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2010/02/09

月でウサギが餅を…から

 これまでの日記で、ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を読んでいると何度か触れたが、まあ、読了は、今月の二十日頃だろうと思われる。
 この大作にかかりきり状態だが、気分転換も必要ということで、昨日読了したマイルスを巡る本に続き、ちょっと毛色の変わった本を寝床の友として読み齧っている。
 それは、小生には初めての著者になるが、静岡県農業試験場研究員の蓮実香佑著『おとぎ話の生物学 森のキノコはなぜ水玉模様なのか?』 (PHP新書)である。
 ほとんど、この題名、特に副題と、表紙の絵に惹かれて手に取ったようなもの。

Isbn9784569691855

← 蓮実香佑著『おとぎ話の生物学 森のキノコはなぜ水玉模様なのか?』 (PHP新書)

おとぎ話や昔話に隠されたさまざまな謎。あっと驚く事実を生物学・植物学の視点から解き明かす刺激満点のサイエンス読み物」といった内容とのことで、小生、この手のサイエンス読み物が大好物なのである。

「おとぎ話の生物学  書籍  PHP研究所」なる頁には、目次が載っている。
 同好の士には、これらの目次のメニューだけで興味津々となるだろう。

 まだ本書の2章(ウサギはなぜカメに負けたのか?)までしか読んでいないのだが、その第2章に、「月にウサギさんがいて、餅を搗いているという物語」が扱われていた。
 この章を読んでいて、数年前、この手の話題を小生流に扱った雑文があったなと思い出された。
 それが、「月と星を巡る断章 2」なる拙稿である。
「01/06/02 」(六月一日の夜半過ぎ)に書いたもの。
 もう、数年前というのも苦しいかもしれない。
 ちょっと懐かしい小文なので、以下、ブログに載せておく。


月と星を巡る断章 2

 小生が初めて月に関心を抱いたのはいつのことだったろう。月にウサギさんがいて、餅を搗いているという物語をこの私も昔は信じていたのだろうか。
 あまり遊び心のない小生の家だったが、それでも小学校の頃には、一家でささやかな月見の宴を張った遠い想い出がある。手作りの団子などを皿に盛って、ゆっくり月を眺めたものだ。同じ頃には家の庭先の小川に蛍などが舞うものだから、農作業の合間だったか、それとも繁忙期も過ぎて一段落着いた頃だったか、籠を手に蛍狩りを姉達とやったものだった。
 恐らくは小学校の4、5年生の頃だったと思うが、小生は天体望遠鏡のキットを買ってもらい、それを組み立てて逸る心を胸一杯に早速、庭に出て望遠鏡を空に向けた。父や母や姉達も後ろにいて、そんな自分を微笑ましそうに眺めていた。
 私は望遠鏡を折りよく満月になっていた月に向けた。ほとんど真上に月があったように記憶している。
 月を天体望遠鏡で眺めた像は衝撃的なものだった。勿論、ウサギなどいるはずもなかったが、しかし、数々のクレーターや海を初め眩い月の姿が眼に痛いほどだった。
 それから小生が天文少年になるのは時間の問題に過ぎなかった。中学生になり、短い推理小説熱を経てSF小説のファンになっていたし、タイムライフ社の『惑星の話』『人間と宇宙の話』、少年科学文庫の『太陽の一族』、偕成社の日下実男著による『宇宙のふしぎ』、あかね書房の『原子力の世界』『宇宙はいきている 1』『宇宙はいきている 2』、教養文庫の中のペレリマン著による『おもしろい物理』などと当時の小生に読みうる物理や天文関係の本を読み漁ったのである。
 恐らくは当時の天文ファンなら、上記した本や会社のどれかは懐かしく思い起こされるのではなかろうか。
 そうしてそんな小生の天文熱を一層煽る日がやってきた。2010_0131071003tonai0017
 その前に66年の3月にはジェミニ8号と先に軌道に乗っていた標的とのドッキングに成功していた。小生は間違いなくその映像をテレビで観劇していたはずである。
 やがて、その日が来た。つまり69年7月20日にアポロ11号によってアームストロング船長とオルドリンとが人類初の月面着陸を行ったのである。アームストロング船長の「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という第一声は有名だし、きっと人類の歴史とともに語り継がれる言葉であるだろう。
 その後の宇宙への熱は小生の中では醒めないものの、小生はもっと内省的な方向に関心が向いていく。
 ところで、これまた多少は天文学や物理学に興味を持ち始めたなら、原子の世界へも関心を向けたに違いない。特に一般レベルでは素粒子論というのは全くの理解を超えた奇怪な世界だった。原子というのは、真中に核があり、その周りを電子が飛び回っている…。
 だとしたら、もしかしたら、その個々の電子だってミニ版の原子でないはずはない。きっとその電子の粒も微細な世界にまで分け入っていけば、真中に核状のものがあり、その周りをワンランク下の階層の微細電子が飛び回っている…。
 とするなら、一体、物質は何処まで微細なレベルまで分け入ることができるのか…。
 無論、その素人考えは全くの素人考えであって、まず、核の周りを電子が飛び回っているとしても、その電子の計算上は無限になりかねない運動エネルギーの源泉という謎自体が全く素人の念頭には浮かばないままに、所謂、悪無限的想像の輪を羽ばたかせているだけだったのだ。
 ただ、思うに、自分をどう贔屓目に見ても、そこに想像力の豊かさは感じられない。ウサギの餅搗きはともかく、月を巡って狂気にまで至るような想念の湧出など、小生には望むべくもなかったようだ。
 月がなければ夜は真っ暗闇の世界があるだけの世界。街灯は勿論のこと、自宅にあっても、夜は蝋燭の灯りだって勿体無くて、余程余裕のある家でないと灯すはずもなかった昔、夜の闇の深さはいかばかりだったろう。今の我々には想像だに出来ない深淵があったに違いない。
 晴れ渡った夜の空に月が浮かぶ。正に浮かんでいるとしか言いようのない在り方で月は天にましましたのである。
 月の晧晧と照る夜は、太陽には比べるべくもない明るさのはずなのに、しかし、当時の闇の深さを知る者には、月光の眩さは、あるいは太陽にも勝るものがあったのではなかろうか。
 森を切り開き、川の縁にへばり付くようにして暮らしていた昔の人は、道といえば草原に覆われかねない小道があるだけだっただろうし、多くは人跡未踏の森の繁みの小道、あるいは人の分け入った林であっても、そこにあるのは杣道くらいの、ホンの少しでも油断をすれば道を踏み外してしまうような道なき道だったに違いない。
 上田秋成の『雨月物語』を読まれたことがあるかもしれない。森は得体の知れない世界なのである。里から一歩離れただけで、そこには闇と魔と異郷の世界が何処までも広がっているのである。木々には謎の生き物が潜み、池には見知らぬ魚が迷い込んだ獲物を待っている。
 闇の深さがあるからこそ、人肌は恋しい。
 にもかかわらず、人は天を仰ぐ。闇夜を照らす月と無数の星々。前回も記したが、小生は農家の生れであり、小生の生れた頃は田畑が広がっていて、その中に集落風に家々が点在していた。小生が物心付く頃には、街灯も無論、整備されていたし、家々には夜遅くまで明かりが灯るようになっていた。
 しかし、それでも田舎は田舎だったのである。夜の底は今よりは遥かに深かったはずである。
 けれど、それでも降るような星の空、という光景の記憶は小生にない。まして無数の流れ星が幾重もの軌跡を描いて天を駆け抜けるという様子など里にあって見たことがあったろうか。2010_0131071003tonai0034
 大学生となったばかりの18の夏、友人に誘われて山々に抱かれるようにして静かに広がる有峰湖畔の宿で一夜を明かしたことがある。
 夏も終りだったろうか、時期外れで宿には他に客がいたようには思えなかった。
 ほろ酔い気分で宿の外に出ると、まさに零れ落ちんばかりの星屑の天に恵まれたのである。数え切れないほどの流れ星が走り、森の闇の深さと晧晧と照る月にも関わらず天の藍色の深さと、そして星々の煌き。
 明晰極まりない透明感とでもいうのか、深夜の空に神秘の感を覚えることはあった。しかし、何故か得体の知れないというような恐怖感の類いには全く襲われることはなかった。月の姿を見て、圧倒はされても、狂気の念の欠片さえ、味わうことはなかった。
 一体それは小生の心がそれほどに頑なで感性の鈍いものに過ぎなかったからであろうか。


               (01/06/02 作 但し、文中の画像は、先月末のもの)

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