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2010/02/24

青梅マラソンの思い出(後篇)

 富山(北陸)にも昨日、春一番が吹いた。今日も晴れて暖かい。
 なので、今日は自転車で外回り。
 念のため手袋を嵌めて乗ったが、その手袋がちょっとうざく感じる、そんな陽気。
 久しぶりに一時間余り、乗り回したので、普段、使わない筋肉を使ったからだろうか、帰宅したらグッタリ。

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← テレビドラマ「不毛地帯」(山崎豊子の同名の長編小説が原作)のロケ地(建物)として使われた富山市のほぼ中心にある「富山電気ビルデイング(通称:電気ビル)」。昨年12月3日の「不毛地帯」でこのビルが登場したらしいが、生憎小生の就寝時間なので、見逃してしまった。「「不毛地帯」のロケ地 富山電気ビルが人気…富山 ニュース 旅ゅ~ん! YOMIURI ONLINE(読売新聞)」にも書いてあるように、一時は、「一日約400~500件だったホームページ閲覧数は、現在約2万件に急増。観光目的の来館者も増え、「撮影に使われたのはどの部屋か?」などの問い合わせも寄せられている」状況だったとか。車で、自転車で、高校生の頃は路面電車で、この傍をよく通ったし、通る。今日も。

 この程度の運動で疲労感を覚える自分。それに引き替え、オリンピックの選手たちは…って、比べるほうが僭越だが。
 さて、今日は、昨日に引き続きということで、「青梅マラソンの思い出」の後篇をアップする。
 出場した当時の日記を見つけて、ドキュメントタッチで描きたかったのだが、悲しいかな見つからず、メモ書き風になってしまった。
 走っている最中の身心の揺らめきを描かずしては、具のない味噌汁のような、物足りなさを感じるが、ま、いつか、ホントの本編を書けることを期しつつ、本稿を供する。

                            (以上、10/02/23 記)

青梅マラソンの思い出(後篇)

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← 1987年の青梅マラソン大会での小生の雄姿。真ん中やや右側、青のトランクスで走るのが小生。大会の一ヶ月前には両膝共に歩くのも辛いほどに故障していた。この時に使ったゼッケンなどはついこの間まであったはずなのだが…。

 二週間前には、今度は左ひざが痛くなってきて、その痛みは我慢ならないまでのものになった。
 歩くのさえ、辛い。

 当時、会社(事務所)は倉庫の中三階にあったのだが、普通のビルで言えば、実質五階に相当する。
 しかも、小生は現場組(ガテン系)で、働く場である倉庫はさらに外階段を二階分、登らないといけない。
 痛くて涙が出そうだった。
 平坦な場なら、そーとなら歩けるが、上下動に関わる運動が辛い。
 通勤は、オートバイを使っていたが、信号待ちやギアを入れる際に、足を使うのが辛い。

 そのうち、歩くこと自体、足を引きずるような動きになってしまった。
青梅マラソン」の当日は、駅の階段の上り下りが辛くて耐えられそうにないので、電車やバスを使うか、バイクを使うか、散々迷ったものである。

 要するに、「青梅マラソン」のスタートラインに立った時点で出場を辞退すべき足(膝)の状態だったのである。

 ジョギングどころか、歩くことさえ難儀な自分。
 しかし、出場の動機が失恋(恋の断念)にある以上は、意地でも走ると決めていた。
 もう、体が壊れてもいいくらいの悲愴な覚悟だった。
 
 走っている最中の苦しさは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。
 普通なら30キロのコースのある程度を走って覚える体(膝)の痛みをスタートの時点で覚えているのだから、話にならない。
 走り出して十数メートルも走った時点でもう、リタイアの文字が脳裏を過(よ)ぎっていたのだ。

 どうやって30キロを走ったのか、まるで覚えていない。 
 ひたすら長い、先が長い、遠い、苦しい、でも走るのを(歩くのを)止めるのだけは嫌だ…。
(途中の、一番、苦しい部分の記述を、叙述不能として割愛する。)
 それでも、いつかは、ゴールが見えてきた。
 あと一キロ、あと数百メートル、あと……。

 今度は、時計が、時間が気にかかってくる。
 30キロコースについては、3時間半以内で走りきらないと、走った(完走した)という記録に残らないのである。
 ゴールが見えた時点で、小生はギリギリだった。
 既にほとんど歩く…というより、足を引きずるような状態だった自分を叱咤し、鞭打ち、足を一歩一歩、動かした。 沿道からは、「頑張れ!」の声が聞こえてくる。
 恋を諦めるのだ、自分の根性を叩きなおすのだ…。

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→ 30キロを規定時間内に走りきった直後の画像。多分、業者が撮ったもの。依頼すれば拡大写真を、というわけだろう。こうした業者がいなかったら、一人でバイクで会場へ向かい、(沿道の観客はともかく)誰の応援もなく走り、歩くのもやっとの足でバイクを駆って帰途に着いた小生なのだから自分が走った写真などあるはずもない。

 そうして、やっと、タイムリミットの3時間半にあと1分か2分という、まさにギリギリのところで、完走したのだった。
 誰一人、知る人もいない、孤独な走り。 
 褒める人も、応援する人も、苦しみ、あるいは走りきった喜びを共感する人もいない淋しいばかりの走り。
 帰路も、それは悲惨なものだった。
 駅を渡る階段を上り下りする辛さたるや…。

関連拙稿:
マラソンの思い出…恋」(「東京国際女子マラソン…感動のラストシーン」)
箱根駅伝…観戦記?

                                   (10/02/22 作)

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