「雪掻きあれこれ」という日記
過日、ブログに戴いたコメントで川端康成の『雪国』のことが話題になった。
というより、小生が話しの遡上に載せたと言うべきか。
偶然だろうが、その数日後、新聞で川端康成の『雪国』を一般読者の方がどう理解しているか、幾つかの感想が載せられていて、自分とは解釈が違い、興味深かった。
生憎、その記事を切り抜いておくのを忘れ、紹介できない。
← 先週は、こんな青空に恵まれたのだが。
自分がどのように川端康成の『雪国』を、あるいは主人公を理解しているか、過去の拙稿を探っていたら、必ずしも川端康成の『雪国』を話の焦点にした日記ではないのだが、懐かしい拙稿が検索の網にかかった。
それは、「雪掻きあれこれ」という日記。
まだ、東京在住で、その数年後に思いがけない形で帰郷を果たすことになるとは夢にも思わなかった頃の日記。
父も母も、老いてはいるが、家事やら家の内外の雑事をこなしていた、ほぼ最後の頃の日記でもある。
この日記を書いた年か翌年、母は急病で倒れ、家事一切からの引退を余儀なくされた。
その意味でも、今、読み返すと感懐深い日記なのだと痛感させられる。
(以上、10/02/05 記)
「雪掻きあれこれ」
今年もいつも通り帰省した。いつもと違うのは、年を取って自由席で立って帰ることが苦しくなり、昨年辺りから指定席を年末になる二週間も前から予め取るようになったことである。
つまり、指定席の切符を手にしての帰省としては二年目になるのである。12月の10日頃に近くの駅まで買いに行ったのだが、思い通りの日時というわけにはいかなかった。31日に帰郷し6日の上京と相成ってしまったのである。
こんなに長く正月を田舎で過ごすのは学生時代以来だ。
このことが、今日の雪掻きに繋がった。例年通り、4日頃には帰京していれば、5日の一気の積雪を見ることはなかったのである。4日の午後までは市街地には全くといっていいほど雪はなかった。年末に二度ほど30センチほど積もったらしいが、その名残が日中でも日の当たらない、屋根から落ちた雪が溜まったままの場所に、少々垣間見られるだけなのだった。
降り出したのは、昨日の昼ごろからである。が、積もりだしたのは、午後の3時過ぎからだった。積もりだすと、あっという間である。夜には10センチほどになった。しかし、それも夜半には一旦、雪も止み、予報が言うほどには降らなかったなと思いつつ夜半過ぎに寝入った。
起きたのは午前の11時だったか。正月はトーマス・マンの『魔の山』を四半世紀ぶりに読み返すつもりで、雑用の合間合間に読み進めていて、前夜も3時を回ってまで読んでいたのだ。それで起きるのも遅くなったのだ。
起きると、外が明るい。あれ? 予報の大雪とは話が違う、晴れてるじゃないかと窓を開けると、びっくりである。一面の銀世界、しかも、積雪が50センチ近くになっている。
ほんの一晩で、こんなにも世界が変わるなんて。
→ 明日にかけて、さらに数十センチの積雪があるとか。家が潰れちゃうよ。
こんな経験は、田舎に暮らしていた頃は当たり前のように経験していた。そう、昭和の40年代の後半くらいまではピーク時には最低でも1メートルは積もるのが当たり前だった。
それも毎日、少しずつというのではなく、日を置いてドカッという感じで降るのだ。降るときは容赦なくなのだ。午前中に一度、雪掻きをし、日中のまだ明るいうちにやり、どっぷりと暮れた頃にやり、寝る前にもう一度、念のためにとやる。
それでも、雪は降り続く。
昼行灯の自分だが、何故か雪掻きだけは好きだった。
屋根の雪(といっても、屋根の上に登っての雪掻きは、父の手伝いの形でしか許してくれなかった。だから庇から食み出る部分を竹竿で叩き落すのみ)、杉や椰子などの木立に積もった雪、生垣に巨大な綿帽子のようにしてスッポリ被さっている雪、無論、庭の表の道へ通じるための道や裏の納屋へ玄関口から向かうルートの確保など、最低の課題である。
帰京する日が一日ずれたばっかりに、昔の豪雪の日の記憶が蘇るような体験をすることができたのだ。蘇らないのは父母の積み重ねた年齢であり、怠けきった自分の体と心だ。あの、豪雪が当たり前だった日々、遠い将来の自分がこんな情けない人間になるとは、到底思わなかった。いくらなんでも、これじゃひどすぎると思う。
が、これが現実なのだ。歳月の堆積にただ安易に流された当然の結果なのである。
一日、上京がずれることが、このような体験となったのなら、きっと天の配剤、報いなのだろうと思ったり。
昨年の正月も幾度か雪掻きをしたが、その翌日、晴れてしまって、雪が呆気ないほどにペシャッと溶けてしまったものだった。前日の汗びっしょりの苦労は何だったのかと思わせられるのだ。でも、これが雪国に住むものの定めなのだ。
一日、待てば、もしかして晴れ上がり、屋根の雪も、道路の雪も一気に溶かし去ってくれるかもしれない。でも、そうでないかもしれないのだし、仮に明日、予報で晴れるのだと分かっていても、今、とりあえず人が通るための道を確保する必要がある限りは、せっせと雪を掻き、汗を掻き、湯気を吹いて、黙々と労苦を重ねる以外にないのだ。
晴れれば消え去る意味のない労苦。なんとか頑張っても、降り止むことのない空。
好きな小説の一つに川端康成の『雪国』がある。若い頃、幾度、読み直したかしれない。あの夢のような、象徴の海の底の真珠のような小説。
今、読み直したならどんな感想を持つだろうか。あの遠い日の自分は雪をものともしない若さがあった。東京への憧れがあった。田舎を去りたいと願っていた。そして都会へ出るという最初の志だけは果たした。あの頃は、自分には『雪国』は、主人公の島村に共感しつつ読めていた。
← 根雪も溶けて、ホッと一息ついていた、近所の田圃。先週の光景。今は深く積もった雪の下で春を待つ。
たまさかに雪国に赴き、その地の芸者に出会う。それは『伊豆の踊り子』と同じ設定だ。あくまで主人公は(語り手は)旅人なのだ。当時の自分も旅人として芸者や芸人を想い、一抹の夢を追うことが出来た。
雪は美しい。遠くで眺めている限りは。芸者も芸人も、たまに遊ぶには楽しい。遊び相手として恥の掻き捨てをするだけなら。
でも、根雪の中で暮らす人は違う感覚を持っている。雪が嫌だからと、芸者であることが辛いからと逃げ去るわけにはいかない。旅人が去ったガランとした部屋。人気のない部屋のなんと寂しく冷たいことか。芯まで冷える。そして雪は降り続くのだ。
こんな感懐を抱く自分も明日は上京する。都会では名の知れない片隅で人知れず日々を送り、田舎では馴染む人もいなくなって根無し草。もう、旅人でさえない。共に歩く人も、ただの一人も居ない。明日は茫漠たる闇である。深い雪の山の道なき道を歩く。
闇の道は、雪の道より始末に終えない。そもそも道も雪もないのだ。掻こうにも掻きようがないのだ。空無の細い筋を辿るがごとく、しかし辿りようもなく歩き続けるのである。
さて、こんな感懐を抱くことが出来るというのも、雪のお蔭だし、正月のお蔭なのである。その意味では雪に感謝しないといけないのかもしれない。
(画像以外は、03/01/05 作)
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コメント
弥一さんおはようございます。東京もここのところ猛烈な寒波です。出掛けずに布団でぬくぬくしていたい等というblog記事を見ますが、何を言ってるか、夜を徹して生活基盤を守っておられる方がいるからこそ、布団でぬくぬく出来るので、僕たちの生活はそういう無名の人達の努力によって守られているとの感を強くします。けど梅の便りも聞こえてきました。季節は確実に移ります。ところできたぐの雪って積もるけど軽いそうですね。僕は自転車か゛パンクしまして、いつも利用してる自転車の店が病気で閉まっているので難儀しました。都心はともかく母のホームのあるところなんて電車もバスもない、自転車とバイクが唯一の足です。しかしタバコくわえながら自転車乗る人の多いことー弥一さんタバコはやりますか?
投稿: oki | 2010/02/09 07:35
okiさん
寒暖の差が激しいですね。
一昨日までは寒波で昨日はやたら暖かくて(東京は暑いくらい?)、今日は、寒い!
この変化の激しさが春の先触れなのでしょうか。
自転車がパンクしたとか。生活の足でしょうから大変でしたね。
小生が、昨年の秋、新聞配達のバイクがパンクして、途方に暮れました。
北国の雪が軽いってのは、やや注釈が要りますね。
それは(主に)気温などによります。
寒いときの雪は、雪は氷ですから、冷たくて、一見するとサラサラしているようであり、積もっても、フワッとした感じになる。
なので、降り積もった当座は軽く思われるし、実際、軽いのです。
気温が氷点下前後だと、湿ったような雪が降りますから(地上に降る段階ではやや溶けつつあるので)、雪質がベタッとしており、重く感じられるわけです。
粉雪とか、軽めの雪が降っているときは、寒い! ってわけです。
富山は東北や、まして北海道に比べると寒さは極端ではないので、例年だとやや湿っぽい雪が降る。
が、今年に限っては寒波が厳しく、軽いような、粉雪が舞いました。
>タバコくわえながら自転車乗る人の多い
要するに、喫煙しながら歩行したりバイクに乗ったり、車を運転したり、寝タバコしたりする人が多いってことでしょう。
車から灰皿の吸殻をドッと捨てるのを見かけることがあるけど、あれが喫煙者のマナーの典型なのでしょう。
小生は、大学を卒業した際に、記念に止めました。
止めて以来、三十年以上になりますが、吸ったのは二本だけです。
投稿: やいっち | 2010/02/10 16:26