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2010/01/08

ボーマルシェの知られざる功績

『セビリアの理髪師(Le Barbier de Séville)』や『フィガロの結婚 (La Folle journée ou Le Mariage de Figaro)』などの戯曲(オペラ)の原作を書いたことで有名な劇作家のカロン・ド・ボーマルシェ(Beaumarchais)は、クラシックやオペラファンなら名前くらいは知っている…かもしれない。
 あるいは原作者の名前は、素通り?
 小生は、全く彼の名前は認識していなかった。

Beaumarchais

→ ボーマルシェ (画像は、「カロン・ド・ボーマルシェ - Wikipedia」より)

 そのカロン・ド・ボーマルシェは、「カロン・ド・ボーマルシェ - Wikipedia」では、まさしく代表作として「フィガロ三部作」の名前を挙げてあるだけ、あまりに簡単な扱い。
 しかし、彼には他に(見方や立場によっては、だが)偉大な功績のあることを知った。

 年初より、保苅瑞穂【著】の『ヴォルテールの世紀―精神の自由への軌跡』(岩波書店 (2009/11/19 出版))を読んでいるのだが、本書の中でボーマルシェのヴォルテール(1694年11月21日 - 1778年5月30日)に関わる功績がわざわざ言及されているのだ。

 本書は実に面白くて、時間が許せば一気に読みきってしまいたくなる本。
 生憎、そういうわけにはいかない。
 その代わり、この大部の本を一週間以上を費やして読むことで、ヴォルテールという偉大な人物の一生に立会い、深く付き合えたような静かな、しかし熱い感動を覚えることができている。

 まだ読み終えていないのに、「あとがき」に飛ぶのは、小生の流儀に反するのだが、本書の紹介を兼ねて、筆者(保苅瑞穂)による「あとがき」のほんの冒頭部分だけ転記して示しておく:

 この本の執筆が終わりに近づくにつれて、わたしはこれを書きおえてしまうのが日に日に惜しまれるような気持ちになってきた。紙幅に余裕があれば、まだいろいろ書いてみたいことがあったけれど、この気持ちはそんな未練がましい理由のためではない。これまでヴォルテールは、わたしにとってほとんど未知の存在だったのだが、これを書いているあいだ、ヨーロッパの知性を代表する、それこそ稀有な、といっていい人間の生涯について、毎日が新たな発見と、それゆえの感動を味わう日々だったからである。そして、その発見をもたらしてくれたものは、世に知られているかれの数々の名著ではなく、初めて読んだ厖大な通数の手紙だったのである。

Voltaire

← 「ヴォルテール(24歳の時)ニコラス・ド・ラルジリエール作」 (画像は、「ヴォルテール - Wikipedia」より)

 さすがに小生が書いたわけではないが、ただ、それを読み終えてしまうのが日に日に惜しまれるような気持ちになっているのは、実感である。
 また、小生にとっても「ほとんど未知の存在だった」けれど、本書を読んでいる間は、まさに「ヨーロッパの知性を代表する、それこそ稀有な、といっていい人間の生涯について、毎日が新たな発見と、それゆえの感動を味わう日々だった」のだ。
 また、本書に幾つか載せてくれているが、ヴォルテールの手紙の機智に飛んだ闊達自在な名文ぶりたるや!

 小生は同時代のフランスの思想家(作家)というと、ルソーなどは読み齧ってきたが(やや時代が違うが、ライプニッツやパスカルやバークレーやヒュームなどなども含め)、その一方で、ルソーの天敵(ほとんどルソーの側の一方的な、邪推的な反発に端緒があるのだが)のヴォルテール(や彼の仲間のダランベールやディドロなど)の著作は、全く省みないで来た。
「百科全書」派ってのが、発想からして嫌いだった。
 中央公論社(当時)から小生の高校時代の途中から刊行されていた『世界の名著』シリーズの各巻を出る順に購入し読んでいった小生だが、『世界の名著 35 ヴォルテール、ディドロ、ダランベール』の巻は、眼中になく、手にとりもしなかった(はずだ)。

 何か、自由とか何とかを訴える姿勢に、(若い頃からずっと!)へそ曲がり的な反感を抱いてしまっていたし、平明で闊達で…という印象はあっても、深み欠けるといった、かび臭い発想に囚われていたものと思う。
 しかし、本書を読んで、小生の読まず嫌いの敬遠など、全く無意味…以上に実に惜しまれる偏見に過ぎなかったと思い知らされた。
 食わず嫌いにも困ったものである。

 こんな人間が実際にいたんだと、痛快な気分にさせてくれ、勇気をすら与えてくれる本でもある!
(索引がないのが実に惜しい! 代わりに(?)詳しい年譜が載っている。)

 どうでもいいが、「ヴォルテール - Wikipedia」の末尾の項に「金儲けの天才ヴォルテール」なんてある。
 確かにそういった面はあるが、彼は稼いだカネを惜しげもなく、奴隷の解放や寂れた町の発展、困窮する人への援助などに費やしていて、文筆家であり思想家でもあるだけではなく、不正を断じて許さず、危険を顧みずに闘う、行動する哲学者でもあるのだ。

4000222104

→ 保苅瑞穂【著】『ヴォルテールの世紀―精神の自由への軌跡』(岩波書店 (2009/11/19 出版))

 さて、余談が過ぎた。本題に戻る。
 以下、本書の中からヴォルテールとの関わりも含め、ボーマルシェを紹介する当該部分を転記して示す:

 日本でも『フィガロの結婚』で名を知られているボーマルシェというのは、若い頃からヴォルテールを敬愛していて、そのためというわけでもないが、ヴォルテールに似て演劇一筋のの男でなく、実業や政治の世界でも活躍して、なかなか波瀾に飛んだ生涯を送った人間だった。アメリカの独立戦争に際して、フランス政府から商社の成立を依頼されて、植民地の反乱軍に武器や軍服を送って反乱軍を支援したが、それはかれの実務的な手腕が買われていたためなのである。
 しかし、ボーマルシェについて、ここでぜひいっておきたいのは、かれがヴォルテールの死後まもなく、その著作の版権を三〇万フランという大金で買い取って、全七〇巻からなる全集の刊行を企て、六年をかけて、ついに一七八九年にその最後の巻を刊行したことである。いわゆる「ケール版」と呼ばれるものがそれであって、このケールというのは、ライン川を挟んでフランスのストラスブールとむかい合うドイツの土地の名前である。ボーマルシェはそこの廃止された砦に印刷機を持ち込んで、全集を印刷させることにした。高等法院と教会による出版の禁止を怖れたためである。これは、ヴォルテールに寄せたかれの敬意と情熱がなければ実現しなかったフランスの出版史に残る偉業の一つであり、ボーマルシェといえば『フィガロの結婚』を思うのは当然であっても、一般にはあまり知られていないこの全集の刊行は、ヴォルテールの世紀である一八世紀の掉尾を飾るにふさわしい事業であって、ボーマルシェが後世に残した記念すべき遺産なのである。  (p.380-1)

(10/01/07 ルドルフ・バウムガルトナー指揮によるバロック名曲集を聴きながら記す)

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コメント

「ヴォルテールは、わたしにとってほとんど未知の存在だったのだが」 - これを書いているのは著者保苅瑞穂っていうことはないですよね。文脈が理解出来なかったのですが。

ボーマルシェが、フランス革命を取り巻く重要な革命作家である事は常識だと思うのですが - 当然モーツァルトのオペラも「革命オペラ」として知られています。こうしたやいっちさんを取り巻く状況を不思議に思いました。

なるほど全学連・全共闘世代のあとは反動があり、教育の現場では「革命教育」は排除されました。さらに興味深いのは、日本の教育での「啓蒙思想の扱い」なのです。ルソーはなるほど大見出しにはなっていると思うのですが、この辺りからヘーゲルそして一挙にマルクスへと進んでいるような印象を受ける歪な教育要綱や日本のアカデミズムを感じます。

まさにそこに小沢何某などの歪な連中が存在するのではないでしょうか?

投稿: pfaelzerwein | 2010/01/08 15:27

さすがpfaelzerwein さんには、「ボーマルシェが、フランス革命を取り巻く重要な革命作家である事は常識」なんですね。
「Wikipedia」でも、常識程度のことは書いてあると期待したのに、情報が乏しいので、ヴォルテールとの絡みもあり、本稿を仕立てました。

「ヴォルテールは、わたしにとってほとんど未知の存在だったのだが」から始まる一文は、本書の筆者・保苅瑞穂さんによる「あとがき」の冒頭部分の言葉です。
フランス文学者の保苅瑞穂さんですから、多少は割り引く必要があると思いますが、それでも、ヴォルテールについて調べていく、付き合っていくに従い、彼の偉業や人間性に深く惹かれていったものと思います。

小生に付いては、ヴォルテールもボーマルシェのことも、全くといっていいほど、知らない。
なので、本書を読むその都度、筆者ほどではないにしろ、ヴォルテールに魅せられていく、その感動を味わうことができました。


小生はヘーゲルからマルクスへの流れが一時期、常識のように看做されていた時期も、どちらかというと、ルソーやパスカル、バークレー、ヒューム、ジョン・ロックらの主著を読んでいた。
樫山 欽四郎訳によるヘーゲルの「精神現象学」を一気読みして、内容は理解できないながら、ヘーゲルの奔騰する精神を感じて感動していた。
まあ、素朴な読者だったわけです。

啓蒙思想、そう、まさにその匂いに辟易して、ヴォルテールも含め、敬遠したように思い返されます。
今、思えば、実に勿体無い。

投稿: やいっち | 2010/01/08 21:17

「啓蒙思想、そう、まさにその匂いに辟易して」 - これは良く分かります。これも、戦後欧州の流れの中での扱いの受け写しが、もともと戦前から続く、唯物論の流れの中に重ねられて歪んでしまったような感じがします。

その証拠に現在の中国における歴史思想観にこの啓蒙思想が顧みられていないような印象を受ける状況を挙げることが出来ます。

もちろん専門的な見解は分かりませんが、ここに驚きが隠せなかったのです。

投稿: pfaelzerwein | 2010/01/09 06:36

pfaelzerweinさん

情けなくも、戴いたコメントへのレスを書いているうちに思い出したのですが、大学の学部での講義のテキストがフランクフルト学派のホルクハイマーで、どうにも退屈で、一層、啓蒙的な色彩への(自分の怠慢を棚に上げての)毛嫌いが昂じたようです。

高校や大学のときの小生の知識や常識なんて、今から思えば、好日的な傾向への嫌悪のようなものがあったような気がします。
得られる、得ている知識は、定番を食み出さないくせに、変に異端を求めようとして、虻蜂取らずになってしまったのかもしれない。
まあ、自業自得ですが。

それはそれとして、本書を読んでヴォルテールへの関心を掻き立てられたのは確かです。

投稿: やいっち | 2010/01/09 21:13

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