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2010/01/19

未明の空の星影に想う

 昨日、そして今日の未明、星空だった。
 満天の星空というわけではないが、夜空に星が見えた。

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← 冬のとある日の夕刻の光景。

 …ただそれだけのことである。
 でも、気持ちの上ではあまりに久しぶりに思えて、感激に近い戦慄が胸中を突き抜けた。

 冬の北陸の空は、曇天が日々当たり前のように続く。

 日中にしても、晴れ間は望めないわけではないが、東京に限らず太平洋側のように、晴れ渡った青空に恵まれることは滅多にない。
 よほど晴れている時でも、白く薄い雲が全天に広がっていて、その合間を縫って、青地に刷毛で薄っすら白色の紗越しに青空が垣間見えるというのがせいぜいである。
 万が一、見渡した限り空に雲の影が見当たらない場合であっても、すっきりとした青空とはならない…気がする。

 なにゆえ、何処かしら淀んだような青空にしかならないのか。小生なりに推測してみる。

 日中、氷点下だった気温が零下から数度まで上がり、大地に降り積もった雪が溶ける。気温が上がれば上がるほど、雪解けの進み具合も小気味良かったりする。
 朝方から昼過ぎにかけてはツララなども生まれ、それもやがて陽光に溶けて消え去っていく。
 そう、路面や路肩や屋根や庭や駐車場などに積もった雪が溶け、溶けて水になり、気温次第では水蒸気となって大気に浸透していく。
 要は、湿度が高まっていくわけである。
 曇っていたら青空は見えない。
 晴れたなら、溶けた雪の成れの果ての水が大気を湿ったものにする。
 よって晴れた日中の気温が氷点を数度ほど上回る地にあっては、せっかくの青空も、白っぽい薄絹をやんわり纏ったような、透明度の低い空に留まる、という理屈が浮かんでくる。
 

 では、真夜中過ぎとなると、どうなのか。
 少なくとも富山の平野部にあっては、零度近辺で上下、数度である。明け方近くには零下が当たり前であろう。東北やまして北海道のように氷点下十度とか、そんな強烈な寒さではないのだが。
 いずれにしても、地上の雪解け水が水蒸気に変わる度合いは低いはずである。
 それどころか、日付が変わるか未明までには、凍結現象が始まる。

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→ 未明、富山市内某所にて。

 根雪の内部は無論、表面も凍り付くし、舗装された道だろうが、土の道だろうが、雪解け水を被っていたなら、それは凍て付き、カチンカチンになってしまう。
 そんな真夜中過ぎの空なのだ。
 晴れているなら、湿度だって低いはずである。
 でも、全天の星空にはなかなかならない。
 澄み渡った空に背筋の寒くなるような星影が煌く…なんて光景は叶わない。
 
 まあ、愚痴を言っても仕方がない。
 薄く白い雲の合間から星空が垣間見えるだけでも良しとしないと。
 
 とにかく、忘れていたような星空に出会えたのだ。
 生憎、15日が新月で、一昨日も昨日も月影が極めてほっそりしたもので、薄い雲に姿が遮られていたようだ。
 一瞬でも月影を拝むことが出来たなら、あるいは「真冬の満月と霄壤の差と」なんて随想でも思い浮かんだだろうか。
真冬の月と物質的恍惚と」なんて感傷的な思いに耽ったりできたろうか。
 多分、今の自分には叶わない夢だろう。
 老眼の度が進んでいて、風景を堪能しきることができない?
 恐らく違う。
 感受性が鈍磨して感激する心を見失ってしまっているのだ。
 その前に心が疲弊しているのかもしれない。

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← 雪に降り込められた、在りし日の我が家の庭。

 それでも、未明の空に束の間の星影を見て、ほんの一瞬、何事かを感じた…ような気がした、それだけで今はいいのかもしれない。
 多くは望むまい。
 星とはあまりに対蹠(たいせき)的な場に在って地を這い蹲っているのだ。
 月影に睥睨されるのも辟易だし、星影に魂を射抜かれるのも辛い。
 雲間の星影をまるで幻のように、それとも心のオアシスのように眺める須臾(しゅゆ)の時間を過ごせた、それだけで十分に僥倖にめぐり合えた、そう思うべきなのだろう。

                                   (10/01/18 作)

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