと、安堵したものである。
 さらに、「(二)日本翁草への生産者の想い」というページを覗くと、オキナグサへ託す思いを知ることができた:

「日本翁草が絶滅の危機に瀕しているとの悲しい事実を知ったとき、当時幸いに も我が家の庭にずっと以前より生き長らえていた数株の翁草がありましたので、 それを基にして増殖を計り、全国各地に復活することはできないか、と考えま した。即ち、日本全国のご家庭の庭やベランダで、また野や山で、身近にいつ でも目に映られる日の来ることを夢見るようになりました。」

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← ブレット・L.ウォ-カ-著『絶滅した日本のオオカミ ― その歴史と生態学』(浜健二訳 北海道大学出版会 (2009/12 出版))

 そうした地道な取り組みをされている人がいるというだけでも、なんとなく嬉しくなってくる。意味があるとかないとかではなく、とにかくそうしたいからやってみるってことが大切なのだろう。
 神沢杜口が『翁草』を著しつつあった頃は、きっと翁草はありふれた野草だったのだろう。恐らくは、いつかこのように絶滅が危惧されるとは夢にも思わなかったに違いない。
 誰でもが目にしている、だけど大概の人は風景の中の、せいぜい背景を彩る雑草程度にしか見なしていなかっただろう、有り触れすぎていた雑草。彼は、先述したように京都町奉行所の与力を40代半ばで現役し、この仕事に専念したという。
 翁草という野草に自らの思いを投影して、場合によっては誰にも顧みられることもないかもしれない仕事に残りの生涯を捧げたのだ。
 小生に、そんな仕事があるのだろうか。華やかである必要はないのだが、それでも、夢を傾ける仕事があればいい、それだけでも素晴らしいことなのだ…、そんな思いを痛く感じさせてくれたネット検索の旅だった。

                            (03/10/19 作)

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