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2010/01/12

山口百恵「美・サイレント」の頃のこと

 昨日というべきか今朝未明、ラジオ(NHK)にて山口百恵の特集があった。
 仕事しながらなので、聴き入るというわけにはいかず、途切れ途切れの聴取となったが、改めて感じたのは、小生、山口百恵のファンであり、ずっと好きな歌手の一人だった(今も!)ということ。

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→ 山口百恵「GOLDEN☆BEST/PLAYBACK MOMOE part2 」(ソニー・ミュージックハウス)

 何を今更、である。
 若い頃から滅多にレコードもカセットテープも買わなかった自分が、数少ない我がライブラリーの中に山口百恵のカセットテープがあるくせに!

 彼女については、個人的な思い出がある。

 別に彼女と直接の交流があるわけじゃない(それは我輩にはありえない)。
 それは簡単には纏められないので、後日、気が向いたら書く(かもしれない)として、とにかく高校時代の初恋の相手との絡み…思い入れがあるから、とだけ書いておく。

 断続的にだけれど、彼女の歌をずっと聞いていて、彼女のクールというか謎めいた雰囲気や声、歌わされていた歌詞、彼女に担わされたイメージなどをあれこれ思い返したり、想像を逞しくしていた。
 その空想の変幻を書き連ねると、これまた長く、長ーく、なる。
 想像、妄想を掻き立てる力のある女性…女優なのだとつくづく感じる。

 彼女は、1972年12月に芸能界入りし、翌1973年4月から5月にかけて芸能界デビューを果たしている。
 彼女の実質的なデビュー曲は、「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」という歌い出しのきわどい歌詞の「青い果実」であり、その当時としては大胆な歌詞やイメージは、「愛は尊いわー」と純愛のうようでいて、不純なことを男どもに妄想を逞しくさせる1974年の「ひと夏の経験」で決定的となった、と小生は感じていたし、今、改めてそう思う。
 青い性。
 食み出し背伸びした少女像。
 作られたイメージだが、ある意味、食み出した実際の少女も、虚像に苦しんだりするのだろう。
 歌手(女優)としての山口百恵は割り切って、虚像を演じていた(ように感じた)。
 別にどうってこと、ないわよ、というクールなイメージがまた妄想を掻き立て思い入れの余地をたっぷり残している…ような女性に思えた。

 衝撃的だったのは、1979の春に発表された「美・サイレント」で、「あなたの○○○○が欲しいのです 燃えてる ××××が好きだから」なんて歌詞は、あるいは取り澄ましたような、もう溺れきっていて今更、熱くなったりなんてしないわよ、という表情で歌いきる彼女に、フリーター生活真っ最中だった、青臭い小生の脳天というか腰の辺りを直撃した。

 念のために一部だけ、歌詞を示しておく:

美・サイレント」(作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 編曲:萩田光雄)

季節が変わるたびごと花を抱いて
娘達は着飾って街に出るわ
それを目で追うあなたは
私のことなど忘れて
横顔の向こうで誘っているのよ
んー 胸さわぎ
Be silent be silent 
be silent be silent
あなたの○○○○が欲しいのです
燃えてる ××××が好きだから


 この後に、 「女の私にここまで言わせてじらすのは じらすのは楽しいですか」なんてくるから、またたまらない(何がたまらないのか分からないが、たまらない)!

 この伏字(口パク)の部分の歌詞については、表向き、「「じょうねつ」「ときめき」「まごころ」など色々と推測されたが、正式には発表されていない」らしい。
 確かに、何かの番組で、山口百恵さんがこの歌詞は口パクでなんて歌っているのですかと聞かれて、仕方なく無難な答えを口にしていたが、いかにも当座しのぎの答えに思えたものだ。
 
 しかし、野暮天の、若かった小生は(多分、多くの男共も…違う?)、そのものズバリを脳裏に描いていた。
 人肌の温もりの、青筋の立つ、隆々と屹立するそれを頬ずり何する若い女。
 いや、その前に、それで女を焦らす男、というホットすぎる、羨ましすぎる光景。

 題名の「美・サイレント」もセンスが際立つ。
 美であり、思わず息を呑む、熱い沈黙だけが真っ赤な部屋を満たしている光景を綺麗で洒落すぎた形で象徴している。
 しかし、山口百恵さんは、そんな妄想を掻き立てるような、女性にとっては修羅場となりかねない状況をも、(外見からする限りは)あっさり乗り越え、こなしていったのだった。
 下界を這いずり回る、下種な男の碌でもない妄想なんて、私の知ったこっちゃない…。

 このヒット曲の頃、猛り立つ自分を持て余し…、○×○×だったっけ。

 今となっては、そんなつまらない回想を超えて、純粋に歌手・山口百恵の素晴らしさに感じ入るばかりである。


 内容的には関連しないが、山口百恵さんを扱った拙稿に「不入斗」がある。

                              (10/01/11 作)

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