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2010/02/04

蛍の光 窓の雪 そして富山の雪

 先月下旬の寒波が去ったことで、積雪の季節は終わったものと(淡い期待ながらも)思っていたが、やはり、自然はそんなに甘いものではなく、二月こそが雪の本番の季節とばかりに、昨夜半から雪模様となり、今日はほぼ週日、降雪。
 日中、勢いが若干、和らいだものの、夕方近くからはまた勢いを増し、外は真っ白な世界。磨りガラス越しだと、外が明るくて、その明るみは暖かさにでも繋がっているかのような錯覚を与えるが、そんなはずもなく、今日の最高気温が一度。

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→ 雪の降る夜は、特に未明ともなると人の気配も消え果て、白銀の世界というより、水墨画の世界だ。音が雪に吸い込まれるらしく、沈黙の世界でもある。

 雪は、天性の演技力を持つ美人の女優のようだ。
 時に見た目には綺麗で美しくて優しげで、悪さなど似あいそうにない。
 しかし、何かの折に逆鱗に触れると、本性(?)を現し、牙を剥き出しにし、酷薄なまでに人の身心を凍て付かせる。
 雪は遠目に眺めているほうが、そう、分厚いガラス窓越しに、温泉にでも浸かりながら眺めたほうがいいのか、村々と沸き起こる何処か懶惰(らんだ)でもある居心地のいい幻想に浸っていることができていいのか。
 …でも、そういうわけにもいかない。
 つい、まあ、温泉のはずの熱湯に心身ともに蕩け去り焼き焦げ、身を誤ってしまう。
 それでも、そのほうがいいって思わせるのだから、やはり雪の魔力には叶わない。

 今朝というか未明に雪の中を仕事していたら、ふと、何年か前に書いたエッセイを思い出した。
 ラジオで「蛍の光」の曲を聞きかじって、脳裏の中でずっと響き続けていたらしい。
 我輩、どうも、この歌を聴いたり歌ったりすると、目頭がジーンと来る。
 自分で思っている以上に中学とか高校時代が懐かしいのだろうか。


蛍の光 窓の雪 そして富山の雪

(前略)

 多くの方は、「蛍の光」という歌を御存知だろう。卒業式などで歌われる、あの歌である。もしかしたら知らないよ、忘れたよという人もいないとは限らないので、念のため、歌詞を示しておこう。

蛍の光


ほたるのひかりまどのゆき
書(ふみ)よむつきひかさねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞ けさは わかれゆく


とまるもゆくも かぎりとて
かたみにおもう ちよろずの
こころのはしを ひとことに
さきくとばかり うたうなり


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← 未明に降雪の中、仕事しての特権は、誰も触れていない、まっさらな白い世界に自分が最初に足あとをつけられること。轍(わだち)だって、数分もしないうちに雪に埋もれていく。自分の足あとだって、あっという間に掻き消されていく。人の命の儚さを思い知らせるかのようだ。

 ところで第二節の「かたみにおもう」の「かたみ」って、分かるだろうか。もしかしたら昔、先生に説明されたのかもしれないが、今度、この歌を引用して、改めて歌詞を読んでみて、小生は分からなかった。
 あの、決して、「固めに」が訛って「かたみに」って、なったわけじゃないよ。これは、「片身に」ということで、「互いに」という意味だそうである。広辞苑では源氏物語(若紫)から「あやしと思へど、かたみに言ひ合はすべきにあらねば」が参照してあった。
「ちよろずの」は分かるだろう。これからもずっとということだろう。
「さきく」は、「幸く」で、無事にという意味でいいのだろう。
 この歌が、もともとはスコットランド民謡に基づく文部省唱歌であることも、知っておられる方は多いだろう。
 事典によると、「文部省の音楽取調掛が編集した『小学唱歌集』初編に「蛍」の題名で収められ、その後広く愛唱されるようになった」(NIPPONICA 2001より引用)という。なお、日本語の作詞者は不祥とのことである。
 別れの歌として我々は受け止めているが、どうやら実は、「旧友を偲(しの)ぶ歌」というのが真相のようだ。
 以下に示すサイトによると、「そもそも原題は "Auld Lang Syne"(スコットランド語)で 英訳すると"Old long ago"つまり 「遠い昔」という意味」になるのだそうだ。原詩も読める以下のサイトを関心のある方は、Auld Lang Syneを覗いてみたらいかがなものか。

 これまた、小生の無知に過ぎないのだが、この文部省唱歌は、我々が歌うとき第二節までしか、今は歌われることはない。
 が、もともとは第四節まであったという。それも、「皆と別れて国を守るために戦地へ旅立つという、多分に軍国主義的な内容であった」(引用は上掲の事典)というのだ。
 参考に第四節を紹介しておこう。できれば、この歌詞の二度と歌われることのないように願うばかりである。同時に、この歌詞を歌って戦地に赴いた方々がいたことも、忘れてはならないと思う。

千島のおくも おきなわも 
やしまのうちの まもりなり
いたらんくにに いさおしく 
つとめよわがせ つつがなく

[尚、この歌詞は右記のサイトで見つけたもの:「金口木舌」]
 このサイトによると、” 収録される二年前には、琉球王国が沖縄県として日本の国家に組み込まれている。この歌詞は大正時代には「台湾の果てもからふとも…」に替えられたという ”とある。

 ところで、先に作詞者は不祥と記したが、あるサイトを覗くと、作詞者は稲垣千穎とあった。この辺りの真相は、小生はまだ突き止めていない。
 このサイト(既に削除されている)によると、「歌詞のもとになった中国の話は『蛍雪の功【けいせつのこう】』」だそうである(そういえば、昔、『蛍雪時代』なんて受験雑誌があったなぁ)。以下、その話を同サイトより引用しておく。

 中国の東晋【とうしん】の時代に、昼も夜も勉強をしたがる学問好きの少年がいました。
 しかし、家が貧しくて明かりの為の灯油を、買えませんでした。
 それで、蛍【ほたる】をつかまえて、その明かりで勉強しました。
 少年は、のちに役所の高い官職につきました。
 同じころ、別のところに、やはり学問好きの貧しい少年がいました。
 やはり、貧しくて明かりの為の灯油を、買えませんでした。
 夜、少年が本を読めない日が三日続きました。
 頑張っている少年に天は味方しました。
 四日目の朝から雪が降り始めました。
 夜、月の明かりと雪の反射で、本が読めるようになりました。
 この少年も、のちに役所の高い官職につきました。

 今の時代、蛍の光で勉強することなど(少なくとも日本では)ありえないだろう。特に若い人だと、想像もつかないかもしれない。あるいは、窓の雪と月の明かりで勉強するっていうのも、何か冗談めいて受け止められるかもしれない。
 尤も、小生自身、蛍雪の下でどころか、電気スタンドの下でだって勉強はしなかったのだから、人のことなど、とやかく言う資格もないが。
 が、都会ではともかく、ちょっと田舎へ行くと、そこが街灯などなく、森や林の中にポツンと一軒家風に建つ家だったりすると、月の明かりの強烈さがしみじみと実感されることがある。まさに煌煌と照るという表現がピッタリする、何か魂の中にまで月明かりで照らし出されたような、不思議な、胸騒ぎを覚えそうな感動だって覚えるかもしれない。
 闇の深さの底知れなさは、凄まじいものがある。だからこそ、夜の月や星は大切で大切でならないものなのだ。
 さすがに星の煌きでは書を読むことができないが、しかし、月となると、違うのである。
 そういえば、ヨーロッパ、特に北欧だと、名詞には男性、女性の区別が付く。で、月は男性名詞であり、太陽が女性なのである。別に「元始、女性は太陽であった」をもじったわけではなかろう。北欧は緯度が高く、従って太陽は夜遅くまで白々とした、神経を逆撫でするような曖昧な明るさを贈る。
 それに対し、夜の月は、時に天高くにあって、日本では想像も付かない強烈な明るさを大地に恵むのだそうである。月に狼が吼えたり、あるいは眠れない魂を抱えて、身も世もない人間には、月の光は罪深かったりするのも、なんとなく分かるような気がする。
 その、ほんの雰囲気ばかりは、かのカスパール・ダヴィッド・フリードリッヒの絵画 に嗅ぎ取ることができるかもしれない。

 尚、別のサイトでも、若干、フリードリッヒについては触れている。その中に文献も多少、示してある。関心のある方は御覧願いたい。

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→ 未明、富山の郊外を列車が走り抜けていく。人影が車窓にちらほらと。何処から、何処へ。銀河鉄道は今も走り続けているのだ。

 ところで、(昔を知る人には)頓馬な(しかし、ある意味、素朴だし当然な)疑問を抱く人もいるかもしれない。
 何も夜にわざわざ勉強しなくなって、昼間に頑張ればいいじゃない、とか。上記の話にもあるように昼もちゃんと勉強しているのだ。あるいは、日中は家の手伝いで働いてばかりなのだ。だから、人より出世をするには、人が休む時にこそ、頑張るしかないわけである。
 まあ、そんな堅苦しいことは抜きにして、窓の雪を見ていると、何か胸が締め付けられるような、自分がここにいるべきじゃなくて、何処か他にもっと自分がいるべき場所があり、そこで誰かが俺を呼んでいる…といったような、郷愁とも違う、不思議な感傷に囚われるものである。
 小生が未だ郷里である富山で暮らしていた頃は、まだ雪も毎年、たっぷり降ったものだった。だから、3月になっても、さすがに降雪の日は少ないとしても、根雪は深く固く大地を覆っていた。
 特に民家の屋根などからの雪や、道を空けるために道端などに積み上げられた雪は、3月の初めや半ばだと、当分溶けそうにないように感じられる季節だったように思う。
 夜、家族のものが寝静まった頃、こっそり家を抜け出して、銀色一色の世界へ踏み出していくのが大好きだった。部屋の明かりを消しても、曇りガラスの窓だし、カーテンだってされているのに、部屋の中が青白い光で満たされていて、とてもじゃないが、眠る気にはなれなかったのだ。
 雪の降り積もる頃となると、部屋に閉じ篭って、いつもより早く灯りを消したりさえしたものだった。時には、学校から帰り、遊び友達ともはぐれた時、なんとなく漫画を読む気にもなれなかった時、家の奥の座敷に篭ってみたりする。
 4時頃には、薄暗くなり始める。が、その暗さの中に微妙な、曖昧としか言えない感覚が漂い始める。
 何か光の微粒子らしきものが、薄暮の中に幽かにだが明滅し始めるのである。襖の締め切らなかった透き間から、あるいは障子戸の白い紙を透かして、雪明りの洪水が密やかに染み込んでくるのだ。
 が、薄闇の中にいる自分には、まるで光が部屋の闇の中で生まれ、それが部屋から溢れ出して、外の世界を蒼く溺れさせていくような錯覚を覚えてしまうのである。
 自分の小さな心の中の、小さな、取るに足りない魂の光が、束の間、世界の主役になり、世界を光で埋め尽くしてしまう…。
 部屋が暗くなっていくのだけれど、しかし、にもかかわらず、光が命をひめやかに萌し始め、床の間の掛け軸や襖の模様を浮かび上がらせる。この不思議な矛盾の中に、何か神秘の萌芽を感じとっていたように、今にして思うのだ。
 夏近い頃の蛍の乱舞、そして冬の日の窓の雪。そのどちらもが、今の自分にはあまりに遠い。
 けれど、もしかしたら遠すぎて手が届かない世界になってしまったからこそ、懐かしく切ないのかもしれない。

                                 (写真以外は、02/03/06 作

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コメント


この唱歌――と現時点で言いきっていいかどうかが問題ですが――「螢の光」がたどった不思議な歴史を広い視野から詳述した本が書かれれば、と思います。我々の時代は「螢の光」=卒業式の歌でしたが、今では歌われないことも多いようです。そんなことより、明治の中期には海軍ではなんと「ロングサイン」とカタカナ書きの原題のままで通用する告別の歌だったことほとんどふれられることのないこの曲の一側面です。

・“Auld Lang Syne”については、
http://bambi.t.u-shizuoka-ken.ac.jp/~tsuruhas/collection/auld.htm
・稲垣千穎については、とりあえず;
http://www.geocities.jp/sybrma/254hotaru.aogebatoutoshi.html
・3,4番の歌詞についてのさまざまな意見については
http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/15731484.html

投稿: かぐら川 | 2010/02/04 23:08

かぐら川さん

なるほど、「蛍の光」を巡っては、調べるべきことが沢山、あるのですね。
ほんの表層をなぞったけれど、機会を設けて、教授していただいたサイトも参照し、もう少し、書いてみたいものです。

あるいは、誰かが既に研究し、本か論文になっているのかも。
これも、調べてみないと。

なお、拙稿に「蛍の光」とケルトとの関係を探ろうとした(半端で終わっている)「蛍光で浮ぶケルトと縄文か」があります:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2006/11/post_82b7.html

投稿: やいっち | 2010/02/05 20:44

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