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2010/03/31

「甲斐庄楠音」に再会す

 栗田勇著の『花を旅する』(岩波新書)を寝入る前、パラパラと捲っている。
 するとその「七月 百合」の章で「甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)」なる名を久しぶりに目にした。
「大正七年頃、「日本創画会」でデビューした、得意な女人を描いた」画家である。

 彼の描く女人の画は、一度目にしたら印象深く刻印されてしまう。
 但し、個性(アク?)が強く、好印象が残るとは限らない。

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← 岩井志麻子著『ぼっけえ、きょうてえ』(角川ホラー文庫)  表紙の絵は、作品名「横櫛」。

 小生が甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと、明治27年(1894年)12月23日 - 昭和53年(1978年)6月16日)の存在を、というか絵を初めて目にしたのは、岩井志麻子著の小説『ぼっけえ、きょうてえ』(角川ホラー文庫)で、発表当時、評価も高く評判を呼んだもので、当時既に我輩の生活が困窮に瀕していたにも関わらず、敢えて単行本を買って読んだものだった。

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2010/03/30

書きつかれ筆置くころの藤の花

 寒い! 富山は天気予報通り、雪になった。積もるのかどうか。
 まだ見頃の時期には早いのだが、少しでも暖かさを感じたいのと季節を先取りするつもりで、今日は「藤(の花)」についてあれこれ綴ってみる。

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→ 小惑星探査機「はやぶさ」 「地球のごく近くを通過する軌道への投入に成功」だって。やったー、である。6月の帰還が待たれる。 (画像は、テレビニュース画面より。情報は、「地球帰還、ほぼ確実に=小惑星探査機「はやぶさ」-宇宙機構(時事通信)」より)

藤(の花)」を選んだことに他意はない。
 ちょっと妖しいあるいは秘密めいた雰囲気を感じさせる花である。
 謎めいた花に感じられるのは、色合いが、その昔はやんごとなき人にしか許されない、高貴なものを連想させるからだろうか。
 でも、「露草」とか「菖蒲」(かきつばた)とか「蓮華草」とか、紫色の花は他にも少なからずある。
 そんな中、「藤の花」は格別なものなのだろうか。

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2010/03/29

『ジョージ・エリオット 評論と書評』からストウ夫人へ?

 ジョージ・エリオット 著の『ジョージ・エリオット 評論と書評』(川本 静子 訳, 原 公章 訳 彩流社)を読了。
 本書については、大よその紹介を拙稿「サブレって、あのサブレー ? !」にて済ませている。

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← 謎の路地。未明、何処かのお寺の近くにて。何処へ続く道なのか、確かめたことはない…。

 といっても、下記するように出版社による謳い文句を転記したに過ぎないもの。
 というのも本書は、ジョージ・エリオットのファンでないと、なかなか手が出ないし、面白い本だよなんて、気軽には薦めにくいものと感じられるからである。

 小生は1994年の失業時代、それまで読んだことのない作家の本を敢えて選ぶようにして渉猟し読み倒していた中でこの作家に出遭った。

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2010/03/28

ジョン・ダワー著『昭和』の周辺

 ジョン・W・ダワー著の『昭和 戦争と平和の日本(JAPAN IN WAR AND PEACE)』(明田川融監訳 みすず書房)を読了した。
 感想を書く時間を取れないので、かなり舌足らずとなるが、ツイッター(Twitter)での呟きから、関連する発言を幾つか、転記しておく。

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→ バイト先からの帰宅の途上、こんな開け初めの空を横目に…。

 終戦直後、何十万人もの日本人捕虜がソ連によって抑留され、虐待・教化されたことは周知の事実だろう。が、中国や東南アジアにおいて日本兵が抑留され、頻繁に反共軍事行動に配置されたことは、あまり知られていないのではないか。

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2010/03/27

地の底が割れる

 海の底の沸騰する熱床で最初の生命が生まれたという。
 命に満ち溢れた海。
 海への憧れと恐怖なのか畏怖なのか判別できない、捉えどころのない情念。

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 命…、それは、あるいは生まれるべくして生まれたのかもしれない。
 でも、生まれるべくしてという環境があるということ自体が自分の乏しい想像力を刺激する。刺激する以上に、圧倒する。

 自分が生きてあることなど、無数の生命がこの世にあることを思えば、どれほどのことがあるはずもない。

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2010/03/26

雨の音 沈黙の音 夜明けの音

 途切れ途切れの音の連なり。
 でも、一旦、曲を聴き始めたなら、たとえ中途からであっても、一気に音の宇宙の深みに誘い込んでくれる。

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 たとえば、何処かの人里離れた地を彷徨っていて、歩き疲れ、へとへとになって、喉が渇いたとき、不意に森の奥から清流の清々しい音が聞こえてくる。
 決して砂漠ではないはずの地に自分がいるのは分かっている。木々の緑や土の色に命の元である水の面影を嗅ぎ取らないわけにいかないのだから。

 でも、やはり、水そのものの流れを見たい。体に浴びたい。奔流を体の中に感じたい時がある。

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2010/03/25

本名で検索してみたら…

 約十年前、ふとした気まぐれで、自分の本名でネット検索してみたことがある。
 ホントの興味本位である。
 多分、検索事例としては一件もヒットしないだろう…、でも、あわよくば(?)何かあるかもしれない…。

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 すると、案外と検索結果が浮上してくる。
 別記するのは、その時に書いた雑文。

 せっかくなので(?)、最近になって久々に本名で検索してみた。

 すると、出るわ出るわで、(多分)9年前より検索結果件数が増えている。

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2010/03/24

サブレって、あのサブレー ? !

 ジョージ・エリオット 著の『ジョージ・エリオット 評論と書評』(川本 静子 訳, 原 公章 訳 彩流社)を読んでいたら、「サブレ」という名称に遭遇した。

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→ パッと、サイネリアでした! ネット仲間の方に教えていただきました。

 この「サブレ」って、もしかして、あの「サブレー」 ? !
 でも、日本語で発音する(カタカナ表記する)と、元の言葉の発音とは似て非なるものになりがちだから、表面的な相似に過ぎないのかも、とも思える。

 この「サブレ」なる言葉に出合ったのは、上掲書の中の「フランスの女性――マダム・ド・サブレ」という章である。
 この章は、「エリオットがロンドンの書肆チャップマンから、フランスの哲学者ヴィクトール・クーザン『マダム・ド・サブレ――十六世紀の著名な女性たちと交際社会に関する研究』(一八五四)の書評を依頼され」書き下ろした評論で、「これが以後二年に及ぶ「評論家ジョージ・エリオット」としての、記念すべき第一作とな」ったもの。

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2010/03/23

太陽と風雨と土と命と

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→ 今日は穏やかな晴れ。こんな天気は今の季節の富山には長続きしない。慌てて、昼前、先日耕した畑をさらに耕し、窒素などの肥料を注ぎ、いよいよ種蒔き。蒔くのはいいが、ネギやヒマワリ以外は、何の種か分からない。まあ、育てばいい。ネギは、畑に雑草が生えないよう、生命力の強さに期待して。画像では奥の方に小さく写っているだけだが、あれがネギ。一昨年、苗を植えたこのネギは二度目の冬を越えて今も健在。ネギが土壌の栄養分を独占するのか、その周辺には雑草が生えない。凄いぞ、ネギ!

 庭の土、畑の土を弄っていると…、というより玩ばれていると、ふと、水上勉著の『土を喰う日々』(新潮文庫)なる本が思い浮かんでくる。

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2010/03/22

ダワーの新著で知った<国威発揚映画>の真価

 ジョン・W・ダワー著の『昭和 戦争と平和の日本(JAPAN IN WAR AND PEACE)』(明田川融監訳 みすず書房)を読み始めたのだが、自分の素養のなさもあろうが、随分と教えられること、考えさせられることが多い。

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← 「ハワイ・マレー沖海戦」 (画像は、「ハワイ・マレー沖海戦 -Wikipedia」より)

 といっても、まだ、冒頭の三十頁ほどを読んだだけなのだが、それでも、引用したり、知った事実を元に何か書いてみたい衝動に駆られることが、随所にあったし、ある。

 ジョン・W・ダワーの本を読むのは、「『敗北を抱きしめて 上・下』(三浦陽一・高杉忠明訳、岩波書店刊)」以来だから、8年ぶりとなる。
 本書もなかなか読み応えがありそう(現に既に実感させてもらっている)。

 本稿では、本書の感想ということではなく、本書の「2 日本映画、戦争にへ行く」にて採り上げられている、日本映画をコメントや感想を抜きに列挙する。
 後日、機会があれば観てみたいという意味合い(願い)もこめて。

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2010/03/21

ぱっと、サイネリア ? !

 過日、図書館へ返却と新規に借りる本やCDの物色に。
 と、新入荷本コーナーの平棚に、気を惹く題名の本が2冊も。
 一冊は、ジョージ・エリオット著の評論・書評の本。彼女がこんな仕事もやっていたこと自体が意外だったが、そんな本が出るなんて思いも依らなかった。

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← 昨日も掲げたこの花の画像。名前…、「サイネリア」だろうか。お花屋さんで名前を聞いてくるのを忘れたのだ。

 まあ、小生は彼女のファンで、先月も『ミドルマーチ』という大作を読んだばかり。

 無条件で借りる。



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2010/03/20

我が家に新車がやってきた!

[以下はツイッター(Twitter)での今日のツイート(呟き)から、原文のままに転記。但し、(カッコ)内の参照ニュースはブログ転記に際し、付したもの。]

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→ 昨日、スーパーに仮設しているお花屋さんで、花を買った。昨日は寒かったので玄関に。今日、暖かだったので、鉢植えにして玄関先に。花の名前、訊いてくるの、忘れた。

我が家に新車がやってきた! …但し、一輪車だけど

手押し車を買った。何十年ぶりに新車(?)。最初、農協へ電話で「一輪車、お願いします」って言ったら、先方は「??」だったが、「荷物を運搬する、あれですよ」って言ったら、通じた。調べたら、「手押し車」って言うんだね(って、調べるまでもなかったか)!

車というと、昔、我が家にあった車は、大八車! 馬を飼っていて、お馬さんに引っぱってもらったり、お馬さんがいなくなったら、家族で押したり引いたりしたっけ。次の車が手押し車だ。我が家で所謂自動車を所有したのは、一昨年。近所で一番(!)遅かった。そして今、新品の手押し車が鎮座する。

大八車をお馬さんに引かせて、富山市から高岡市にある本家の田圃まで手伝いに行ったこともあったとか。そんな時代は話でしか知らない。小生が知るのは、家族総出で大八車を引いて、我が家の周辺に散在する田圃へ往来したこと。町というより村だったのだ。

大八車に積むのは、刈り取った稲。なので、大八車というと、鼻を差す稲穂の匂いと田圃と初秋の青い空や白い雲を連想する。

ということで、いよいよ今年も畑やら庭仕事が始まるわけです。既に下準備に取り掛かっているけど。  


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2010/03/19

ツイッター(ツイート)してます!

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← 「第56回全日本チンドンコンクール」 過日、図書館へ行ったら、壁の掲示板にこのポスターが貼ってあった。4月11日(日)にはチンドン大パレードも。 ( 「「チンドン大パレード」へ(1)」や「09チンドン大パレードへ」など参照。)

 以下はツイッター(Twitter)での今日のツイート(呟き)から:

お昼頃、昼食の材料を買いに自転車で表の通りに出たら、黒服の男、女がゾロゾロ。
角々には何かを手にした男たちが、通りかかる人間をチェックしてる…。

おお? わが町の近所でやーさんの大規模な葬儀でもあるのか、なんて怖々走っていたら、なーんだ、我が母校(小学校)の卒業式だった!

ちなみに、角々に立っていた若い男たちは、どうやら営業の人。通りかかる父母にパンフレットを手渡そうとしていたんだ。我輩は無視ってのも、納得。

我輩も昔は、可愛い顔して卒業したんだった。

あれから40年! 
今の状況は…、悲惨で記述不能!


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2010/03/18

寺田寅彦「病院の夜明けの物音」の周辺

 末延芳晴 著の『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)を読んでいたら、案の定というべきか、寺田寅彦の随筆の中でも珠玉の一つと思われる随筆が俎上に上っていた。
 それは、「病院の夜明けの物音」という作品。
 何度読んでもこの作品は絶品と感じる。
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 どのくだりもつい引用したくなるが、上掲書にも引用されている中で一箇所だけ、以下に示す:

 このようないろいろの騒がしい音はしばらくすると止まって、それが次の室に移り行くころには、足もとの壁に立っている蒸気暖房器の幾重にも折れ曲がった管の中をかすかにかすかにささやいて通る蒸気の音ばかりが快い暖まりを室内にみなぎらせる。すると今まで針のように鋭くなっていた自分の神経は次第に柔らいで、名状のできない穏やかな伸びやかな心持ちが全身に行き渡る。始めて快いあくびが二つ三つつづけて出る。ちょうどそのころに枕もとのガラス窓――むやみに丈の高い、そして残忍に冷たい白の窓掛けをたれた窓の外で、キュル、キュル/\/\と、糸車を繰るような濁ったしかし鋭い声が聞こえだす。たぶんそれは雀らしい。いったいこの寒い夜中をどんな所にどうして寝ていたのであろうか。今一夜の長い冷たい眠りからさめて、新しい日のようやく明けるのを心から歓喜するような声である。始めの一声二声はまだ充分に眠りのさめきらぬらしい口ごもったような声であるが、やがてきわめて明瞭な晴れやかなさえずりに変わる。窓の外はまだまっ暗であるが「もう夜が明けるのだな」という事が非常に明確な実感となって自分の頭に流れ込む。重苦しい夜の圧迫が今ようやく除かれるのだという気がすると同時にこわばって寝苦しかった肉体の端から端までが急に柔らかく快くなる。しばらく途絶えていた鳥の声がまた聞こえる。するとどういうものか子供の時分の田舎の光景がありあり目の前に浮かんで来る。土蔵の横にある大きな柿の木の大枝小枝がまっさおな南国の空いっぱいに広がっている。すぐ裏の冬田一面には黄金色の日光がみなぎりわたっている。そうかと思うと、村はずれのうすら寒い竹やぶの曲がり角を鳥刺し竿をもった子供が二三人そろそろ歩いて行く。こんな幻像を夢うつつの界(さかい)に繰り返しながらいつのまにかウトウト眠ってしまう。看護婦がそろそろ起き出して室内を掃除する騒がしい音などは全く気にならないで、いい気持ちに寝ついてしまうのである。

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2010/03/17

名古屋国際女子マラソンから「誰がために走るのか」のこと

 3月14日に行われた名古屋国際女子マラソン(中日新聞社など主催)を昨日、録画で見た。生中継を見たかったのだが、家庭の事情が許さない。
 録画も最後の部分だけ、見るつもりでいたが、やはり実際に画面を見始めると、ついつい見入ってしまう。
 トップでさえ二時間半に及ぶような、単調極まるはずの、しかし長いドラマ。
 見ていて、不思議と退屈しない。

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← 優勝した加納由理選手(31)=セカンドウィンドAC= 「中日スポーツ加納由理「アジア大会出るかも」 名古屋制し喜びの会見スポーツ(CHUNICHI Web)」参照。 (以下、画像は全て、NHKテレビより)

 自分が長距離を走るのが好きだったから、だろうか。
 そうはいっても、実際にマラソンでロングを走ったのは数えるほどしかない。
 小生の場合は、オートバイ(やスクーター)でのツーリングである。
 大概は、帰省に絡むものだが、近郊の海山を走る場合でも、観光地で滞留することは、まず、ない。
 ひたすら走る。
 行きはいいのだが、帰りは辛くなる。一般道を渋滞の中、車の列の脇をすり抜けて、あるいはその透き間を縫って延々と走り続けるしかないのだ。
 段々、バイクを操っているのがバカらしくなったりする。
 それでも、走行しているうちにライダーズ・ハイのような状態に嵌まり込んでいたりして、病み付きになってしまっていたのである。

 ふと、昔書いたバイク絡みの短編のことを思い出した。
 ライダーズ・ハイ(ランナーズ・ハイ)は、無私夢想の境のはずなのに、あるいはだからこそ、普通なら理性が邪魔して脳裏の底に沈んだままのはずの思いがけない想念が、ついっと浮かび上がってくる…という虚構の世界の話。

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2010/03/16

寺田寅彦の周辺を巡る

 先週、本の返却と借り出しに図書館へ行った。
 受付カウンターの手前に新入荷本のコーナーがあり、返却の前にザッと眺めたら、寺田寅彦という名前が目に飛び込んできた。
 彼の著書ではなく、彼に付いての本。

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 借りるかどうかは別にして、とりあえず、ゲット(…じゃなく確保に過ぎないが)し、カウンターへ。
 寺田寅彦(の随筆)のファンである小生、長年住み暮らした東京から帰郷のため引越しをした際にも、寺田寅彦の全随筆(全部で六巻)だけは死守したものである。

 その本とは、末延 芳晴 著の『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(平凡社)である。

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2010/03/15

春…命の疼きだす季節

 もう、春の足音が、そこまでやってきているのが分かる。
 今年は、1月の上旬には梅の開花が見られた。先日はウグイスの初鳴きが聞かれたとか。花粉もうんざりするほど、飛散し始めている。時折、コンクリートジャングルの端っこから、土の匂いだろうか、何処か懐かしい、心を落ち着ける匂いが漂い始めてもいる。

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← 村上佳菜子選手(グランプリ東海ク、名古屋市前津中3年) 「村上逆転V フィギュア世界Jr. 女子も日本制す」 スター性十分! (画像は、NHKテレビニュースより。「村上佳菜子 - Wikipedia」参照)

 その匂いの中には雑草なのか、それとも名のある草なのか、それとも草ではなく木々の葉っぱからなのか分からないが、ムンとするような、植物特有の匂いも混じっている。
 けれど、もしかしたら、芳しく嗅いでいる中には、何処かの団地のベランダに干された布団や洗濯物から漂い出す、生活臭だって仲間入りしているのかもしれない。
 そう、日光を浴びてダニや何かが乾燥して悲鳴を上げているのに違いないのだ。ダニどもの体から蒸発した命の気が、当てどなく彷徨っても、いる。

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2010/03/14

梅の木の思いも依らぬ開花かな

 ジョン・D.バロウ〈John D.Barrow〉著の『数学でわかる100のこと 』(松浦 俊輔/小野木 明恵【訳】 青土社)を読んだ。

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→ 雪解けで裏庭へ歩いていったら、ツツジの陰に隠れるようにして、何か、花が咲いている。梅? なんだってこんなところに? 思いも依らない場所での思いがけない開花! ま、春の到来を告げてくれているのだ、ありがたいことである。

 小生はジョン・D.バロウ(の著作)のファンで、これまでも何冊か読んできた。
(ついでながら、訳者の一人・松浦俊輔氏とは相性がいいのか(生意気に聞こえたらごめんなさい)、同氏の訳される本は大概、読みたくなるし、実際、何冊も手にしてきた。)

 たまたま他に読みたい本が重なっていたので、読むのが今頃になったが、まあ、楽しませてもらったのだから、昨秋出た本を今頃になって読んだのもいいことにしよう。

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2010/03/13

オオカミは獰猛な害獣です…か

 オオカミというと、すぐに相手構わず襲い掛かる獰猛な動物というイメージが濃厚に浮かんでくる。
 今となっては、そんな虚像を覆すことなど、至難の業と思えるほど、そのイメージが我々の脳裏に深く刻み込まれている(と小生は思う)。

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← 「ニホンオオカミ終焉の地碑石像」 (画像は、「ニホンオオカミ - Wikipedia」より)

 昨日の日記「里山の復活はいいけれど」にて、小生は軽率にも、「アメリカでは、オオカミをイエローストーン地区に再導入すべきか真剣に論議」され、実際に導入されたが、日本ではそんな<暴挙>は論外で、「シカやイノシシを一定の数にまで減らすには、オオカミを導入すべし、なんて発想は日本では決して浮かばないのだろう」などと書いてしまった。

 しかし! 

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2010/03/12

里山の復活はいいけれど

『絶滅した日本のオオカミ』より」を相変わらず、続けている。
 まあ、個人的な関心から、ではあるが、環境問題や絶滅を危惧される生物たちのこと、そして、里山の復活を構想する方にも無関心ではありえないと思う。
 クジラの問題で、軋轢が生じている。
 小生としてもいろいろ思うところがある。
 ガキの頃、クジラの竜田揚げを楽しみにしていた思い出のある小生としては、暴力的に捕鯨を邪魔されることに怒りを覚える。

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→ 「二胡奏者チェン・ミン(Chen Min)」 過日より、図書館で二胡奏者チェン・ミンさんのCDを何度となく借り出しては聴いている。と思ったら、今月初め、タイムリーにもNHKテレビでゲストとして迎えられていて、その活躍の一端を知ることができ、嬉しかった。 「Chen Min チェンミン 公式サイト (画像は、NHKテレビでの一画面)

 それはそれとしても、海外では驚くべき試みがなされていることも事実なのである。
 アメリカでは、オオカミをイエローストーン地区に再導入すべきか真剣に論議された。
 それだけなら、環境保護活動に携わる人たちもいることだし、構想(机上の空論)として、ありえないことではないだろう。

 驚くことに、反対はあったにしても(多くはハンターら)、実際にオオカミをイエローストーン地区に再導入され、順調にオオカミの頭数が増えているという。
 
 里山を復活すべしと小生も思う。

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2010/03/11

トキの代わりに水鳥を愛でし

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← 昨日、お昼頃から雪が降り出し……と思う間もなく、一気に雪化粧。厚化粧にならなくて助かったが。

 本日(10日)の午前、朝食の片付けを済ませ、雪掻きをしつつ、空模様をじっと睨む。
 自転車で外出は可能かどうか。今は小止みだが、雨か雪が降りそう。
 でも、一時間は激しい降雨にも降雪にもならないだろうと、思い切って外出。

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2010/03/10

『絶滅した日本のオオカミ』より

シートン著『オオカミ王 ロボ』の読後感のほろ苦さ」にも書いたように、ひょんなことから、とても懐かしい物語、シートン著の『オオカミ王 ロボ』を読む機会を得た。
 そして絶滅寸前に追いやられた北米でのオオカミの歴史と先住民の悲劇の歴史を重ね合わせたりしていたら、数日もしないうちに、新聞の書評欄でブレット・L.ウォ-カ-著の『絶滅した日本のオオカミ』(浜健二訳 北海道大学出版会)なる本の存在を知った。

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→ 前日の天気予報で雪マークが出ていたが、どうせ山間部のことだろうと高を括っていたら、平野部もしっかり降雪、積雪。とうとう雪掻きをする羽目に。これでも気象庁は今冬は暖冬だと言い張るのだろうか。


 あまりにタイムリーな本の登場!

 本書については、紹介したい記述があまりに多く、簡単な感想文を綴るだけでは済まないという気になってしまった。
 テレビで坂本龍馬が脚光を浴びている。小生も司馬遼太郎の原作は若い頃、胸をときめかせて読んだものだった。
 しかし、日本が近代化を進める半面で、いかに多くのものを切り捨ててきたか、決して裏面史ということではなく、正面切って考える時期に来ていると思う。
 本書がその好機になるし、実際、必読の書だと痛感している。

 そこで、下手な紹介記事を書くより、本書の「エピローグ」から断片的にでも著者の肉声を転記することで、著者の本書を通じてのメッセージを紹介したい。

 以下、数回に分けて筆者による「エピローグ」の文章を掲載する。
 本書の粗筋的なものになるが、それでも一読に値すると思う(その前に本書を読んでもらいたいが)。
(転記文中の()内のイタリック体の文字は小生による注釈であり、それ以外の()内の文は筆者によるものである。)

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2010/03/09

蔵は名のみの風の寒さや~!

 蔵と聞くとリッチそうだし、外見は遠目には立派だが、トタン(?)葺きの下の土壁はボロボロ。
 窓のある面の土の壁には、戦争中、空襲を受けグラマンか何かの戦闘機の機銃掃射を受けた弾痕が残っている…はず。
 子供の頃、抉られた痕の生々しさを実感したものである。

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← 庭先の梅の木越しに我が家の蔵を撮る。

 母屋は富山大空襲の際、全焼。
 蔵も、壁など骨組みは残ったものの、中は全焼。
 明治の頃からの朱塗りの茶碗をひと揃え、田圃へ持ち出すのがやっとだったとか。

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2010/03/08

富山は…雨の心配のない日は少ない

 この数日、テレビドラマか何かの影響だろうが、「止まない雨はない」というキーワードでの検索で、既に古くなっているはずの我がブログの頁がしばしばヒットされてしまう。
 その頁というのは、「止まない雨はない」なのだが、チラッとでも覗いてもらうと分かるが、内容はドラマとはまるで関係のない、言葉遊びに終始する頁である。
 よって、意味なしと看做され、さっさと頁を消されてしまう(他のサイトへ移られてしまう)。

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→ 昨日(6日)の束の間の雨の切れ目に庭に出て、梅の木に咲いた花を撮ってみた。

 雨つながり、というわけではないが、ずっと昔のこと、中学か高校生だったころだと思うが、雨を巡って<議論>したことがあったな、と思い出した。

 それは、雨の日、某所から目的地まで行くのに、歩いたほうが濡れないか、それとも走ったほうが濡れる量が少ないか、という他愛もないもの。
 …議論というほど大したものではないが、若かったこともあり、段々、むきになってしまって、互いに顔を真っ赤にさせたまま、しばらくは無言になったような(…それとも、喧嘩別れしたのか、あるいは、他の話題にさっさと移ったのだったか、はて)遠い記憶がある。

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2010/03/07

春の憂鬱の正体は?

 昨年11月だったかに出された気象庁の長期予報によると、今冬は暖冬の見込みだという話だった。
 が、実際は、あにはからんや数回にわたる寒波の襲来で、例年にない積雪を何度も記録したし、九州は大分などでも降雪の日があった。
 当然、予報は外れでした、今冬は本格的な寒さに苦しんだ年でしたと訂正というか、お詫び(?)の一言があるものと思っていたら、とんでもなくて、それこそ、あにはからんやで、今冬はやはり暖冬だったと気象庁は昨日、言い張っていた。

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30年に1度以下の異常気象=「北極振動」で北半球に猛寒波-気象庁検討会(時事通信) - goo ニュース」といったニュースもあり、世界的には、猛烈な寒波に襲われた年であり、日本にも何度か寒波の襲来があったのは事実だが、一方、日本については、エルニーニョ現象の影響で、比較的暖かな日が多かった、というのである。

 うーむ。
 理屈はそうなのかも知れないが、なんとなく、平熱より体温の異常に低い日が何度もあったが、全般的には平熱より高い日が多かった、ならしてみると、平熱よりやや高めでしたと、言いくるめられているような気がする。
 体感的には、寒暖の差が激しく、且つ、寒波の襲来に悩まされた年、なのである。

 それでも、徐々にだが春の兆しは訪れつつある。
 庭の草木も芽吹いたり花が咲いたりしている。

 今日6日は「啓蟄」たと、今朝、ラジオでその話題を聴いて、初めて気がついた。

 春の陽気の到来…(尤も、富山は明朝は氷雨が雪混じりになる恐れもあるというのだが)。
 寒さにめっきり弱くなった自分としては、嬉しいようでもあるが、単純には喜べない。
 鬱勃たる春の陽気の温みに反って体が拒否反応のような妙な反応を示している。

 いつ頃からそんな捉えどころのない感覚を抱くようになったか、分からないのだが、数年前、その辺りの微妙な体感を書いた日記があるので、少なくともその頃には、陽気の変化にスムーズには追随できない自分の体に気付いていたものらしい。

                            (以上、10/03/06 記)


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2010/03/06

オオカミが縁で『翁草』と再会せし

 ブレット・L.ウォ-カ-著の『絶滅した日本のオオカミ』(浜健二訳 北海道大学出版会)を読んでいたら、懐かしい著書(著者)名を目にした。
 それは『翁草(おきなぐさ)』である。

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→ 根雪もすっかり溶けて、庭の草花もホッとしているようだった。驚いたのは、幾つもの草花が開花し始めていたこと。植物は、やはり健気というかしたたかに生き抜いていくのだと改めて痛感させられた(以下、掲げる写真は本文とは全く関係ない)

 といっても、(所収となっている本を含め)実物を手にしたわけでも、読んだことがあるわけではない。
 若い頃を中心に何冊となく読んできた立川昭二の、ある本の中でこの『翁草』のことに言及されていたので、ちょっと触れてみたことがあるだけである。
 ちなみに、転記文中にもあるが、「森鴎外はこの翁草から「高瀬舟」や「興津弥五衛門の遺書」などの題材を得た」というし、『鬼平犯科帳』とも関係があるやもしれないようである(「『鬼平犯科帳』Who's Who 075その他の与力・同心」参照)。

 以下、別窓で旧稿を示すが、せっかくなので、上掲書の中での『翁草』にまつわる件(くだり)を転記しておこう。
 話は、従来は、人間(村人ら)の作物を荒らす害獣(イノシシなど)を退治してくれる、益獣(であり大神)であった日本のオオカミが、十七世紀前後から徐々に狂犬病に罹るようになり、それまでは人間を恐れ襲うことなど滅多になかったのが、相手構わず襲うようになり、ついには人間によって駆逐される要因の大きな一つになった、という流れでの言及である:

 体内に入ると、狂犬病ウイルスは広がりオオカミの神経機能を損傷し、強い精神錯乱と暴力的傾向に導く。その結果、オオカミの攻撃が一八世紀中増えた。神沢貞幹(かんざわとこう)はその著『翁草』(一八五一年)で、オオカミの攻撃を「犬毒」の蔓延と結び付けた。出版は死後になったが、その著作は彼の若いときから約一七九五年頃までの数多くの思索を収めている。一七三二年、神沢はイヌの世界における狂犬病を畿内(京都近郊)、南海(四国)、山陰、西海道(九州)とたどって調べた。これらの地域は西日本の大部分で、イヌが狂って人を咬み殺した場所である。彼の説明によると、人が一度「狂った犬」によってもたらされたこの「毒」(毒気、言葉の意味は「有毒ガス」または「毒性」)に接すると、すぐに死ぬか、短期間のうちに死ぬことになる。この「犬患い」と呼ばれる病気は、東に進んで一七三六年の春には南海と畿内に、一七三七年の夏には徳川時代の主要路である東海道に達した。イヌのみが犠牲になったのではなく、オオカミ、キツネ、タヌキも多数死んだ。人、ウマ、ウシも咬まれると後に高熱が出て、ときには鋭い痛みが死ぬまで三〇~五〇日あるいは一年も続く。狂う前に食欲がなくなり、そしてイヌと同じく最後には死ぬと彼は付け加えた。 (p.123-4)

(旧稿では、「神沢貞幹」ではなく、「神沢杜口」となっている。立川昭二の本ではそのように表記されていたものと思うが、異同についてはちょっと謎である。)


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2010/03/05

イルミネーションよりイリュミナシオン?

 冬の間、富山の町を彩っていたイルミネーションの試みも二月いっぱいで終わり、今月に入って機材の取り外し作業に入っていた。
 東京でもだが、富山でもイルミネーションで夜の町を彩るという発想。
 キラキラして綺麗、ではあるが、上滑りという感があって、どうも馴染めない。

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← 二月末、富山城前の広場にあった電飾。綺麗だねー。

 街が賑わうことが一番なのだろうが、そうもいかないから、代わりにせめて電飾で賑やかしている、そんな風に思えたりする。
 素直に楽しめないのは、小生の感性が貧弱なのだろう。
 こんな感じ方は、不景気のどん底にある富山だから覚えるのかと思ったら、東京在住時代も似たようなものだったことを証しするエッセイがあった。
 感じ方が一貫している?
 考えようによっては、小生の人間的な成長が止まっている、という見方もありえなくはない。


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2010/03/04

天文学的な乗り合わせ ? !

 エリ・ヴィーゼル著の『夜 [新版]』 (村上光彦訳 みすず書房)を読了した。
 本書については、ある意味、絶句あるのみである。
同じ本でも歳月を経たら感想は違う」にて感想めいたことを書いているが、実際には周辺をうろついているに過ぎない。

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→ 我が家の庭先に咲いた梅の花。東風はまだ吹いてこないけれど、ウグイスらしい小鳥はこの梅の木の枝で見かけた。春よ、来い、我が庭に、我が頭にも…じゃない、心にも!

 さて、次に読み出したある本の冒頭付近で奇妙な一節に出合った。
 その本の冒頭付近に示されている文言。

 それは、以下のような文章:

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2010/03/03

青い洗面器

 ぬるぬるべたべたする。
 不快なはずなのに、なぜか気持ちいい。

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← 近所の畑の裸木に止まる小鳥。雪の心配もなくなって、少しホッとしている?


 体が死海に浮かんでいる。
 決して沈まない。
 潮の海に身を任せている。

 すべてはあなたのもの。
 わたしには何もできない。
 できなかったし。

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2010/03/02

同じ本でも歳月を経たら感想は違う

 今また大部の本を読んでいる(ジュールズ・キャシュフォード【著】の『図説 月の文化史〈上・下〉―神話・伝説・イメージ』(別宮 貞徳【監訳】 片柳 佐智子【訳】 柊風舎)で、上下巻併せて850頁ほど)。

 この本に掛かりきりでは、やや鬱陶しいので、決して息抜きというわけではないが、図書館で合間に読む本として軽い本を物色していたら、エリ・ヴィーゼル著の『夜 [新版]』 (村上光彦訳 みすず書房)が新入荷本の平棚にあるのを見つけ、思わず手にとった。

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→ 今朝未明、仕事の最中、とある民家の軒先で月影を撮る。このさと一時間もしないうちに雨模様となった。だから束の間の晴れ間で、月光を浴びつつ、月影を追いつつの楽しい仕事のひと時だったのである。

 無論、決して軽い本などではない。小生が言う軽いは、手に持つ重みや大きさのことで、大部の本を寝床で手に持って読むのは大変なので、就寝の際には、手に負担の少ない本を常に備えておくことにしているのだ(職業病なのか、左腕が痛い。筋肉痛のようだ)。

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2010/03/01

ピンチョンの『ヴァインランド』に空回り

 トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』を読了。
 けったいな世界やった。我輩の胃袋には消化しきれない世界、そして表現。

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← 先週末の暖かさで庭の梅の木の蕾が一斉に開花。植えて50年以上だが、老木とは言えないはず。土壌が貧弱で、もっと咲くはずの花々がちょっと疎らかも。土壌改良してあげなくては、と思いつつ、帰郷して早2年。ちなみに、背後の家は向かいの家。我が家は築半世紀以上の木造平屋なのです。昨日のように強風が吹き荒れると、隙間風は勿論、戸や窓がガタピシして煩いこと。

 学生時代、力尽くでの読破を目指すも、途中で断念してしまった『重力の虹』とは違って、本作ではピンチョンは叙述の上では、我々の目線に踏みとどまっていてくれる。

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