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2010/02/28

「瓜南直子twitter展覧会」へ!

Twitter(ツイッター)」にて見つけた強烈な個性を感じさせる画家・瓜南直子(かなん・なおこ)。

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← 雨上がりの今日のお昼、玄関の戸を開けたら、庭先に白っぽいものが。梅の木が開花! 思わず庭に出て撮影。開花したのも多いけど、芽吹きつつある花の可憐さに見惚れてしまった。今年も梅酒ができるかも。

 思わず、我がブログにて掲載したいとお願いしたところ、快諾していただけました。
 瓜南ワールドを堪能してください。


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2010/02/27

誕生日に寄せて

 別窓に掲げる小文は、すでにホームページなどで公表済みのもの。
 ある方の誕生日に寄せて書きおろしたものだけど、26日の自分に対して寄せるつもりで読み返してみる。

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 実際、ある方の誕生日に寄せて書いているつもりが、途中から次第に<私>という主語に切り替わっている。
 虚構?
 でも、ギリギリ、随想の地平に踏みとどまっているつもり…なのである。

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2010/02/26

太陽は爆発を繰り返すダイナミックな天体!

 宇宙論も、細胞の科学も、医学も、そして地球や太陽の科学も近年、急展開を見せている。
 ガキの頃、太陽や地球についての科学書(啓蒙書、入門書)の類いをポチポチと読んできたが、折々、松井孝典氏の本を読んだりはしても、太陽を巡る本はあまり読んでこなかった。

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← 今朝未明、バイトの最中、踏み切りで貨物列車の通過を待つ。繋がれる貨物車両の少なさ!

 あくまで素養のない小生の中のイメージだが、子供の頃や学生の頃、教科書や啓蒙書に書いてある太陽像と、それほど理解の進化が見られたようには感じられなかったのだ。

 しかし、近年は違う!

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2010/02/25

「1984年」のこと

[最初に断っておくが、「1984」のことであり、「1Q84」と混同しないように。…読み方としては、両者とも、「ichi-kew-hachi-yon」と読めなくもないが。尤も、著者の村上春樹としては、「執筆の動機として、ジョージ・オーウェルの未来小説『1984年』を土台に、近い過去の小説を書きたいと以前から思っていた」らしいし、敢えて<誤読>させることを狙っていると言えなくもない。ちなみに、小生自身は最初にこの題名を目にした時、てっきり「アイキュー84」と読むのだと思った。さすがは村上春樹だ、なんて。その後しばらくして、未来小説『1984年』を土台にしていると知って、ちょっとガッカリしたものだった。何にガッカリしたのか、うまく説明できないけれど。]

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→ 富山市内某所のビルにて。窓越しに宵闇迫る光景を撮る。万感の思いを籠め。

 1984(年)といって思い浮かべること、連想することは何だろうか。
 まずは、やはり、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』だろうか。
 原著は1949年の刊行らしいが、日本語訳は、最初は1950年代早々に出ているが、小生が読んだのは、1972年に刊行となった、新庄哲夫訳『1984年』(早川書房 ハヤカワ文庫〉で、学生時代のことだった。
 記憶は曖昧だが、1975年前後に読んだ。
 既に84年にもう十年弱となっていたが、それでも、二十歳前後の自分には十分過ぎるほど<未来>のことで、一定のリアリティを持っていた。

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2010/02/24

青梅マラソンの思い出(後篇)

 富山(北陸)にも昨日、春一番が吹いた。今日も晴れて暖かい。
 なので、今日は自転車で外回り。
 念のため手袋を嵌めて乗ったが、その手袋がちょっとうざく感じる、そんな陽気。
 久しぶりに一時間余り、乗り回したので、普段、使わない筋肉を使ったからだろうか、帰宅したらグッタリ。

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← テレビドラマ「不毛地帯」(山崎豊子の同名の長編小説が原作)のロケ地(建物)として使われた富山市のほぼ中心にある「富山電気ビルデイング(通称:電気ビル)」。昨年12月3日の「不毛地帯」でこのビルが登場したらしいが、生憎小生の就寝時間なので、見逃してしまった。「「不毛地帯」のロケ地 富山電気ビルが人気…富山 ニュース 旅ゅ~ん! YOMIURI ONLINE(読売新聞)」にも書いてあるように、一時は、「一日約400~500件だったホームページ閲覧数は、現在約2万件に急増。観光目的の来館者も増え、「撮影に使われたのはどの部屋か?」などの問い合わせも寄せられている」状況だったとか。車で、自転車で、高校生の頃は路面電車で、この傍をよく通ったし、通る。今日も。

 この程度の運動で疲労感を覚える自分。それに引き替え、オリンピックの選手たちは…って、比べるほうが僭越だが。
 さて、今日は、昨日に引き続きということで、「青梅マラソンの思い出」の後篇をアップする。
 出場した当時の日記を見つけて、ドキュメントタッチで描きたかったのだが、悲しいかな見つからず、メモ書き風になってしまった。
 走っている最中の身心の揺らめきを描かずしては、具のない味噌汁のような、物足りなさを感じるが、ま、いつか、ホントの本編を書けることを期しつつ、本稿を供する。

                            (以上、10/02/23 記)

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2010/02/23

青梅マラソンの思い出(前篇)

 ひょんなことから偶然、知ったのだが、一昨日の日曜日、「青梅マラソン」があったという。
 例年なら、それなりに話題になり、テレビでもニュースとして幾分なりとも採り上げられるはず。

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→ 富山市内でも有名な通り。景観に神経が払われている。後篇では秘蔵(?)の写真を載せる。

 しかし、さすがに今年は冬季オリンピックが酣(たけなわ)で、少なくとも小生が知る限り、テレビでもラジオでも全く話題にならなかった。
 仕方ない…のかもしれない。

 探し方がぞんざいだったのか、新聞でも見つけられなかった(載っていたのかもしれない)。
 主宰が報知新聞社なので、スポーツ報知には載っていたのだろうが、確認はしていない。

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2010/02/22

我が身の運動の観察と我が身への感謝 ? !

 新聞配達というアルバイトに携わっている。
 当然、日々、運動している。
 冬など、寒いから汗を掻くことはあまりない…はずなのだが、あにはからんや、ちょっと油断すると、体が火照り、汗が滲んでくる(のを体感する)。

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← 今日(21日)は晴れ。日向の雪は根雪も含め、ほとんど溶けた。しかし、一歩、日陰になると、この通り。工夫しない限り、一ヶ月は溶けないかもしれない。いっそのこと、夏場まで残せば、天然の冷蔵庫になるのだが、そうもいかない。

 汗を掻くと、一瞬にして冷たくなって、それが体温を奪い、下手すると風邪を引きそうなので、体が火照るまでは動くが、汗は滲まないよう、歩調を緩める。
 雪掻きも、やり始めるとつい夢中に(ムキに)なってしまい、三十分どころか、十分もしないうちに体がカッカしてきて、汗を流してしまう。
 そのあと、シャワーでも浴びれるのならいいが、我が家にそんな立派な設備はない(正確に言うと、あるのだが、故障している。修理するカネがないのだ)。
 衣類だって汗で濡れて洗濯の必要が生じる。
 日に数回も雪掻きで洗濯物が出るなんて、許しがたい。
 なので、涙を呑んで(?)、その都度、三十分以内で雪掻き作業を終える。

 とにかく、怠惰で怠慢な小生だが、体は(仕方なく)動かしている。

 ふと、数年前、運動に付いて駄文を綴ったことがあったと思い出した!

 拙稿への予備的知識的にメモしておくと、その頃は、タクシー稼業に携わっており、一人暮らしだったこともあり、仕事を終えると、家ではひたすら寝たきりの生活を送っていたのだった…。


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2010/02/21

シャベル? それともスコップ?

 一昨年の二月末に帰郷して、二度目の越冬。
 昨季の冬も除雪はしたが、それほど雪掻きに苦労したという印象はない。

 今季の冬も気象庁の長期予報どおりなら暖冬で、雪掻き(除雪)も、大したことはないはずだった。
 それなのに、ああ、それなのに、これほど日々、雪掻きで悩まされるとは。

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→ スコップの柄が折れてしまった。激しい作業を物語る。寂びたスコップを納屋から持ち出してきた。赤いのはプラスチック製のスコップ。新雪の場合は、シャベルの大きいほうが作業効率がいい。が、ちょっとでも雪が硬くなると(根雪とか)、もう、使い物にならない。左端の黒っぽいのは、車の屋根やウインドーの雪を払うブラシ。どれほどお世話になったことか。

 たださえ、家事やら介助(介護)やらで頭がてんぱっているのに、なんてぼやいてみても、誰も助けてくれない。
 敷地だけは広く、建坪だってそこそこにあるが、庭や畑が一人でカバーするには広すぎる。
 もとより畑や庭の大半は、もう、とうに除雪は諦めていて、雪掻き作業に勤しむのは、車や人のメインの出入り口となっている、表の庭、それもその一部である。

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2010/02/20

我が歌心は何処へ

 師走の半ば頃まではバイクで仕事していたが、雪には敵わず、仲間のひそみに倣って(?)車で仕事している。
 降雪もだが、凍結の心配がなくなるまでは、車を使うつもりでいる。

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← オオカミ王ロボ (多分、白土三平画による漫画の一場面を小学校卒業前後の頃に模写したもの。) 「シートン著の『オオカミ王 ロボ』を読み直す(後篇)」をアップしました。

 車で仕事するデメリットは数々ある(燃料代は自己負担だし、何より時間が余計に掛かる)。
 でも、メリットもある。
 せっかく車で仕事しているのだから途切れ途切れの聴取になるけれど、ラジオ放送を楽しんでいる。
 ふと、タクシー稼業をしていた頃をちょっと思い出したりして。

 DJらのお喋りもいいが、やはり音楽である。
 日々、今時の歌、懐メロ、内外の曲と、楽しめるのがいい。どうにも、趣味に合わない時間帯は、図書館で借りてきたCDを楽しむ。
 そんなことは、バイクではちょっと難しい。

 今朝未明までの仕事の最中、偶然だろうか、作曲を仕事とする人の話題が重なった。
 曲を作る、メロディが浮かぶ…、そんな人が居る!

 そんな人たちのことを畏敬の念で思っていたら、今更ながら、歌心とか、もっと言うと、曲を作る心をつい、思わずに居られなかった。
 自分には一番、縁遠い世界と思いつつ。

 ふと、数年前にそんなやや苦い思いを綴った小文があったことを思い出した。
 一部、編集の上、ブログに載せる。


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2010/02/19

シートン著『オオカミ王 ロボ』の読後感のほろ苦さ

 ひょんなことから、とても懐かしい物語、シートン著の『オオカミ王 ロボ』を読む機会を得た。
 昨夜半近くに読了した、ジョージ・エリオット著の『ミドルマーチ』を借り出し期間内に読みきれず、延長の手続きに行った際、隣りの児童図書の新入荷本のコーナーに本書を見い出したのだ。

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→ 我が家の内庭の松の木。前の寒波が過ぎ去って、雪もすっかり溶け、ホッとしている。が、「雨水」のはずの明日はまた次の寒波がやって来る。枝が何本も折れて、疲弊しきっている。ゴメンね。まるでお世話、してないものね

 手続きが順番待ちで手間取ったので、ぶらりと覗きに行ったら、そこにこの本があった、というわけである。

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2010/02/18

雪の降る町で

 別に我輩如きがエコ論議に口を出すつもりもないが、野次馬根性だけはあるので、関連の話題にはつい目が行ってしまう(らしい)。
 過日、図書館へ返却のため、寄った。

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← 17日未明、仕事の途中、ちょっと足を止めて、雪の降る郊外の町の光景を撮ってみた。


 今、ジョージ・エリオットの大著『ミドルマーチ』を読んでいる最中で、ほとんどかかりきりなので、他の本を読む余裕などない。
 なので借りるつもりはなかった。

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2010/02/17

今日は「天使の囁きの日」

2月17日 今日は何の日~毎日が記念日~」を覗いたら、冒頭に、「天使の囁きの日」とある。
(念のために冒頭に注記しておくが、スリー・ディグリーズが歌ってヒットさせた「天使のささやき」とは、ここでは無関係である。似て非なる言葉に、「天使の分け前」がある。これは以前、我がブログでも扱ったことがあった。)

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天使の囁きの日」は、「北海道幌加内町の「天使の囁きを聴く会」が1994(平成6)年に制定」したもので、「天使の囁きとは、空気中の水蒸気が凍ってできるダイヤモンドダストのこと」だとか。

 今日(2月17日)を「天使の囁きの日」に決めた経緯(いきさつ)は、以下の通り:

 1978(昭和53)年、幌加内町母子里の北大演習林で氷点下41.2℃という最低気温が記録された。
 しかし、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、1902(明治35)年1月25日に旭川市で記録された氷点下41.0℃が公式の日本最低気温となっている。
 これをプラスイメージに変えようと、町内の若者グループが中心となり、この日ダイヤモンドダストの観察等厳冬の一夜を体験する「天使の囁きを聴く集い」を1987(昭和62)年から開催している。

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2010/02/16

ツィンタレラ・ディ・ルナ♪

 ツイッター(Twitter)なるものに、ちょっと嵌まりつつある。
 その実態や可能性については、使い方を含め、依然としてよく分からないままなのだが。
 とにかく、呟きだったり、断片的だったりするとしても、最先端の情報が犇(ひしめ)いている。
 日本に限っても、首相を含め、小生のような一般人も含め、いろんな方たちが、呟いたり、今の気持ちや情報を発信している。
 その呟きにコメントを寄せることもできる(逆も真ナリ)。
 有名人や忙しい人だと、寄せられるコメントも多く、目を通してもらえるかどうか分からないが、読まれる可能性は決して低くはない。
 情報が独り歩きする可能性もないわけではない。
 その意味で諸刃の刃なのは、どんな媒体とも違いがあるわけでなく、その危うさを極大化している情報媒体だと思っていいのだろう。
 とにかく、ツイッターしていると、同時平行して、実に多くの人が悲喜こもごもの日常の断面を見せてくれていて、いろんな人が錯綜し、あるいは無縁なままに、現に今、生きている、活動していると実感させられるのだ。

 
 余談だが、「マイルス・デイヴィスの絵画へ(後篇)」をアップしました。

 蛇足としての余談だが、ツイッターの歌を発見。
 ザ・ピーナッツが歌っていた。「ツィンタレラ・ディ・ルナ♪」!
(正しくは、「ティンタレラ・ディ・ルナ」(『月影のナポリ』)!)

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2010/02/15

たまには遠回りして参るす

 過日、小川隆夫/平野啓一郎【著】『マイルス・デイヴィスとは誰か―「ジャズの帝王」を巡る21人』(平凡社新書)を読んだ

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← 数日前、母のお見舞い(食事の介助)の帰り、ちょっと遠回りして、親水公園(富山県富岩運河環水公園)の脇を通ってみた(この公園については、「お散歩 ~富岩運河環水公園~ - そらいろカフェ - 」の写真が素敵)。夜はライトアップされたりして素敵なのだが、夜の外出は侭ならず、テレビなどで観るだけ。ここには日比谷の野音にも負けない、立派な野外劇場もある。

「マイルス・デイヴィスは、常に新しいジャズを創造し、同時に多くのミュージシャンを育てた、まさに“ワン・アンド・オンリー”の存在であ」り、「パーカー、コルトレーン、ハンコック、ジミ・ヘンドリックス、マイケル・ジャクソンら、21人から迫る」ことで、「「帝王」の真実」」を浮かび上がらせようという本。


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2010/02/14

これが雪国なのだ !!

 小生が富山に帰郷したのは、一昨年の二月末である。
 よって帰郷して二度目の冬を迎えていることになる。
 さすがに二年目の冬となると、雪の中の外出にも慣れた。

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↑ スーパーで買物を終え、店を出ようとしたら、目の前に二羽の小鳥が。夫婦?

 徒歩もだが、自転車で、あるいは車で(まだ、帰郷してからは電車やバスでの外出の機会を持っていない)。
 帰郷して二度目の冬だが、(やや)本格的な冬は今季が初めてと言える。
 昨季の冬は、長期予報どおりの暖冬で、積雪も少なかったし、雪の中の車での外出の機会もそれほどなかった。
 その点、今季は、未明の雪の中のアルバイトはもとよりだが、日中の車などでの外出の機会が増えている。 
 母の入院もあって、お見舞いのために車を使う機会が多いということもあるのだろう。


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2010/02/13

ネコとネズミとペストの関係

 蓮実香佑著『おとぎ話の生物学 森のキノコはなぜ水玉模様なのか?』 (PHP新書)を読んでいたら、興味深い記述に何度も出合った。
 その一つについては、昨日、触れておいた。

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→ 画家ルイス・ウェインの描いた擬人化したネコ (画像は、「ネコ - Wikipedia」より。ルイス・ウェインの愛すべき、しかし悲劇の世界については、拙稿(「ルイス・ウェインの猫(その1)」や「ルイス・ウェインの猫(その2)」)を参照されたし。)

 今日は、違う話題を採り上げてみる。
 ペストとネズミ、ならぬネコとの関係である。

 ここでいうペストとは、全人口の三割が命を落としたという、14世紀のヨーロッパで大流行した、「罹患すると皮膚が黒くなる事から黒死病」とも呼ばれる、あのペストである。

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2010/02/12

鳥の鳴き声…「聞きなし」あれこれ

 蓮実香佑著の『おとぎ話の生物学 森のキノコはなぜ水玉模様なのか?』 (PHP新書)が期待していた以上に面白い。

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 そもそも、小生は、前にも書いたように、「ほとんど、この題名、特に副題と、表紙の絵に惹かれて手に取ったようなもの」なのだが、同時に、キノコ類とかコケ類といった生き物への興味あり、おそらく、「森のキノコはなぜ水玉模様なのか」について、一冊を通じて語っているのだろうと思っていた。
 が、違った。
 まさに、「おとぎ話の生物学」で、「だれもが一度は読んだり、聞いたりしたことがあるおとぎ話や昔話――当たり前のことと思っていた事実を詳細に科学的に検証していくと、意外な真実がわかってきた」といった本なのだった。

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2010/02/11

真冬に夏の雨を想う

 冷たい雨が降っている。今にも雪になりそうな二月の雨。
 根雪を溶かす雨。

 外が不意に静かになったら、雨が上がった証拠ではなく、雪に変わったと思うべきなのである。

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 冬の一番深く険しい峠を越えつつある。
 そう思っておこう、そう思うことで、今の辛さを乗り切るしかない。

 冬の雨の音を聞いていて、ふと、夏の雨を想った。
 夏の終わりの雨。夏だけじゃない、祭りの…、人生の終わりを告げるような雨。
 幻想を超えて妄想をも抱かせる夏の終わりの雨を想った。

                            (以上、10/02/10 記)

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2010/02/10

パワーアルキメデス(らせん水車発電機)が販売へ

 たまには富山発の話題を。
 食事中、テレビを見ていたら、「パワーアルキメデス」という名の「らせん水車発電機」の話題が特集されていた。
 小水力発電用のらせん水車発電機がいよいよ販売開始となるというのだ(研究や開発の話は折々テレビでも見聞きしていた)。

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← マイクロ水力発電機パワーアルキメデス(らせん水車)の設置例 (画像は、「北陸精機 - マイクロ水力発電機パワーアルキメデス」より)

 富山は立山連峰を始め、三方を北アルプスの山々に囲まれ、緑と水に恵まれている(だから、米も美味しい)。
 湧き水も豊富で、名水百選にも三(四)箇所だったか選ばれている(このことは以前、書いたはず)。
 農業用水も、豊かな湧き水や冬の間に降り積もった雪の恩恵とばかりに雪解け水が流れているわけである。
 こういった地の利を生かしたアイデアであり、研究であり、技術であり、事業なのだろう。

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2010/02/09

月でウサギが餅を…から

 これまでの日記で、ジョージ・エリオットの『ミドルマーチ』を読んでいると何度か触れたが、まあ、読了は、今月の二十日頃だろうと思われる。
 この大作にかかりきり状態だが、気分転換も必要ということで、昨日読了したマイルスを巡る本に続き、ちょっと毛色の変わった本を寝床の友として読み齧っている。
 それは、小生には初めての著者になるが、静岡県農業試験場研究員の蓮実香佑著『おとぎ話の生物学 森のキノコはなぜ水玉模様なのか?』 (PHP新書)である。
 ほとんど、この題名、特に副題と、表紙の絵に惹かれて手に取ったようなもの。

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← 蓮実香佑著『おとぎ話の生物学 森のキノコはなぜ水玉模様なのか?』 (PHP新書)

おとぎ話や昔話に隠されたさまざまな謎。あっと驚く事実を生物学・植物学の視点から解き明かす刺激満点のサイエンス読み物」といった内容とのことで、小生、この手のサイエンス読み物が大好物なのである。

「おとぎ話の生物学  書籍  PHP研究所」なる頁には、目次が載っている。
 同好の士には、これらの目次のメニューだけで興味津々となるだろう。

 まだ本書の2章(ウサギはなぜカメに負けたのか?)までしか読んでいないのだが、その第2章に、「月にウサギさんがいて、餅を搗いているという物語」が扱われていた。
 この章を読んでいて、数年前、この手の話題を小生流に扱った雑文があったなと思い出された。
 それが、「月と星を巡る断章 2」なる拙稿である。
「01/06/02 」(六月一日の夜半過ぎ)に書いたもの。
 もう、数年前というのも苦しいかもしれない。
 ちょっと懐かしい小文なので、以下、ブログに載せておく。


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2010/02/08

マイルス・デイヴィスの絵画へ(序)

 先月の半ば頃から読み始めたジョージ・エリオット著の『ミドルマーチ』をようやく半分、読んだ。
 二巻になっているうちの一冊を読み終えたわけだ。

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→ テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)『突撃する近衛猟騎兵士官』 (画像は、「テオドール・ジェリコー - Wikipedia」より。本画像を掲載する理由に付いては、本稿で後述する転記文を参照のこと)

 エリオットの小説は筋もだが、叙述の細部が彼女の人間観察力が際立っているので、ついつい読まされる。
 小生は、94年に彼女の『ロモラ』を偶然、手にし読んですぐにファンになった。
 決して構成の整った小説ではなく、彼女の中では傑作の部類には入らないらしいのだが、それでも、一気に読ませる力があって、ブロンテ姉妹に匹敵する筆力を感じたものだった。

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2010/02/07

あの月影は夢か幻か

 猛烈な寒波が襲来中である。明日にはなんとか峠を越しそうだが、明朝乃至は明日の夜までは地域によってはまだ相当程度、新規の積雪がありそうだという。
 今朝未明、雪の中で新聞配達の仕事をした。
 昨年来、降り頻る雪の中での作業を繰り返してきたので、ある程度は馴れたつもりでいた。
 
 前夜のうちには庭などの雪掻きをしておいてあるので、夜半過ぎ、家(の庭)を車で出る際は、車の屋根やウインドーなどに新たに積もった雪を専用のデッキブラシで払い落とす、あるいは水で凍りつき始めている雪を溶かす、などの作業をする程度で済む。
 実際、師走の半ばからの降雪の際は、それで十分だった。
 しかし、今朝未明の作業は、これまでの経験を吹き飛ばす、自分にとっては痛烈な体験となった。
 
 前夜の九時過ぎに寝入ったときには、車にはうっすら雪が被っている程度だったのが、夜半過ぎに起きて、恐る恐る窓を開けて車のほうを眺めたら、目を疑うような光景があった。
 車が雪に埋もれている!
 無論、車だけではなく、庭も、前夜までの数回の雪掻き作業の甲斐もなく、数十センチの新雪に埋もれているのだ。
 納屋や家の屋根も雪下ろしの黄色信号が灯るほどの積雪。
 近隣の家々も雪で視界が遮られて屋根が辛うじて見えるだけで、百メートルほど離れた場所に立つマンションだけが雪明りの中、目立っているだけ。

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2010/02/06

「雪掻きあれこれ」という日記

 過日、ブログに戴いたコメントで川端康成の『雪国』のことが話題になった。
 というより、小生が話しの遡上に載せたと言うべきか。
 偶然だろうが、その数日後、新聞で川端康成の『雪国』を一般読者の方がどう理解しているか、幾つかの感想が載せられていて、自分とは解釈が違い、興味深かった。
 生憎、その記事を切り抜いておくのを忘れ、紹介できない。

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← 先週は、こんな青空に恵まれたのだが。

 自分がどのように川端康成の『雪国』を、あるいは主人公を理解しているか、過去の拙稿を探っていたら、必ずしも川端康成の『雪国』を話の焦点にした日記ではないのだが、懐かしい拙稿が検索の網にかかった。
 それは、「雪掻きあれこれ」という日記。
 まだ、東京在住で、その数年後に思いがけない形で帰郷を果たすことになるとは夢にも思わなかった頃の日記。
 父も母も、老いてはいるが、家事やら家の内外の雑事をこなしていた、ほぼ最後の頃の日記でもある。
 この日記を書いた年か翌年、母は急病で倒れ、家事一切からの引退を余儀なくされた。
 その意味でも、今、読み返すと感懐深い日記なのだと痛感させられる。

                             (以上、10/02/05 記)


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2010/02/05

ベリーダンスでお腹からやせる…小生は雪掻きで身も細る

 このところ、NHKでベリーダンスを特集する番組を何度か目にした。
 …というか、自分が好きだから新聞のテレビ番組表を見ると、「ベリーダンス」という文字に目が勝手に焦点を合わせてしまうのかもしれない。

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→  「上原多香子 トルコ ベリーダンス ベリーダンスの心にふれる」といった番組をNHKでやっていた。早くも「上原多香子が出会った、ベリーダンスとアラビアンナイトの国・トルコ。そんな彼女の旅を描き出したドキュメンタリーに加え、日本初!セマのレッスンを収録」といったDVDになっている。ベリーダンスに魅せられている小生、とりあえず録画。「多くのファンを持つベリーダンサー、セマ・ユルディズの元で踊りだけではない、ベリーダンスの世界を学んでいく」というが、テレビでは、「セマ・ユルドゥズ」と表記されていた(尚、本画像は、テレビ場面をデジカメ撮影したもので、セマ・ユルドゥズの若き日の姿)。そのうち、観る。楽しみ。ああ、富山でもライブでベリーダンスショーを観たい!

 正月だったか、「上原多香子 トルコ ベリーダンス ベリーダンスの心にふれる」といった番組をNHKでやっていた。
 それについては、既に「雪の日や背を向けられしは我がことぞ ? !」にて若干、紹介している。
 その記事で載せた画像とト書きを上に再掲した。

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2010/02/04

蛍の光 窓の雪 そして富山の雪

 先月下旬の寒波が去ったことで、積雪の季節は終わったものと(淡い期待ながらも)思っていたが、やはり、自然はそんなに甘いものではなく、二月こそが雪の本番の季節とばかりに、昨夜半から雪模様となり、今日はほぼ週日、降雪。
 日中、勢いが若干、和らいだものの、夕方近くからはまた勢いを増し、外は真っ白な世界。磨りガラス越しだと、外が明るくて、その明るみは暖かさにでも繋がっているかのような錯覚を与えるが、そんなはずもなく、今日の最高気温が一度。

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→ 雪の降る夜は、特に未明ともなると人の気配も消え果て、白銀の世界というより、水墨画の世界だ。音が雪に吸い込まれるらしく、沈黙の世界でもある。

 雪は、天性の演技力を持つ美人の女優のようだ。
 時に見た目には綺麗で美しくて優しげで、悪さなど似あいそうにない。
 しかし、何かの折に逆鱗に触れると、本性(?)を現し、牙を剥き出しにし、酷薄なまでに人の身心を凍て付かせる。
 雪は遠目に眺めているほうが、そう、分厚いガラス窓越しに、温泉にでも浸かりながら眺めたほうがいいのか、村々と沸き起こる何処か懶惰(らんだ)でもある居心地のいい幻想に浸っていることができていいのか。
 …でも、そういうわけにもいかない。
 つい、まあ、温泉のはずの熱湯に心身ともに蕩け去り焼き焦げ、身を誤ってしまう。
 それでも、そのほうがいいって思わせるのだから、やはり雪の魔力には叶わない。

 今朝というか未明に雪の中を仕事していたら、ふと、何年か前に書いたエッセイを思い出した。
 ラジオで「蛍の光」の曲を聞きかじって、脳裏の中でずっと響き続けていたらしい。
 我輩、どうも、この歌を聴いたり歌ったりすると、目頭がジーンと来る。
 自分で思っている以上に中学とか高校時代が懐かしいのだろうか。


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2010/02/03

今日は愚痴っぽく

 東奔西走っていうほど大袈裟な話じゃないが、母が入院していることもあり、ほぼ毎日、病院へ。
 見舞いやら必要な品物を届けに行くし、今日などは母が治療で気が弱っていることもあり、昼の食事の介添えというのか、介助に行ってきた。

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← 北陸には珍しい、快晴。立山連峰も堂々たる雄姿を見せてくれた。

 病院だから、看護師さんたちが居るが、自力で食べることの出来ない患者さんが多く、昼の時間帯では個々の患者には対応しきれない状態。
 家族が食事の世話ができるなら、できるだけ手伝ってほしいなんて、言われてしまう。
 なんのための入院なのか分からないが、親戚筋の者にも手伝ってもらったりして、あれこれするしかない。
 家族が付き添って食事の世話をすると、親身ということもあるのか、時間をかければ、だが、母は出されたメニューを全部、食べてくれる。
 看護師さんたち(?)には、個々の患者にそんなに時間を使うわけには行かないのだろう(…か)。


 

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2010/02/02

ひょんなことから『ミドルマーチ』へ

 過日よりジョージ・エリオット著の『ミドルマーチ』を読んでいる。
 なかなか時間が取れなくて、借り出してから十日余りで、読めたのは、まだ全体の4分の1ほど。
 内容もだが、量的にもトルストイの『アンナ・カレーニナ』に匹敵するほどの大作である。多分、今月いっぱいを本書に費やすことになるだろう。
 新聞などの書評欄を見たりすると、読みたい本が次々と出てきて、目移りして困る。

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→ ロバート・ブラウン(Robert Brown) (画像は、「ロバート・ブラウン - Wikipedia」より)


 それでも、一ヶ月を上掲書に傾注するのだから、まあ、それだけジョージ・エリオットに魅了されている、ということでもある。
 ストーリーがどうこういう段階にはないが、とにかく、人間観察と心理への、洞察力の鋭さ深さは、ある意味酷薄なほどで、さすがにシェークスピアを生んだ国だけのことはある。

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2010/02/01

断言の世界

 今朝、長い夢を見た。
 うんざりするほど長い、長い夢だった。
 が、目覚めた瞬間、全ては潰え去った。
 胸騒ぎだけが夢を証していた。

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 夢は曖昧模糊たるものなのだろうか。
 違うのではないか。
 思い出し掴もうとするから、指の透き間から零れ去る、でなければ雲か霞と化す、あるいは地上に落下した豆腐のようになってしまうのだろう。
 夢の中では、全てが確然としている。
 何かが確かにそこにある。
 現実の中では叶わない、断言の世界がそこにある。

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