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2010/02/22

我が身の運動の観察と我が身への感謝 ? !

 新聞配達というアルバイトに携わっている。
 当然、日々、運動している。
 冬など、寒いから汗を掻くことはあまりない…はずなのだが、あにはからんや、ちょっと油断すると、体が火照り、汗が滲んでくる(のを体感する)。

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← 今日(21日)は晴れ。日向の雪は根雪も含め、ほとんど溶けた。しかし、一歩、日陰になると、この通り。工夫しない限り、一ヶ月は溶けないかもしれない。いっそのこと、夏場まで残せば、天然の冷蔵庫になるのだが、そうもいかない。

 汗を掻くと、一瞬にして冷たくなって、それが体温を奪い、下手すると風邪を引きそうなので、体が火照るまでは動くが、汗は滲まないよう、歩調を緩める。
 雪掻きも、やり始めるとつい夢中に(ムキに)なってしまい、三十分どころか、十分もしないうちに体がカッカしてきて、汗を流してしまう。
 そのあと、シャワーでも浴びれるのならいいが、我が家にそんな立派な設備はない(正確に言うと、あるのだが、故障している。修理するカネがないのだ)。
 衣類だって汗で濡れて洗濯の必要が生じる。
 日に数回も雪掻きで洗濯物が出るなんて、許しがたい。
 なので、涙を呑んで(?)、その都度、三十分以内で雪掻き作業を終える。

 とにかく、怠惰で怠慢な小生だが、体は(仕方なく)動かしている。

 ふと、数年前、運動に付いて駄文を綴ったことがあったと思い出した!

 拙稿への予備的知識的にメモしておくと、その頃は、タクシー稼業に携わっており、一人暮らしだったこともあり、仕事を終えると、家ではひたすら寝たきりの生活を送っていたのだった…。


我が身の運動の観察と我が身への感謝

 小生は、体型からはちょっと想像できないだろうが、これでも毎日、欠かさず運動している。
 間違いなく休みなく運動していると思われるのは、心臓である。小生が生きているということは、時折しか運動状況を確認してないとしても、一日のうちほぼ24時間近くは活動しているものと思っていい。
 そう、極たまにだが、気になって胸に手をやる…、と、動いていない! なんて、驚いたりすることもあるが、それは右の胸に手をやったからである。ちゃんと左の然るべき辺りに手をやると、手の平にビクン、ドクンと、鼓動の遠い響きを感じることができる。
 小生が特に運動しろよと言わなくても、ちゃんと日々運動する心臓は偉い奴だと思う。誰にも、小生自身にさえ、その存在を大概は忘れられているというのに、健気な奴だと思う。尊敬する。
 ただ、過日、ちょっとじっくり心臓の辺りに手をやって、我が心臓の奴の独り言(多分、独り言だと思う。それとも誰かとお喋りしていたのだろうか?)を聞いてみた。
 すると、奴が言うには、
「俺の主人気取りの奴はよ、階段も登らなきゃ、箸より重たいものは持たないし、もう、こちとら楽で楽で、居心地がいいったらねえぜ」だって。
 すこぶるご機嫌が宜しいようで、慶賀に耐えない。今後も、奴のご機嫌を損ねないよう、我が身の全体的な姿まるごとでの移動は、極力避けて、平穏無事な日々を送るよう努める所存である。

 それから肺とか世間で呼ばれるところの図体のでかい奴は、小生にはよく分からない。というか、風邪などを引くと、さすがに小生も奴の存在に気が付く。息が楽にできるというのは、なんとありがたいことなのか。
 そういえば、つい先日のこと、「そうだ、奴に新鮮な空気をたっぷり恵んでやろう」と思ったが、やりつけないことはするものではない。
 その日は、雪の降った朝だった。東京ということで、さすがに積雪は見なかったが、路面の凍結がニュースになる寒い朝だったのだ。そんな日に思いっきり息を口から吸い込んだからたまらない。肺の奴が痛い! と悲鳴を上げやがった。「普段、手を抜いた運動で誤魔化しているからだ!」と言ってやりたかったが、奴の主人は我輩だということに気付き、自重した。だから、その後も体全体での移動に関わる運動も自重している。
 ひたすら穏便に、無事これ名馬と心得てなるべく余計な運動はしないよう、外出も控えるよう努めている。

 横隔膜の下に下がると小生には、尚更、不透明な世界に飛び込んでしまうことになる。動いているのかどうか、聞いてみたいが、いつも、耳にはとても聞き取れない低い声というか音で唸るばかりで、何を言っているのかさっぱり分からないのである。猛獣でも寝そべって鼾を掻いているような感じさえする。
 勿論、面と向って内臓や腸たちにそんな正直な印象を述べるはずもない。それに、幾度か試みたことがあるのだが、ま、小生がややまろやかな体型をしているせいもあるのかもしれないが、お腹に面と向うように体を折り曲げるのは困難…、というより不可能だと感じた。やはり、手の平などを静かにお腹の上に置いて、撫でるような擦るような抓るような(おっと最後のはナシだよ)、そんな優しさを振舞うのがせいぜいなのである。
 ま、二日に一度以上は、然るべき場所から然るべき香ばしいものが退出なさるので、察するところ日々、休み休みだろうとは思うが運動しているに違いないと確信している。

 そうそう、忘れてはならないのが、胃であろう。これは、もう、日に何度か小生におねだりする。シカトしていると、仕舞いには中身が空になったと強く主張する。で、なんだかだと詰め込んでやると、しばらくはゴニョゴニョ蠢くような感じを覚えるが、そのうち、静かになる。ずっと、沈黙を保っているようである。 どうやら、一日を数時間の活動だけで済ます、要領のいい奴のようだ。

 お腹や腰から下に二本の足が伸びているが、これは怠け者であることは断言できる。動くことなど、一日のうちで何分あることか。ひたすら椅子の上、ベッドの上、床の上に横たわりたがる。外見から判断する限り、小生の体の上で一番の無精者なのだ。
 それに比べ、股間の辺りにニョキンと、あるいはブランと顔を出すような隠しているようなそれは、なんと言うか、気紛れ者である。やたらと激しい活動に従事するかと思えば、寒い外では思いっきり縮こまって股間の狭く暗い空間で従者たる二つの金の玉たちと寄り添おうとする。愛いな奴である。

 さて、我が身のうちで一番活動しているのは、目ではなかろうか。少なくとも起きている間は始終動いていることが分かる。とにかく眼前のものが(最近は幾分、朧になったがそれでも)それなりに見えているということは、目が動いてという証拠だと思うしかない。
 ただ、眼前にあるものをちゃんと見ているかというと、例えば、本などを読んでも頭にはほとんど入らないことから察すると、実はかなりいい加減な奴なのかもしれない。見ている振りをしているだけなのではないか…、そんな疑心暗鬼に小生はこれまでずっと付き纏われてきた。

 他言は恥ずかしいのでしないけれど、その見かけは働き者のようでいて、実はサボりの名人であるのではという疑惑が晴れそうにないのである。
 でも、とにかく動いているらしいという徴候がある以上、こちらとしてはなかなか文句が言えない。下手に文句を言って不貞腐れたりしたら、困るのは小生なのだ。
 弱みを握られているのである。 
 そういえば、目の前に綺麗な女性が横切ったりすると、まして胸元の白い胸が覗けたり、スカートの裾でも翻ったりでもすると、目は血走ったりする。
 この事実からすると、少なくとも折に触れては、目は健気に活動しているようである。
 納得するしかないのだろう。

 さてさて、残るのは小生の頭である。
 噂によると(少なくとも文献によると)頭はほぼ24時間、絶え間なく活動しているとのことである。
 本当? と聞き返したくなるが、学問的には、そして通常はそうだというのだから、小生は敢えて反論はしない。我輩の場合のみ例外だと自分で認めるのも癪に障る。

 小生が眠っている間も実は脳は動いているのだと、自信タップリに語られると、そうなのか…と、反論もしないでスゴスゴと退くばかりである。
 世間にどんなに怠慢で無能な奴だと思われていても、実際にそうであっても、俺は脳の奥の部分で思慮深く立ち回っている。ぶよん、たわん、という響きしか頭をたたいても聞えないとしても、それがどうした、などと脳みそは開き直るばかりである。
 世間の噂や評判など、屁でもないと、余計に脳の奴はふんぞり返るばかりでなのである。
 小生としては、我が脳は我が身のうちで一番、怠慢なんじゃないかといつか問い詰めたいのだが、うっかり聞いて、実はそうだ! なんて答えられでもしたら、薮蛇である。だから、脳味噌はとにかく動いているということにしておくのだ。

 ということで、不満や疑惑なしとしないとしても、我が身は総体としてみる限り、よくやっている、運動していると評価していいような気がする。
 いずれにしても、なんといっても、我輩にはただ一つの掛け替えのない身なのだから、これからも、確執のないよう、そして下手に総体的な形での激しい運動はしないようにして、我が身と平温に共存していきたいと思うのである。

                            (03/02/03 作)

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